第25話 大切な時間
「いやぁ疲れたねぇ。宏海、今日はありがとう」
「ううん。僕も楽しかったから、気にしないで」
家に帰った僕らは、ソファーに流れ込んだ。カナちゃんはあれこれ気苦労があったのだろう。肩をぐるぐる回して、疲れたぁ、と大きく伸びをする。こうした気の抜けたカナちゃんを見るのは、好きだ。きっと今では、僕しか知らない顔だろうから。そんなちょっとした優越感に浸りながら、僕はタイミングを見ていた。まだ、ミッションが残っているのだ。
「麦茶飲む?」
「あぁ、そうだね」
「ちょっと待ってて」
いつものように声をかけてキッチンに立った。二つのグラスに麦茶を入れて、ふぅ、と一息。それをテーブルに並べて、僕はくるりと向きを変える。ダイニングに置いた紙袋から、包みを一つ取り出して、カナちゃんの前に置いた。
「ん、何?」
「何だろう……お土産? というか、記念に」
「記念?」
「うん。一緒に旅行とかしたことないでしょう? 何かもっと仲良くなれたかなって思って。嬉しかったから買ってみた」
「仲良くって……えっと、開けていい?」
「どうぞ」
カナちゃんがガサゴソと包みを開ける。それも、とても丁寧に。ゆっくりとテープを剥がして、包みを解く。中など大したものではなくて、東京タワーの土産だ。もう少し良いものをあげたかったな。また次、があったら、考えてみよう。
「マグカップ?」
「うん。観光土産にしてはシンプルでしょう。だから、仕事場とかで使っても良いかなぁって。その……嫌かも知れないけれど、僕もね買っちゃった。色は違うんだけどお揃いの」
「お揃い……」
「ごめん、嫌だった?」
「う、ううん。そんなことないよ。ありがとう。明日から使おうかな。ふふ、大事にするね」
両手でカップを握って、カナちゃんがまた「ありがとう」と微笑んだ。一安心の僕は、暁子さんに盛大に感謝している。数時間前のこと。あの時彼女は、唐突にこう言ったのだ。宏海くんはカナコのことが好き? と。
普通なら、苛ついたり、呆れたりするのかも知れない。でも僕には、そういった反応を示す事ができなかった。急にどうしたんだろうという驚きが大きすぎたのだ。ふざけているのか。そう思いもしたが、暁子さんは本気で聞いている事は分かった。土産の饅頭とクッキーを両手にし、さもそれを僕に選ばせているかのようにしながらも、笑う口元に対して目だけは真剣だったから。誰にも知られまいとした感情を、吐露して良いものか。もしかしたら、カナちゃんとの関係が変わるかも知れない。あの時の僕の頭の中は、そんなことがグルグルと回っていた。
「あの二人、どうなるだろうねぇ。上手くいって欲しいよね」
「そうだねぇ。暁子が嫌じゃなければ、結婚とかはしなくてもいいけれど、寄り添ってくれる人が出来るのは歓迎する。だって暁子って、変なところ真面目というか。肩の力を抜ききれないというか。今後が心配ではあったからね」
「それはカナちゃんだって一緒じゃない」
「そうかも知れないけど……」
むぅっと膨れるカナちゃんは、普段よりも着飾ってない気がした。いつも僕といると、彼女は『お姉さん』でいようとする。もう染み付いているものなんだろうけれど、それが少し僕には寂しい。だってそれでは、いつまでも僕は『弟』のままだから。いつかは打破したいと思いつつも、関係の悪化を恐れて今に至る。僅かでも良いから、関係が変われば……そう思っていたからこそ、暁子さんに問われた時に素直に吐露したのだと思う。好きですよ、と。
カナちゃんと僕の関係は、暁子さんからすればきっと不健全だ。特に彼女は今、渉くんとの関係を真剣に考えている。親友のカナちゃんにも、幸せな生活を望んでいるはずだ。僕を真っ直ぐに見た暁子さんは、不躾にごめんなさい、と何度も謝った。悪いと思いながらも、この僅かな隙に確認がしたかったのだろう。カナコに幸せを諦めて欲しくなくて、と暁子さんは悲しそうに笑った。あぁ、カナちゃんのことを本当に心配してるんだ。そう思った。僕にとっての、まぁくんのように。
「でも、私には宏海がいるじゃない」
「え?」
「え? このまま何もなければ、この生活は続くわけでしょう?」
「そうだね、うん」
「なら、私は一人じゃないよ。宏海が傍にいてくれる。まぁそれで言ったら、暁子にだって茉莉花がいるんだけどね」
へへっと口元を綻ばせたカナちゃんと目が合う。ドキドキするのは僕だけなのは寂しいが、彼女もこの生活を守ろうとしてくれている。そんな気がしていた。
「今のままでいる限り、カナちゃんのことは僕が守るよ」
サラリと言葉が出たけれど、凄く恥ずかしくてカナちゃんのことが見られなかった。もう少し余裕のある大人なら、優しい笑みでも浮かべるのだろうか。ありがとう、とカナちゃんが言う小さな声。拒否されなかっただけ、きっとマシだ。少し間を空けてから、ニコッと微笑み返した。余裕のある振りをして。
「これ、大事にするね。病院に持って行ってもいい?」
「うん。僕もアトリエで使おうかな」
「仕事の合間に、嬉しくて笑っちゃいそう」
「嬉しい?」
「嬉しいよ。だって、男の人から贈り物みたいなの貰うのなんて、本当に久しぶりだし。カップ変えるのも数年ぶりだしね」
カナちゃんが、マグカップを両手で包み込む。それは大事そうに。もう少し良いものをあげたかったな。そんな心残りはあるけれど、買って良かったと思えた。暁子さんには本当に感謝だ。
あの時僕は、両手に色違いのカップを持って悩んでいた。意外と可愛いな、とだけ思っていたけれど、暁子さんが悪魔のように囁いたのだ。「カナコの病院のカップ、数年前の100円ショップなのよね」と。そして彼女は、ニヤリと笑ったのだ。一瞬意味を考えてしまった僕を置いて、彼女はカナちゃんの方へ駆けて行ってしまった。苦笑いのまま僕がレジに言ったのは、言うまでもない。
今まで、ただ生活を共にするだけだった僕らに、思い出が一つ出来た。それが微かなものだったとしても、どこか晴れやかな気持ちになる。こうやって少しずつ、温かな物を増やしていければいい。今はそれくらいで、求め過ぎないでいたい。いつか終わってしまうかも知れない生活を、ずっと心の中で大切な時間だったと思えるように。
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