古の魔族

 法術「天星の導き」に照らされた廊下を進むと、新たな空間へ出た。

 旧神殿都市跡の地下は、貯蔵庫や緊急避難時の生活空間を各通路で繋ぐ構造になっている。

 現在の神殿都市にも同じような構造が備わっているだけでなく、三年前の大戦では実際に利用された。

 緊急避難用の大空間に連なる次の空間は、貯蔵空間だ。

 穀物や様々な食糧が備蓄され、非常時だけでなく通年を通して物資を保管する。そうして夏から秋にかけて蓄えられた食料や薪木まきぎなどを消費し、神殿都市の人々は厳しい冬を超えて春を待つ。


 しかし、約五百年前の大戦乱の際に破壊し尽くされて放棄された旧神殿都市跡の地下備蓄庫には、何も物資は残されていない。

 先ほどの空間ど同じように、古い柱が並び、崩れかけた壁や天井が天星の導きによって照らされるだけの殺風景な空間が広がっていた。


「フェリユ、マリアを追えるか?」

「うん、ちょっと待ってね」


 レイに問われ、フェリユは世界の違和感を読み解く。

 マリアが去っていた先は何処どこか。

 備蓄庫からは、三本の通路が延びている。その何処かの先にマリアは進んだはずだ。

 心を鎮め、自身を世界に溶け込ませるようにして、全身で世界の違和感を読む。


「……あっ」


 まただ。

 地下へと入る前。世界の違和感を読み取ってマリアや獣の魔族の存在を探ろうとした時に感じた微かな違和感が、フェリユの心に僅かな爪を立てる。


「どうした?」


 しかし、レイに声を掛けられて、フェリユはすぐにその違和感を心の片隅へと追いやる。

 気のせいだ。今感じたことは、きっと何かの間違い。

 それよりも。


「こっち!」


 マリアが残した空気の乱れを読み取ったフェリユは、備蓄庫の先に延びるひとつの通路を指す。そして、先頭に立って駆ける。


 マリアは、この先にいる。

 長老巫女のミサレナを追い、聖女としての清算をつけようとしている。

 これまでの長老巫女の殺害。ミサレナを追う理由。聖女としていの清算。

 いったい、これらがどのように繋がっているのか。

 フェリユは知らなければならない。

 知らなければ、マリアの真実には辿り着けず、これまでと同じように姉と妹のような関係で肩を並べて歩くことはできないのだ。


 フェリユは真っ直ぐに前だけを見据え、天星の導きが照らす先へと躊躇ためらいなく足を向ける。

 そして備蓄庫を駆け抜け、通路に入るフェリユやレイや追従する者たち。

 真っ直ぐに延びた地下通路には、フェリユたちを妨害するような罠も、何者かが潜めるような物陰もない。


 フェリユたちは、地下通路を走り抜ける。

 そうして、新たな空間へとおどり出た。


「全員、止まって!」


 そこで、フェリユが緊張の声を上げた。

 上級戦巫女や上級巫女たちが一瞬で進行を止め、油断なく薙刀なぎなた錫杖しゃくじょうを構える。レイも手にした槍を構えて、天星の導きが照らす空間の先の闇を睨む。

 上級巫女のひとりが、追加で天星の導きを発動させた。

 空間全体が照明の法術の明かりで照らされる。

 しかし、身構えたフェリユたちの視界には異質なものは映らない。

 これまでと同じように柱が整然と並び、壁と天井に囲まれた無機質な空間が広がるだけ。

 それでも、フェリユはユヴァリエールホルンを構えたまま動かずに、視線を一点へと向け続ける。


 フェリユの緊迫した気配に、レイも油断なく気配を探る。

 しかし、レイには感じられない。

 世界の違和感を読み取ることのできる者は、この中ではフェリユだけだ。


「フェリユ、どうした?」


 柱の影に、マリアが隠れているのだろうか?

