第19話 仮初の夫
「焼き鳥って何で美味しいんだろうねぇ」
意味のないことを言っていた。今晩は、五十嵐くんとの約束の日。ずっと、自然に誘ってと言い聞かせてきたし、いつも通りにすればいい。ドキドキはしたけれど、多分怪しまれずに連れてこられた。まずは第一段階突破というところ。だが、五十嵐くんが来た時の『自然さ』を演出するために、緊張はまだ続いている。
「何言ってんの、カナコ。物思いにふけて。あ、ついにあれか。恋が芽生えたのか」
はぁ? と睨みつければ、暁子はキャッキャと楽しそうに腹を抱えた。今は、私の話を掘り下げられたくない。それに、簡単に触れて欲しくもなかった。
「で?」
「ん?」
「今日、本当は何を狙ってるの」
「え……何の話」
「あのねぇ。何年一緒にいると思ってんのよ。そんなガチガチ固まった顔で焼き鳥誘われて、何も怪しまれないとでも思ったわけ?」
ピシリ、と音を立てて、目の前の景色がひび割れていく。完璧だと思ったのに。恐る恐る暁子と目を合わせ、どうやら全てお見通しだと悟る。もう上手くいったと思ったのに。そう呟きながらテーブルに突っ伏した私に、暁子はケラケラとまた嬉しそうに笑った。やっぱりこういうことは、性に合わないのだ。ムスッとした顔を上げたら、ちょうど五十嵐くんが視界に入った。タイミングが良いのか、悪いのか。瞬時に申し訳ない気持ちになった。
「あ、あれぇ。カナコさんじゃないですか」
「……五十嵐くん。こんばんは」
「え? 何、何があったんですか」
「あら、五十嵐さん。こんばんは。ふふふ、カナコ。なるほどねぇ」
「あぁぁぁぁ。五十嵐くん、本当にごめんなさい」
元演劇部の演技を見せてもらおうか。そう思っていたはずが、それどころではなくなってしまった。白旗を上げたばかりの私は、彼に謝るしかない。恋路を応援しようとして、この有り様だ。ペコペコするしかない私に、彼は早々に状況を察したようだった。
「カナコさん、良いですって。でもこう言ったら申し訳ないですけど、何かカナコさんらしいですね」
「でしょう? カナコってこういう子なのよね。昔から。ほらほら。五十嵐さんも座って。一緒に飲むつもりだったんでしょう?」
「あはは。もう真正面からお誘いしたら良かったですね。じゃあ、お邪魔します」
和やかに、それでいてスムーズに整えられていく場に、私はまだついていけない。でも今日は、私はキューピットになるんだ。下を向いていても仕方ない。キリッとした顔を見せたが、余計に暁子に笑われてしまった。
「カナコは無理なのよ。こういうこと」
「返す言葉もございません」
「いやぁ、俺が悪いんですよ。すみません。変なことお願いして」
「いやいや、ホントごめんね。上手く出来てると思ったのよ」
「こういうところがカナコの可愛いところよね。カナコのことだから、宏海くんにも今日のこと言わないで来たんでしょう?」
「そりゃそうよ。他人から相談された事項を、簡単にバラすような真似しないわよ」
「うん。カナコはそう考えるわよね。きちんとしてる。でもね。それきっと、バレてるわよ。恐らく、どんな飲み会なのかくらいはね」
漫画みたいに、そんな、という陳腐な返ししか出なかった。宏海は珍しく気になっているようだったけれど、五十嵐くんのことを勝手に言うわけにもいかないし、上手く誤魔化して来たつもりである。けれど、暁子にこう言い切られると、何だか全部バレているような気が来るのが不思議だ。
「まぁ、何でもいいわ。飲みましょ。五十嵐さんは何飲む? ほら、カナコもまだ飲むでしょう? 私は次、何にしようかしら」
あっさり状況を飲み込んで、一気に場を空気を変える。いつまでも尾を引いてしまう私には、なかなか出来ないことだ。私はつい、あれこれ意味のないことまでも考えてしまって、二の足を踏んでしまう。暁子とは違って、あまり先頭に立つタイプではないのだ、私は。
雑談をしているうちにアルコールが届き、飲み始めればすぐに『いつもの飲み仲間』の雰囲気だった。五十嵐くんの醸し出す親近感と、暁子が彼に対して嫌悪感を抱いていなかったことが大きかろう。それに何より、モカ様という話題もある。これが恋愛的な進展なのかと問われると首を傾げざるを得ないが、今までよりはずっと良い関係性が出来たようには見える。きっと失敗ではないはずだ。
「渉くん、いい子ねぇ」
五十嵐くんがトイレに立った時だった。ほろ酔いの暁子が、そう言う。驚きと安堵感が私の中に広がった。
私たちはいつも、二人で飲むか仕事仲間を交える程度。こういう他者を交えた飲み会は、初めてに等しい。暁子が嫌がるのではないかと不安はあったが、心配はいらなかったようだ。いつの間にか暁子は渉くんと呼んでいるし、ずっと楽しそうに見えた。
「暁子、珍しね。ちょっと酔った?」
「うん。ちょっとだけね。仕事以外でさぁ、何か久しぶりに若い子と飲んだから。あ、あの子っていくつ?」
「うぅん……多分、四十過ぎた辺りかなぁ」
「四十か……私なんておばさんよねぇ。もうちょっと若かったら、気軽に飲んだり誘えるけど。ふふふ、変なおばさんたちに毎回引っ張り回されるんじゃ、申し訳ないわね」
「あ、私も入ってる」
「当然でしょ」
そりゃそうだ、と笑ったけれど……これって、好感触なのでは? それが恋愛的な感情でなかったとしても、こうして三人で飲むのは厭わない気がする。もしかしたら、二人で遊びに出かけるくらいの友人にはなるのではないか。それはそれで、私としては嬉しい。茉莉花にも報告しなくっちゃ。
今日のことは、きちんと先に茉莉花には連絡してある。あの子が嫌ならば、即中止にするつもりだった。でも彼女は、母に支えてくれる人が出来るならば嬉しいと言った。それがとんでもない奴でなければいい、と。その目利きはカナコに任せられている。まぁ、五十嵐くんならば心配はいらないだろう。
「あ、何すか。楽しそうですね、お二人」
「ん、そう。楽しいのよね。いつもカナコと二人だと愚痴ばっかりで。あとはカナコの惚気話でしょう? だもの、こういう飲み会って新鮮で」
「ちょっと待って。私は惚気けてなんかない」
「いや、惚気けてるね。口を開けば、宏海が宏海がって言うじゃない」
「それはさ……その、宏海の話くらいしかないからじゃない」
酔い始めた暁子が、何を口走るのかとヒヤヒヤする。このくらいならば、適当に誤魔化せるだろうか。仮に五十嵐くんに知れたところで、多分彼は言いふらすようなことはしないだろうけれど。やっぱりちょっと触れられたくないと思った。それはまだ、私が彼の存在を上手く言い表せないからだろう。名目上は事実婚の夫だ。このままで良いのかは、今は未だに答えが出ない。この関係を壊さずにいるには、何も言ってはいけないことは分かっている。心に正直でありたいけれど、本当に分からないのだ。自分がどうしたいのかが。ずっと彼は、仮初の夫という名のままで良いのだろうか。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます