第1話 ハリの落ちた頬を

『シンプルな生活を心掛けています』


 そう書かれた記事の中で、あの女が笑っていた。


 休前日の仕事を終え、何とか踏ん張り立つ電車の中で、たまたま開いたウェブページ。そこに私――中野なかのカナコは釘付けになった。

 インフルエンサーの憧れの私生活。そう銘打たれた雑誌か何かの記事。興味があったわけでもない。ただ何となく手持ち無沙汰でポチリとタップしただけ――そして今、猛烈に後悔している。

 そこに映し出されたのは、たくさんの青々とした観葉植物が飾られた部屋。床の上に無駄なものなどない。優しい色のソファ。スッキリとしたキッチン。穏やかに夫と微笑み合う女の、手入れの行き届いた髪と満たされた表情だった。『幸せ』が滲み出たようなその様は、皆が羨む憧れの生活なのだろうが。チッと舌打ちしそうになった。


「ふざけんな……」


 苛立つが、全て読まなければいけない気がした。整えられた女の姿が視界に入る度に、頬がヒクヒクする。あぁ綺麗な爪。自分の手に視線を落として、何となく握り込んだ。

 仕事柄、綺麗なネイルなどしない。手荒れはないように心掛けてはいるが、画面に映された女のそれとはまるで違う。洋服だっていつも、仕事着に着替えやすい格好で、特別お洒落などはしていない。休みの日だって、適当なものだ。もうそういう生活が馴染んでしまって、お洒落の仕方も忘れてしまった。振り返ればそんな毎日。美しく着飾る女と比べれば、思わず溜息が溢れた。女の勝ち誇った笑みに、吐き気がする。いや……そう感じてしまうのは、すっかり負け犬ということなのだろうか。


『子供が巣立ち、夫婦二人の生活に』


 記事の中のサブタイトルがいちいち癇に障る。眉間にも力が入り、頬も唇も固くなった。隣で主役の妻を見つめる男。その横顔をぼんやりと眺めれば、「髪が薄くなったんじゃない?」と独り言ちた。

 あれから、嫌と言うほど時間は経った。私はしっかりと五十のおばさんになったもの。この女だってもう初老を過ぎただろうに。私は愛されていて、今もキラキラと輝いています……って? 隣の男の微笑みも相まって、ムカついて仕方ない。対抗するように、ハリの落ちた自分の頬を持ち上げる。あの頃は私だって、もっとふっくらしていたはずだ――


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