覚悟と決意

 いったい、どういうこと?

 何が起きたの?


 思考停止に陥るフェリユ。


 目の前の現状が理解できない。


 旧神殿都市跡の地下。

 先日、魔族の自爆魔法によって崩壊した地下機構の、更に奥。

 崩壊し、深く陥没した遺跡の先に開いた空間から地下へ潜り、長い通路を進んだ先は、魔族の自爆攻撃にも耐えた広い空間となっていた。

 かつては、非常事態の際に避難者が寝泊まりする場所として準備された空間だったのだろう。

 しかし長い年月を経て、今は古びた柱や先日の影響で崩れかけた壁や天井が見えるだけの、何もない空間。


 しかし、そこに理解し難い状況が生まれていた。


 血塗られた刃のレザノールホルンを握るマリア。その側に立つ、前法術院院長のニルヴィナ。

 そして、血の海に沈む長老巫女のマティアネスとセスティナ。


 だが、倒れ伏した長老巫女の二人には誰も近づけない。

 聖職者として、巫女として、倒れた二人を見過ごすことなどできない。

 だが、現状がそれを許さない。


「マリア……。これは、どういうことだ!?」


 説明を、と珍しく声を荒げたレイでさえ、マリアの放つ気配に圧倒されて動けない。


 マリアは瞳を光らせて、広大な地下空間へと辿り着いたフェリユやレイや、多くの者たちを見つめていた。


「……マリア様、先をお急ぎください」


 レイの質問を黙殺し、ニルヴィナがマリアに声を掛けた。


「残りのミサレナを、およんで取り逃すわけにはまいりません」


 ニルヴィナの言葉に、マリアは無言できびすを返す。そして、地下空間から延びた通路の先へと向かい、一歩踏み出す。


「マリア!」


 現実を直視できないフェリユが、ようやく声を発した。

 フェリユに名前を叫ばれ、マリアが動きを止める。


「ねえ、どういうこと!? いったい、何が起きたの? マティアネス様とセスティナ様は……マリアじゃないんだよね? 何か、理由があるんだよね!?」


 口早に問い掛けるフェリユ。

 だが、通路の先へと足を向けたマリアは、フェリユたちへ向き直ろうとはしない。


「マリアは知っているんでしょ? 神殿都市で何が起きているの? ねえ、獣の魔族は? マリアは、獣の魔族を追ってここに来たんだよね?」


 必死に問いかけ続けるフェリユ。

 それでも、マリアの反応はない。


「……ねえ、どうしてあたしの疑問に返事をしてくれないの?」


 何故、マリアは自分を無視するのだ。

 どうして、何も答えてくれないのだ。

 姉のように慕い、妹のように感じていたはずなのに。

 それなのに、今は何故か、マリアが遠い。

 目の前にいるというのに、言葉が届かない。

 手が伸ばせない。


「……ねえ、マリア。聖女としての清算をつけるって、どういう意味?」


 フェリユのこぼした言葉に、レイや他の者たちが息を呑んで絶句した。


 聖女は必ず堕ちる。


 創造の女神アレスティーナに奉仕する者たちであれば、全員が知っている伝承。

 そして、マリアは聖女だと誰もが讃える。


 その聖女が、清算をしようとしている。

 何を、と誰も言えない。


 マリアとニルヴィナの足もとで、血の海を作って倒れているマティアネスとセスティナ。

 確認するまでもなく、二人は既に絶命しているだろう。


 フェリユの悲痛な問いに、ようやくマリアが反応を示した。

 しかし、フェリユへ振り返らずに、言葉だけで。


「フェリユ。ミレーユから聞いたのだな。では、改めてわたしから言おう。中途半端な覚悟しかないのであれば、これ以上は踏み入っては駄目だ。だが、貴女に覚悟があるのなら。……聖女と呼ばれた者の行く末を見届けると決意できたのなら、追ってきなさい」


 マリアはそれだけを口にすると、止めていた足を動かす。

 一歩前へ。軽く跳躍する。移動法術「星渡り」で、一瞬にして大空間の先へと進むマリア。そのまま、暗い通路の先へと姿を消す。


 圧倒的な気配を放っていたマリアの圧が無くなったことで、全員の硬直が解ける。

 誰もが息をすることさえ忘れていたのか、マリアが立ち去ったというだけで、全員が肩を荒く上下させて息をしていた。

 その中でレイが最も早く、倒れ伏したマティアネスとセスティナへ駆け寄った。

 側に立つニルヴィナが妨害するような気配がないことを確認し、レイは絶命している二人を診る。


「ニルヴィナ様。マリアには答えていただけませんでしたが、これはどういう状況なのです?」


 ひざまずきマティアネスとセスティナを診るレイを見下ろす、ニルヴィナ。

 ニルヴィナは、壮年の女性に相応しい柔らかな声で言う。


「大神官様。見ての通り、とだけ」

「では……?」


 長老巫女の二人をこの場で殺害したのは、マリアということか? と、レイは立ち上がって視線だけでニルヴィナに問う。

 ニルヴィナはレイの視線を真っ向から受けて尚、視線を逸らさない。


「先日より、神殿都市内で長老巫女様たちの殺害事件が相次いでいました。今朝もまた、セドリアーヌ様がご自宅の寝室で殺害されていました」


 そして、使者に呼ばれ、護衛も付けずに自宅を出た後に消息を絶ったマティアネスとセスティナが、更に殺された。


 誰が犯行を、と口にする必要は、今更あるのだろうか。

 血塗られた刃のレザノールホルンを手にしていたマリア。

 そのマリアは、ニルヴィナ言われて、地下の更に奥へ逃げたというミサレナを追って行った。


「私は……。大神官として、巫女長を追わなければならないようです。そして、必要であれば問い詰めることも覚悟しなければならないようですね?」


 手にした槍を強く握りしめるレイの表情は、何時いつにも増して険しい。

 レイの言葉に、視線を逸らさずニルヴィナが言う。


「大神官様。貴方は、本当にお覚悟があるのですね? これより先。マリア様を追う者は、覚悟と決意が必要になりますよ?」


 マリアは、フェリユに言った。

 聖女の行く末を見届ける覚悟がないのであれば、追ってくるなと。

 マリアの言葉は、レイや他の者たちにも当て嵌まるのだ。

 聖女と讃えられるマリアが、何をしてきたのか。何をしようとしているのか。

 誰も口にはしないが、既に全員が理解している。

 それでも、動機がわからない。

 なぜ、マリアは……


 一連の真相を知るためには、マリアを追う必要があるのだろう。

 だが、それは同時に、聖女は必ず堕ちる、という伝承と向き合う必要があるのではないか。

 誰もが慕い、敬愛する「聖女」マリア。

 まさか、最も身近な存在であり、最も尊敬する人物の行く末を、自ら見届けならねばならぬとは。


 ニルヴィナはレイに返答したが、この場の全員に向けられた言葉でもあった。


「…………それでも。……それでも、あたしは行くんだ!!」


 叫ぶフェリユ。

 遠く、先へ行ってしまったマリアに声を届けるように、全力で叫ぶ。

 そして、場に残ったニルヴィナに宣言する。


「あたしは、最後までマリアを信じています! だから、わあたしはマリアを追う!」


 そして、聖女の行く末を見届ける。


 固く決意を示すフェリユに、まず最初にレイがうなずく。


「私も行こう。大神官としてではなく、ひとりのマリアの親友として、あいつの行く末を見届ける」


 これから先。大空間の広間から奥へと延びる通路の先で、何が待ち構えているのか。

 恐らく、生半可な優しい事実などではない。

 それでも、レイはマリアを追うと決めた。


「獣の魔族のことも気になる。マリアの行動とどう関わりがあるのか。私はそれを知る必要がある」


 忘れてはならない。

 この旧神殿都市跡の何処かに、獣の魔族は潜んでいるはずなのだ。

 マリアと獣の魔族の関連性は、未だに見出みいだせない。

 それでも、マリアを追えば答えは示されるのだろう。


 フェリユとレイの覚悟から遅れて。

 フェリユ麾下の者たちが頷く。

 たとえどのような結末が示されるのだとしても、この場の全員が聖職者であり、人々の安寧を願う者たちだ。

 ならば、彼女ら、彼らの行動は一貫して決まっている。

 戦巫女頭フェリユに従い、世界に平和と安寧をもたらすために奉仕する。


 全員の覚悟を見届けるように、ニルヴィナは静かに見守っていた。


「ニルヴィナ様、貴女にも後程、事情を聞かせていただく。引退していたはずの貴女が何故、この場にいるのか。マリアとの関わりや、知っている事情を」


 レイの言葉に、ニルヴィナは返答をしない。

 フェリユが指示を出す。


「ニルヴィナ様、申し訳ありませんが拘束させていただきます。誰か、ニルヴィナ様を。残りの者たちとあたしたちは、マリアを追います!」


 宣言し、マリアが姿を消した先へと足を向けようとして。


「っ!?」


 フェリユは驚愕に息を呑む。

 いや、フェリユだけでなく、レイや全員が改めて硬直していた。


 しかし、これはマリアの放っていた圧倒的な気配ではなく……


「貴女方は、誰を追おうとしているのです? よもや、覚悟ができたから、という程度でマリア様を追えるとでも?」


 指先さえ動かせずに硬直してしまった全員を、ニルヴィナが鋭い視線で射抜く。


