第24話 そうするのが精一杯
「あ、宏海見て。これ可愛い」
そう言って宏海のシャツの裾を引っ張る。本当だねぇ、と覗き込む彼も、チラチラと背後を気にした。
あれから十日ほど経った八月三十日。今日は例の観光をしている。五十嵐くんを誘ったら、すぐに細々としたプランを練って提出してきたが、あまりに細かすぎてほぼ却下した。結局、宏海と相談をしながら決めたプランである。浅草にしようと思ったけれど、夏休みの混雑を避けて少し渋めのコースに決めた。集合場所は浜離宮前。のんびり歩いて、お茶をして。それから芝公園あたりで、蕎麦を食べた。増上寺を通って、今いるのは東京タワー。コース自体はありきたりだけれど、すぐそこにあるのにいつもなら行かない場所、というのがコンセプト。その方が素の自分を出しやすくなるんじゃないかな、というのが宏海の意見である。五十嵐くんのロマンチックが過ぎるプランとは違って、確かに背伸びのないもので即採用した。ちなみに採用された五十嵐くんの意見は、東京タワーのみである。
「ねぇ、あれはどうなの? いい感じなのかな」
「多分。暁子が合図送ってこないから、きっと」
目を合わせて、頷き合う。急に仕事の話を振ってきたら、暁子のギブアップの知らせだと決めている。今のところは、その様子は見られていないし、意味深な目配せもない。五十嵐くんの好みを確認するように、土産物を指差す暁子は楽しそうだ。それがちょっと初々しく見えて、何だか微笑ましい。きっと今、彼女は安心材料を見つけているのだ。冷やかしや遊びならいらない。五十嵐くんの中の真剣さを見つけては、不安を一つずつ潰しているのだろう。慎重に、慎重にと。だからせめて背を押してあげたいところだが、私の出来ることなど数えるほど。一応メインデッキには上ったが、さほど高いところから見る景色に興味のない暁子は感想が薄く、二人並べて写真を撮ったのが私に出来る唯一とも言っていい後押しだった。
そして私はというと、今日を楽しもうとしている。今だって、土産物屋で工芸品の細工なんかが気になる彼の脇に立ち、一緒になってそれを眺めるわけだ。ただし、宏海に意見を求められても、適当に相槌を打つしかないのだが。情けなく思いつつ、熱心に見入る宏海を見つめる。商品に触れる手を見て、この間握られたのを思い出してして耳が熱くなった。もういい年なのに。こんなことで恥ずかしくて顔が上げられないなんて、絶対に気付かれたくない。沢山ぶら下がっているキーホルダーに視線を逃す。『根性』とか『努力』とか書かれた物など誰が買うんだろう、と悪態をついて必死に気を紛らわせていた。
「あの、カナコさん。ちょ、ちょっとだけいいですか」
「あっ。ん、どうした」
申し訳なさそうに声をかけてきた五十嵐くんに、平然を装う。暁子は、一緒にいない。少し離れたところで、楽しげに土産物のクッキーを見ている。彼女の機嫌を損ねたわけではなさそうだ。
「宏海さん、すみません」
「いえいえ。じゃあ、僕はあの辺り見てくるね」
「うん」
頑張ってね、と手を振った宏海に、五十嵐くんは深々と頭を下げる。どこまでも律儀な男だ。さてと、何があったのか。五十嵐くんは、何だか強張った顔をしているように見えた。
「で、どうした」
「いや、どうもしないんですけど……今日、どこまで踏み込んだらいいかなって。今のうちに相談をしておきたくて」
「あぁ、なるほど。それならば良かった。どこまでって私が意見することでもないと思うけれどね。五十嵐くんが感じるままにぶつかったらいいんじゃないかな。暁子なら、きちんと向き合ってくれると思うよ」
「はい。それはそうだと思うんですけど……また気持ちを伝えたら、ウザがられませんかね」
うぅん、と顎を揉む。私が今見ている印象としては、悪くないと思う。マスコットみたいで安心する、と言っていたしな。会うたびに好きだと伝えるのは、ウザがられるのかも知れない。そういう手法を取る人もあろうが、五十嵐くんはそんな器用なことは出来ないだろうと思った。
