第2話 偽りの夫

 結婚はもうこりごりだ。恋愛だって、もういらない。今はだた、中野カナコとしての人生を最後の最後まで満喫しようと決めている。

 女、五十。そんな悲しい生活を、という人は一定数いる。けれどそれは、あくまでその人の価値基準によって判断されたこと。別に言いたきゃ勝手に言えば良いと思ってはいるが、流石に腹は立つ。私にだって、感情くらいあるのに。

 自分で選んだ仕事を楽しんでいて、何が悪い。結婚を維持している奴らが、果たして本当に心から幸せなのか? 虚勢でなくて、本心から幸せだと主張できるのか? あ、いけない、いけない。今日は次々と毒を吐いてしまうな。まぁそれもこれも、全てあの記事のせいだ。


「ただいま」


 玄関で靴を脱ぎながら、キッチンに向けて声をかけた。ちょっと大声になった。換気扇が回っている。きっと気付いていないんだろう。ん、これはお醤油が焦げた匂い。晩ご飯はなんだろうな。魚かな。昨日の夕食はパスタだったし、今夜は和食だと思う。なんて、顎をもみながら考える。まぁくだらない探偵ごっこだ。だけれど、こんなことをする時こそ、心は満たされる。空腹が満たされる幸せを想像できるからだろうか。


「あ、カナちゃん。おかえり」


 キッチンを覗くと、忙しく動いていた彼の手が止まる。もう一度、「ただいま」と言えば、穏やかな笑みが返ってくる。ほら、私だって幸せだ。心はどこか、まだあの記事に対抗している。


「お疲れ様。今日はねぇ、手羽だよ。明日休みだから飲むでしょう?」

「飲む、飲む」

「ふふふ。じゃあ、ちょっと待っててね」


 またすぐに動き出した手。ゴツゴツした指にはめられた私と揃いの指輪。薄く微笑みながら、自分の指輪に無意識に触れていた。どうしたの、と不思議そうな顔を寄越した彼――中川なかがわ宏海ひろみ。私のである。

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