「マリア様は、歴代最高の巫女とうたわれたお方。星々ほしぼし聖眼せいがんを宿す、聖女様ですよ?」


 地下の広大な空間。そこに、いつの間にか月の影が降りていた。

 ニルヴィナ以外の全員が、月の影に縛られてまばたきさえできない。


 フェリユでさえ、感知できていなかった。

 それもそのはずだ、と聖女の実力をまざまざと見せつけられる。

 マリアは、フェリユたちが地下空間に到着する前から、呪縛法術を完成させていたのだ。

 その呪縛法術を、聖四家ノルダーヌの当主たるフェリユにさえ感知させないほど薄く広く伸ばしていた。


 そして、今。

 この場に居ないマリアが、呪縛法術を発動させた。

 薄く広く張っていた月の影を本来の範囲に収束させ、ニルヴィナ以外の全員を呪縛した。

 二十人以上の者たちが、マリアのたったひとつの呪縛法術で拘束されてしまった。


 誰もが絶句する。

 これが、聖女マリアの実力なのか。

 今現在、数百人規模で大奏上を執り行い発動させようとしている大法術「流星宝冠」を、三年前にたったひとりで発動させた者の能力なのかと。


「この程度の呪縛法術さえ破れない未熟者には、マリア様を追う資格はありません」


 言ってニルヴィナは、手錫杖てしゃくじょうを持つ。


「もちろん、わたくしを捕縛することも聴取することもできないでしょうね?」


 引退した身とはいえ、ニルヴィナは巫女に法術を教育する「法術院」の院長だ。

 ニルヴィナも、類い稀な法術使いであることは疑いようもない。


「そ……れ……でも。それでも!」


 ぱりん、と陶器が割れたような乾いた音と共に、フェリユの足もとの月の影が割れる。


「あたしは、マリアを追うんだ!」


 マリアの呪縛法術を破り、フェリユが動きを取り戻す。

 そして、宝槍ユヴァリエールホルンを構える。

 ユヴァリエールホルンの大きく反った肉厚の刃を、ニルヴァナに向けるフェリユ。


「……?」


 だが、動きを取り戻したフェリユに対して、ニルヴィナは柔らかく微笑む。


「行って……良いのかな?」


 てっきり、マリアの呪縛を打ち破っても、今度は前法術院院長のニルヴィナの妨害が入ると思っていた。

 しかし、敵意のないニルヴァナの微笑みに、拍子抜けしてしまうフェリユ。

 どうやら、マリアを追う覚悟を決め、呪縛法術を破った者の行動を、ニルヴィナは止めようとはしないようだ。

 むしろニルヴィナの微笑みは、生徒に「大変よくできました」と褒めていた時の、慈愛が満ちている。


 これは、ニルヴィナの試験だ。

 マリアを追う覚悟があるのか。

 広範囲、大人数を縛る深度の薄い呪縛法術を破るだけの実力が示せるか。

 資格の得られない未熟なものは、マリアを追っても足手纏いにしかならない。それどころか、獣の魔族が現れれば無駄な犠牲を生むだけになる。


 フェリユ以外の全員も、気付く。

 マリアの問いに覚悟を示し、実力を持った者だけが、この先に進めるのだと。

 フェリユに遅れて、実力のある上級戦巫女や上級巫女たちが次々に呪縛を打ち破り始める。

 しかし、男性の神官戦士たちは全員が拘束されたままだ。


 巫女たちはマリアの呪縛法術を、自らの法力で中和して打ち破った。

 即ち、これは一定以上の法力を宿し、自在に力を操れるかという試練でもある。

 だからだろう。法力を身に宿せない男性は、マリアの呪縛を打つ破るすべがない。

 それと、法力の弱い戦巫女や巫女たちもまた、マリアの呪縛法術を中和できずに拘束されたままだ。

 マリアから言わせれば、未熟者、ということになる。


 マリアを追えるのは、この呪縛を打ち破った者だけ。

 そして、呪縛を打ち破れない者たちに気を向けている余裕はない。


 ニルヴィナの見せる柔らかい気配から、フェリユは読み取る。

 おそらく、この場に残される者たちが危険な目にあったりはしないだろう。

 ニルヴィナも清く正しい女性だ。余計な殺生、特に聖職者を襲ったりはしないはずだ。

 フェリユの確信を裏付けるように、ニルヴィナは柔らかい笑みを浮かべたまま言う。


「呪縛を解いた方々は、どうぞマリア様をお追いください。ですが、くれぐれも覚悟をお忘れなく。……さて。この程度の呪縛を解けない未熟者たちには、少し教育が必要ですね? 神官戦士たちも、はなはなげかわしい」


 どうやら、荒事はないにしろ、ニルヴィナは未熟者と認定した者たちに指導をするようだ。


「ほどほどにお願いします!」


 対立するものに「ほどほど」などとお願いをしても良いものか、とは思うが。フェリユには、残された者たちを構う余裕がない。

 それで、生命の安全だけは大丈夫だろう、という確信を疑わず、先を見据える。


 マリアを追う。

 そして、真相を確かめるんだ!


 走り出すフェリユ。

 追従する上級戦巫女や上級巫女たち。

 そして、レイ。


「レイ!?」


 何故、法力を宿していない男性が呪縛法術を破れたのか。


「愚か者め。あの程度は、破る方法はいくらでもある。魔族や魔物であっても、呪縛法術は破れるだろう?」

「言われてみると?」


 法力で中和せずとも、呪縛法術は破ることができる。

 レイは簡単に言うが、レイ以外の男性神官戦士たちの中で呪縛を破れた者はいない。


 やはり、男性であってもレイはユラネトス家の者なのだ、とフェリユは納得すると、地下の大空間の先に延びる通路の先へと疾駆した。

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