「ウザがるっていうのは、分からないけれどね。例えば、好きですってまた言うよりも、今度は二人で出かけませんかって誘ってみたらどうだろう」
「ふ、二人でですか」
「そりゃそうよ。あと数回は三人ないし四人でも良いのかも知れないけれど、いつまでもそうわけにもいかないし。それに暁子なら、二人に抵抗があれば、ちゃんとそう言うと思う。また四人でどこかに行こうかとかって」
なるほど、と言う五十嵐くんの表情が曇った。今日のように四人ならば気軽に誘えるのだろうが、二人で、と誘って断られてしまったら? 今彼の頭の中でぐるぐると回っていることが、手に取るように分かる。きっと大丈夫だよ、と言ってはみたものの、無責任な言葉でしかないなと思った。チラリと暁子に目をやると、グラスを見ていたであろう宏海に土産の饅頭を選ばせている。あれは多分、休憩時の皆のおやつにでもなるんだろう。
「緊張はするけれど、アクションは起こさないといけないですよね」
「まぁ、連絡先は交換してるんでしょう? なら、飲みに行きませんかとか、気軽な誘いだって後日出来るわけじゃない」
「はい」
「お洒落なレストランよりも、今日みたいな蕎麦屋とかの方が、暁子は好きよ」
「なるほど。勉強になります」
「さて、この後どうしようか。どうせ、家まで送るんでしょう? そうするとどこかのタイミングで夕食ってなるけど、二人がいい?」
五十嵐くんは腕を組み少し悩んでから、このまま四人で、と答えた。ならば何を食べるか。暁子のことだから酒はマストだ。二人で検索を始め、ここはどうか、など言い合う。彼はきっと多少は見繕っていたのだろう。小綺麗な店ばかりチョイスされる。私が示す大衆酒場とは大違いだ。
「なになに、内緒話?」
饅頭とクッキーを両手に持った暁子が、私たちの間に割って入る。宏海は何かを購入することにしたのだろう。レジに並んでいる。
「夕飯どうしようかって話してたところよ」
「そうねぇ。何食べようか」
「酒はマストでしょ。暁子は、何食べたい」
「そうだなぁ。お昼がお蕎麦だったからね。うぅんと……」
暁子も一緒になって悩み始めると、五十嵐くんは嬉しそうに表情を緩めた。それがとても愛しいものを見るような目で、暁子のことが本当に好きなんだなと実感する。何だか私も嬉しかった。買い物を終えた宏海が合流して、四人で携帯を除き合いながらプチ旅行を締めくくる店を探す。そんな大したことのないやり取りだけれど、こんな時間、ずっと忘れていた気がする。
「宏海くんは何食べたい? 好き嫌いはある?」
「僕はないですねぇ。何でも大丈夫です」
「あ、待って。暁子。宏海はパクチー好きじゃない」
「あら。アジア系はやめておこうね。和食かイタリアンにしよう」
「それなら暁子さん。こちらはどうでしょう」
ススッと携帯を差し出す五十嵐くん。見事な執事ぶりである。暁子はそれを見ながら、ここは日本酒もある? と五十嵐くんに問う。真剣に見始めた二人を眺めて、きっと二人は上手くいくだろうと思った。今日のメインは、暁子と五十嵐くん。そう暁子には言ってある。だからここは、二人に任せよう。そう思ったところで、宏海がツンツンと袖を引っ張った。 ありがとう、と。
「なんで?」
「いや、パクチー」
「あぁ。宏海のことだから、入ってないものを食べれば良いとか思ったんでしょう。今日のメンツじゃ言いにくいもんね。だから気にしないで」
うん、と笑った宏海。あぁやっぱり好きだなぁ。そう思い始めた自分を打ち消して、私も得意じゃないからね、といたずらっぽく笑う。そうするのが、今の私の精一杯だった。
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