 もしくは、マリアやニルヴィナから逃げたというミサレナが隠れているのか。

 それとも、獣の魔族が潜んでいるのか。

 マリアと共に行動しているはずの特位を冠する戦巫女や巫女たちの所在も気になる。

 しかし、レイには何者の気配も探れない。


 いったい、この空間にどのような違和感が存在しているのか。

 レイは視線だけで、柱の並ぶ広い空間を探る。

 そのレイの横で、フェリユはユヴァリエールホルンの刃を微塵も揺らすことなく、じっと動かずに世界の気配を読み解く。

 そして、何者も存在しないはずの床面へ向かって、声を上げた。


「隠れても無駄だからね! そこに隠れているのはわかっているんだ!」


 ユヴァリエールホルンのきっさきを、睨む床面に向けるフェリユ。

 だが、やはりそこには何もない。石畳の古びた床が見えるだけ。

 それでも、フェリユは確信を持って言う。


「魔獣のように霊脈に潜伏していたって、世界の違和感を読み取れるあたしには通用しないんだからね!」


 まさか! とレイや上級戦巫女、上級巫女たちに緊張が走る。

 マリアを追って進んだ先で、自分たちを待ち構えていた者。

 それは……!


「ほう。この我の気配を、世界の違和感を通して察知したか」


 ぬるり、と地面から巨大な獣の顔が浮かぶ。

 ひょうに似た頭部。しかし、獣としての豹の数倍は大きい頭部は、瘴気しょうきを可視化させた闇を纏って地面から浮かんでくる。

 頭部が完全に露出すると、筋肉の盛り上がった胴体が同じように床の下から浮き上がり、人の胴回りほどもありそうな太い四肢が現れる。

 そして、見上げるほど巨大な、白い豹に似た化物がフェリユたちの前に姿を現した。


「愚か者どもめ。我の気配に気付くことなくこの場を去っていれば、見逃してやらんでもなかったが」


 猛獣の瞳を光らせ、フェリユたちを見下ろす化け物。


 間違いない、とフェリユだけでなく全員が確信する。

 この化け物こそが、結界殿を襲撃した獣の魔族だ!


 しかし、なぜこの場に獣の魔族が? と、疑問を浮かべてしまう。

 ミサレナを追って行ったはずのマリア。そのマリアを追っていたフェリユたちの前に、獣の魔族が姿を現した。

 正確には、霊脈に潜んでいた者の存在にフェリユが気付き、獣の魔族は姿を現した。


 では、ここを自分たちよりも先に通過したはずのマリアは、獣の魔族の潜伏に気付かなかったのだろうか?

 フェリユに世界の違和感を通して相手の存在を察知する能力を教えたのはマリアだ。そのマリアが、フェリユが気付いた獣の魔族の気配を察知できなかった?

 もしくは……


「くくくっ。聖女を追って来たか。であれば、我はこの場で貴様らを殺さねばならん」


 獣の魔族の言葉に、全員が息を呑む。

 それはつまり……!


 レイが事実を確認するように、考えを口にする。


「マリアは、お前の気配に気付かなかったのではない。気付いていながら、ここを通過したのだな。……それは、お前とマリアが繋がっているからか!」


 レイの言葉に、にたり、と残忍な笑みを浮かべる獣の魔族。


さとい。それに免じて、幾人かは聖女を追うことを見逃そう」

「何を勝手なことを!」


 叫ぶレイ。

 この場の支配権を獣の魔族に握らせるわけにはいかない。

 マリアを追う。獣の魔族を討伐する。それは、自分たちの選択肢によって決まる未来であり、獣の魔族が示す道ではない!


 レイの叫びに、フェリユや上級戦巫女たちが武器を構える。上級巫女たちは後方に退がり、祝詞のりと奏上そうじょうし始めた。


「獣の魔族よ。貴様を討伐し、神殿都市の闇を祓わせてもらう!」


 レイの臆さない宣言に、しかし獣の魔族は残忍な笑みを浮かべたまま、見下したように喉を鳴らす。


「くくくっ。この我を討伐するだと? 愚かしいにも程がある。前言撤回だ。貴様らは聖女を追えはしない。この場で、全員を喰い殺してくれるっ!」


 凶暴な牙を剥き出しにし、襲い掛かろうとした獣の魔族。

 しかし、全身を一瞬で縛られる。

 綺羅星の巫女フェリユの高速法術によって呪縛される獣の魔族。

 それでも、フェリユの呪縛法術を一瞬で打ち破り、跳躍する獣の魔族。

 獣の魔族の凶暴な爪が、レイに襲いかかる!

