第31話 ほら、ね。

「宏海、ごめんね。うちの親が」

「いやいや、いいんだって」

「なので、お詫び。匡のところに寄ってきたの。アトリエで飲むコーヒー買ってきたよ。それから、コンビニで甘いのも買って来たから、デザートにしよう」

「本当? やったぁ」


 子供のように喜ぶ彼を見て頬を緩めた。

 母は、私には連絡を寄越さなかった。話を聞けば、本当にただ電球を換えたかっただけ。宏海のアトリエが近くにあって、娘をわざわざ呼びつけるよりも早い。そう考えるのも無理はないが、何だかちょっと悲しかった。両親が年を老いてからは、そういった雑用は全て私が賄ってきた。当然すぐにとはいかないことも多いが、休みを使ってやって来たつもりだ。それが初めて、母が私ではなく宏海に直接頼んだ。一人っ子だからだろうか。他の兄弟がいないから、こういう経験がない。自分以外に頼れる宛があることは嬉しいと思えるのに、寂しさと面白くなさを感じてしまったのだ。お礼を買うという名目で匡のところへ行き、コーヒーを飲んで心を落ち着けてきたのである。


「本当にありがとうね」

「気にしないでよ。どうせ工房に居たし。電球をキュッキュッて回してきただけ。そんなに感謝されることでもないよ」

「そうかも知れないけど。母は話し相手が欲しかったのよ。宏海は優しいから、何でも聞いてくれるでしょう? それを分かってるの、あの人」


 同性だから、娘だから。母の気持ちは分かる。何でも無いような出来事を、誰かに聞いて欲しい。父はそこに居るけれど、穏やかな相槌しか打たないような人。リアクションも薄いから、余計に話し相手が欲しくなるのだ。

 

「お義母さん、本当はカナちゃんに来て欲しいんだと思うよ」

「それなりに連絡はしてるんだけどね」

「いやぁ、やっぱり顔を見たいんだよ。きっと。でも、カナちゃんが忙しいのも分かってるから、お義母さん我慢してるんじゃないかなぁ。僕からカナちゃんの近況を聞けるのも嬉しいのかなって思ってるよ、最近は」


 そうかしらね、と言ってしまう娘は薄情なのか。顔を合わせれば、母はあれこれ聞いてくる。それが煩わしいのだ。けれど、心配は心配。実家の照明を変えているのは、両親との話題作り。それを少しずつやるのは、私の為なのである。


「あ……ねぇ、カナちゃん。あのさ」

「ん? どうした」

「あぁ……えっと。いや、いいや。とりあえず食べよう。今日はタコライスだよ」

「わぁ、美味しそう。いつもありがとうね」

「いえいえ。僕は、夫ですから」


 胸を張ってみせた宏海に、フフッと笑った。彼の優しさに、家族総出で世話になってしまっている。私がこんな生活に誘ってしまったから、彼に面倒くさい事柄を増やしてしまったのだ。今日、それを深く実感した。

 だから今日は、宏海の話をとことん聞こうと思っている。家の話でも、仕事の話でも、恋の話でも。どうせきっと、今に始まる。


「そうそう、まぁくんね」


ほら、ね。

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