第13話 面白くない

「そうだ。百合から連絡があって、今度カメオカの人たちとの親睦会に呼ばれたの」


 いつもの食卓。暁子の言葉が、今日も耳に残っている。そういう好きがあってもいい、か。そんなことを言われたって、急にこの時間が変わるわけでもない。


「あぁ、池内くんも言ってた」

「あ、そうなんだ。だから、行ってくるね。詳細聞いたら、また伝えるけど」

「うん。池内くんがね、に会ったら挨拶しようって言ってたから、ムキムキな子が行くと思うよ。多分」


 そう言って、宏海はケラケラっと笑った。

 彼は、サラリと私を妻として扱う。いや、妻なのか。名目上は事実婚であるが故、間違ってはいないのだが……完全に私だけが道に迷っている。自分で言い出した形だけの、愛のない生活。それでも事実婚と唱えば、周囲は当然に彼を夫と見做すし、私も妻と見做される。それは会社だけでなく、両親も然りだ。彼は一人でも私の実家へ行くことがあるし、私も彼の母と結構連絡を取ったりする。そういうのも当たり前になってしまった今、分かりきっていた矛盾が自分の中で疼いている。


「あぁ……えぇと、池内くんっていうのは、初めから担当してくれてた子だよね」

「うん。彼はね、この結婚……っていうか、生活というか。彼女と同居することにしたって話した時に、すごく喜んでくれたんだ」

「彼女……」

「って言うしかないでしょ」

「まぁ、そうよね」


 冷めた顔をしてしまったのは、わざとではなかった。彼女という響きに驚いてしまったのだ。彼の言うように、そう説明するしかない。この年で、友達とルームシェアを始める、なんておかしいもの。だから当たり前なのに、自分がそうして言い表されていると知ると、妙に恥ずかしくなる。


「ムキムキなの?」

「うん。元々運動してたらしくて、筋肉が落ちるの嫌なんだって。僕にはよく分からないけど」

「あぁ……私も分からないな」

「だよね。何ていうか、弟みたいな子でね。いい子なんだよね。いや、弟なんて怒られちゃうかなぁ。あの子、まだ三十代だし」

「弟は厳しいかもね。だって、百合の子がもう三十だって聞いて引いたもん」

「うわぁ……百合ちゃんのとこ、そんなに大きいのか」


 自分を擦りながら、宏海が表情を歪める。思わず、その反応は正しい、と笑ってしまった。宏海の中で、百合はまだ学生服から進化していないだろうから。尚更、そういう反応になるのは当然だ。


「あ、そうそう。まぁくん、おじちゃんにはコーヒー以外の許可は貰ったみたいだよ。だから正式に継ぐ感じで流れていくみたい」


 匡は今、料亭を辞め、間借りで時々カレー屋をやっている。自分の店を持とうと思っていなかった彼が、五十になって一念発起。一人でやるのだから手広くは出来ない。そう言いながら何品も考えて、カレーに絞ったのは一昨年だったか。それからも何度もレシピを練り直して、それはそれは大変だった。彼はこだわりが強いから、あれが僅かに多い、とか言い始めるのだ。私には何の名前なのかさっぱり分からないような、スパイスの名前らしいカタカナ語を宏海と投げ合って作る。それを繰り返した。どうせ、私の意見は何の役にも立たなかっただろう。美味しい、とか。辛すぎない? とか。そんなことしか言ってなかったもんなぁ。

 そんなことをしていた頃だ。匡の両親が店を畳むと言い出したは。兄二人は会社員だし、継ぐことはないだろうから、と。匡が料理人だし継げば良いのでは、というのが周りの反応ではあったのだが、そう簡単にはいかなかったのである。


「お、良かったじゃん」

「うん。でもおばちゃん、まだ渋ってたみたいだけど」

「だろうね。男三兄弟。末っ子が可愛いのよ。失敗させたくないというか。露頭に迷わせたくないというか。それと、おばちゃんは匡は女運がないと思ってるのよね。変な女に騙されるとか。それもあって、匡が独り立ちするのを危惧してるって言うか。全てにおいて心配が大きいんじゃないかな」

「変な女ねぇ」


 匡の母が「匡は女運がない」と言うのは、百合のことがあったからだ。両親も公認であったし、いずれ結婚するんだろうとでも思っていたのだろう。百合が別の男と結婚したことを耳にしたおばちゃんは、かなり落胆したという。それから匡は、仕事が忙しかったのもあり、暫く彼女をつくらなかった。結果として、匡が結婚しなかったのか、出来なかったのかは知らないけれど。おばちゃんが点と点を結んでしまうには、十分な時間になってしまった。それが、匡は女運が悪い、である。

 でも、私は思うのだけれど。おばちゃんはそうやって笑い話にすることで、匡だけが悪いわけじゃないと思いたいんじゃないか。匡に欠陥があって、結婚ができないわけじゃない。百合だけが悪いわけじゃないことだって、分かっていると思う。それもこれも、母親の小さな意地なのだ。


「コーヒーはどこまでいったんだろう。最近行ってないんだよなぁ」

「そっか。まだ出せねぇって言われてるみたいだから、レベルは低いんじゃない? おじちゃん的に」

「それは仕方ないよ。コーヒーは、おじちゃんのこだわりだもん」


 毎晩コーヒーの淹れ方を特訓をしている、と匡が前に言っていた。おじちゃんに教わって、おばちゃんが審査する。そういう流れらしい。審査員がうるせぇの、といつも匡は言うけれど。そんな時間も一つの親孝行なのだろうと思っている。それに、例え匡が大変だとしても、客としては有り難い話。私も宏海も、あの店がなくなるのは寂しいもの。


「そうだ。まぁくんがね。喫茶店でもカレーをやりたいって思ってるみたいで」

「へぇ、いいんじゃない? ナポリタン、ミートソースとサンドイッチくらいだったもんね。食事っぽいの」

「そう。あとはホットケーキ」

「あぁそうだ。懐かしい」

「でね。喫茶店のカレーは、キーマがいいかとか悩んでるっぽくて」


 匡の話をする宏海は、いつもと変わらず楽しそうだ。それはもう昔からのことだから、私も自然と笑っている。私達の共通の話題がこれしかないのだから、匡の話になるのは仕方ない。もしかしたら、一週間の半分くらい。それは……ちょっと多くない? ん、何だろう。自分の感情にふと違和感を抱く。薄暗いモヤが心に広がっていくような。あれ……私、ちょっと面白くないかもしれない。


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