 だが、伸ばされた爪はレイに届く前に止まった。


「呪縛法術の多重掛けか!?」


 再び、獣の魔族を束縛する月の影。それは、上級巫女たちが一斉に放った「上弦じょうげんつきじん」だ。

 フェリユが一瞬だけ束縛した隙に、遅れて上級巫女たちが呪縛法術を放っていた。

 何重にも重なった束縛の影に動きを封じられた獣の魔族が、低く唸る。


 一斉に薙刀を構える上級戦巫女と、ユヴァリエールホルンを構えるフェリユ。


「行け!」


 レイが叫んだ。

 と同時に、フェリユたちは駆ける。

 移動法術「星渡り」を駆使し、一瞬で獣の魔族の横を通り過ぎ、先に続く通路の先へと消えていくフェリユたち。


「っ!?」


 フェリユたちの予想外の動きに、獣の魔族は驚きに目を見開く。

 しかし、すぐに殺気を戻すと、爪の先で平然と佇むレイに鋭い眼光を向けた。


「舐められたものだ。この我を前にして、素通りしていくとは」


 全身を拘束された状態で、それでも獣の魔族は余裕そうに鼻を鳴らす。

 レイは眼前に迫ったまま停止した爪には目もくれず、真っ向から獣の魔族と視線をぶつける。


「貴様が何者か。何を目的に神殿都市の大宝玉を襲ったのか、これから私がじっくりと聞こう。しかし、フェリユたちには成さねばならぬ使命がある。貴様如きに構っている暇はないのだ」

「言うではないか!」


 ぎらり、と獣の魔族が呪縛の中で身悶みもだえる。

 恐ろしい牙が剥き出しになり、レイを威嚇する。

 それでもレイは平然としていた。


「上級巫女たちも、フェリユを追え。この場は、私ひとりで問題ない」


 今度は、上級巫女たちが驚く。

 今は呪縛で身動きを押さえているが、獣の魔族が上級以上の存在であるのならば、けっして油断はできない。

 もしかしたら、このまま獣の魔族は呪縛を打ち破り、レイに爪を振り下ろす可能性もあるのだ。

 だというのに、レイは眼前で止まった爪にも、殺意剥き出しの獣の魔族の視線にも動じることなく、あまつさえ上級巫女たちにもフェリユの後を追うように指示を出す。


 しかし、と戸惑いを見せる上級巫女のひとりに、レイは厳しい口調で言う。


「まず優先すべきは、マリアを止めることだ。違うか? マリアの手を、これ以上穢させるわけにはいかない。それとも、あの聖女をお前たちは簡単に止められると勘違いしているのか? 己の役目を見失うな。お前たちはは今、フェリユたちを追ってマリアを止めることこそが最優先だ」

「しかし、それではレイ様は……」

「むろん、私ひとりでこの魔族を倒せるなどと自惚うぬぼれてはいない。しかし、フェリユたちが事を成して戻ってくれば、勝機はある」


 レイと上級巫女のやり取りに、獣の魔族がうなる。


「言わせておけば、随分と大口をたたくやからだな。それはつまり、この我を足止めする程度なら、貴様ひとりで十分だと豪語するのか!」


 獣の魔族の放った咆哮に、レイは顔色ひとつ変えずに言い返す。


「まさに、その通り。必要な情報を貴様から聞き出し、足止めする程度ならば、この大神官レイ・ユラネトスで事足りる」

「聖四家、ユラネトスの小僧が生意気なっ!」


 可視化するほどの瘴気を纏い、獣の魔族が身動きをする。

 ぱりん、ぱりんっ、と陶器が割れるような乾いた音が、その度に響く。


「行け! この場は私に任せなさい!」


 レイが叫ぶ。

 上級巫女たちは互いに顔を見合わせ。


「大神官様、すぐに戻りますので、どうかそれまでは!」


 とだけ言うと、上級戦巫女たちも走り出す。

 天星の導きの明かりと呪縛法術だけを残し、束縛された獣の魔族の横を素早く通過して、通路の先へと消えていく上級巫女たち。


 そして、地下の空間には獣の魔族とレイだけが残された。


「それでは、改めて聞こうか。まずは、貴様の名前からだ」

「くくくっ。魔族に名を聞くとは」


 ぎろり、と睨む獣の魔族は、それでも己の名を口にした。


「俺様こそは、かつて魔王の座に君臨したレイクード・アズン。老いた身とはいえ、人族如き、神官如きにには遅れを取らぬぞ!!」


 獣の魔族、レイクード・アズンは束縛を打ち破り、レイに襲い掛かった!

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