第37話 本当に良かった

 あれから、並んで電車に乗って帰った。大したことは話さなかったけれど、仕事のこととか教えてくれたカナタ。私も仕事の話をして、両親の話もした。いつかギクシャクしない親子に戻れたら、両親にもきちんと会わせたい。まずはカナタに合わせて、ゆっくりとでもいい。関係を構築できたらと思っている。ちゃんと連絡先も交換した。次の約束だってして整えた。遅くなって宏海には心配されたけれど、私はずっとふわふわしている。あの子をもう一度、この手で抱きしめられた喜びで。


「ねぇ、カナコ」

「ん? なぁに?」

「いや……ちょっとあんた、何があった」


 午前の診察の後に、去勢手術を終えた私たちは片付けをしていた。いつものように何ら変わらない日常であったが、顔を引き攣らせた親友が心配そうにこちらを覗いている。昨日はあの日でしょう? と暁子が心配そうに言う。カナコは頷いてから、彼女に身を寄せた。


「……会えたの。会えたのよ、カナタに」

「え? え……ええっ」

「ふふふ。驚くよね。私も驚いた。詳しくは後できちんと話すけれど、大きくなってた」


 暁子にはすぐに全てを話すつもりだったけれど、片手間では嫌だった。きちんとゆっくり時間の取れる時に、順を追って話したい。そうでないと、カナタが今宏海の担当をしていることとか、理解しきれないだろう。暁子は驚いたのだろう。大きく目を見開いて、私を見つめる。


「本当に? カナコ……良かった」

「うん……だからね、今日は目が腫れてるのよ」

「あぁそれで。眼鏡かけてきたのか」

「うん。だって、ほら。なかなか引かないものね」


 眼鏡を外し、その目を見せると、暁子は小さく微笑んだ。それでも良かったね、と。落ち着いた二人は、オペの片付けをしながらコソコソと話を続ける。


「宏海くんには話したの?」

「ううん。まだ親にも言ってない。私も飲み込めてないところがあって。それを整理してからじゃないと、ただ混乱させてしまうだけだから。まずは親子をやり直してからじゃないと」

「そうねぇ。それに宏海くんって、子供がいるの知らないんじゃないっけ?」

「うん。知らない。だから、本当に順を追って話をしないとダメでしょう?」

「そうだね。まぁ籍は入れてないけれど、それでも夫なんだし。きちんと話して、いずれはカナタくんと会ってもらわないとね。あ、私にも会わせてよね」

「そうね、勿論。あの子を会わせたい人は沢山いるわ」


 あの時、怒らせ、泣かせてしまった両親。傷心のカナコに仕事という役目を与えてくれた暁子。とんでもない願いを受け入れてくれた宏海。それから、何も変わらずに友人でいてくれる匡。思い浮かぶ顔は沢山あった。


「というわけなので、今日定時で帰ります。あの子の誕生日祝いするの」

「あら、それじゃ定時は当然ね。今日だけはカルテ整理も頼まれてあげるわよ?」

「本当? 出来るだけやっていくけれど、もしもの時はよろしくお願いします」

「任せなさい。で、お店とか決めたの? カナコ、そういうの苦手じゃない」

「そうなんだよね……焼肉食べたいって言ってたから、何とかなるかしらって思ってるんだけど。無理かな」

「えぇ、無理ね。カナコ、優柔不断だし。店とか興味無いでしょ。これまで、とりあえず飲めればいいやって人生だったのよ? 久しぶりの親子デートに適した店なんて、あなた知らないでしょう」


 そこまで言うか。彼女の評価はもっともだが、馬鹿正直に言葉にされるとまぁまぁ傷つくものである。


「あ、渉くんに聞いたら? あの子、すごくいい店知ってるのよね」

「五十嵐くんか。今休憩中かな」


 ササッと彼に連絡を入れる。適当に挨拶をして、若い子が満足できそうな良い焼肉屋教えてください、と。正直に、実に簡潔なメッセージである。


「そう言えば、五十嵐くんとどうなった?」

「結構会ってるよ。時々ドライブしたり、食事に行ったり」

「へぇぇ。いい感じじゃない」

「そんなことないわよ。だいぶ年が離れてるから、話が合わないこともあるし。弟みたいなものだけど、弟と言うにもね。ちょっと難しいかと思うことがある」

「うぅん……暁子は、彼と一緒にいて楽しい?」

「それがさ……楽しいのよ。結構、互いの距離感が合ってるというか。踏み入って欲しくないラインが分かってる。だから、気が楽ではあるし。今度温泉に行きませんかって誘われてるんだけど……まぁそれはね、保留にしてるところ」


 楽しそうに話をした顔が、翳った。暁子はまだ、彼への感情に踏み込めずにいる。本当に慎重に温めている感じがした。


「この間ね……手を握られたのよ」


 更にくっついてきた暁子が、小さな声で言った。お、と感嘆を上げたが、彼女は複雑そうな顔をしている。


「この間ね……手を握られたのよ」


 更にくっついてきた暁子が、小さな声で言った。お、と感嘆を上げたが、彼女は複雑そうな顔をしている。


「ちょっとドキドキはしたの。真剣な顔して、僕は本気ですって言うから」

「でも、暁子は躊躇いがある。そんなところ?」


 コクリと暁子が頷く。恋をしている少女のように。


「素直にその気持を五十嵐くんに話してみたらいいんじゃないかな。それでどうするかが、二人の形じゃない。わざわざ恋愛に落とし込まなくたっていいんだし。包み隠さず話をして、分かり合えるのかって大事だと思うな」

「分かり合えるかぁ……確かにそうよね。あぁもう、そんなことよりもカナコは、今晩のデートを大事にね」

「うん。有難う。あぁもう……本当に好き。暁子」

「何、急に告白してこないでよ」

「あ、照れた?」


 ケラケラ笑って片付けを済ます。女、五十歳。生涯で大切にしたいと思える友人に出会えたことは、何よりもこれまでの自分を褒め称えたいことだった。暁子は、親友という枠を超え、家族のような大事な人である。


「あ、カナタ」

「なんて?」

「母さん今夜の仕事大丈夫そう? って」


 帰りの電車の中で話しながら、私たちは気付いたのだ。ママって呼び続けるのも恥ずかしいのでは、と。あちらの新しい母親をなんと呼んでいるのかは知らない。カナタは同じくならないようにしたのだろう。色々悩んで、私を『母さん』と呼ぶことにした。まだ慣れない。恐らく、カナタもだろう。


「母さんかぁ。なんか変な感じね。カナコがそう呼ばれるのって」

「そうね、何だかこそばゆいもの」

「あぁあ、私は今夜どうしようかなぁ。茉莉花もゼミの友達とご飯に行くって言うし。渉くんと焼肉でも行こうかなぁ」

「あ、いいんじゃない? でも、違う店にしてね」

「分かってるわよ」


 呆れた顔をしてから、彼女は笑った。本当に良かった、と私を抱き締めて。

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