女神の祝福

 レイクード・アズンが容赦なく襲いかかる。

 魔力の乗った猛獣の爪は触れるもの全てを引き裂き、石畳を破壊して大穴を開けた。

 しかし、そこにレイの姿はない。


「……貴様、今何をした?」


 一瞬前までレイクードの眼前に佇んていたはずのレイ。だが、今はもう、レイクードの遥か後方に立っている。


「幻影……ではないな? それでは?」

「魔族に己の能力を気安く口にする者などいない」


 レイは槍を構え、姿勢を落とす。


「それにしても。レイクード・アズンか。聞き及んだ名だな。たしか、五百年前の大戦乱の際に旧神殿都市を襲った二人の魔王のうちのひとりか」


 だがその魔王は共に、当時の者たちによって討伐されたはずだ。

 それが何故、今になって現れた?

 いや、そもそも本物のレイクード・アズンなのだろうか?


 レイは槍を構え、慎重にレイクードの様子をうかがう。

 レイクードは、空振りに終わった初撃を気にした様子もなく、大穴から腕を抜くと、ゆっくりと背後のレイへと向き直る。


「貴様の瞳が物語っておるわ。我が本物か? 何故、五百年後に現れたのか? くくくっ。その疑問を浮かべている時点で、貴様らは何も知らぬのだ。我のこと。そして、ルアーダの者どものことを」

「どういうことだ!」


 聖四家筆頭たるルアーダ家と、レイクード・アズン。この二者がどのように関わっているのか。

 同じ聖四家であるユラネトス家のレイでさえ知らない。

 レイクードは、レイの困惑を楽しむように豹の顔に笑みを浮かべる。


「兄だ妹だと、貴様や綺羅星の巫女はマリアのことを親しげに想っていたようだが。わらわせる。我から見れば、滑稽こっけいこの上ない。そのマリアは、貴様らのことをどう思っていたのだろうな? 永劫えいごうの闇を抱いたルアーダ家の当主としてな」

「貴様は……何を言っている!?」


 罠だ。

 レイクードは、言葉を交わすことによってレイの心を惑わせようとしている。

 魔族は、他者をもてあそび、甚振いたぶる。

 そうわかっていながらも、レイは動けない。

 聞かなければならない。

 罠と知っていても、レイクードからマリアやルアーダ家の秘密を聞き出し、真実を掴まなければならない。

 レイクードは、レイの心理を把握しているかのように笑みを浮かべ、言葉を紡ぐ。


「貴様は言ったな。我の目的は何かと。良いだろう、教えてやる」


 レイに向き直り、レイクードは笑みを浮かべながらゆっくりと四肢を動かす。

 狙い澄ました獲物との間合いを図るように、レイを中心として弧を描きながら歩くレイクード。


「我は五百年もの歳月を待った。我らに続き、魔族が人族に襲い掛かるその時を」


 そして、その時は訪れた。

 約三年前。魔王ユベリオラ率いる魔族の大軍勢が西の天上山脈を越え、人族の聖地である神殿都市を侵略しようと侵略してきた。


「だが、今代こんだいの魔王は余りにも弱すぎた。よもや、あの程度で巫女王に倒されるなど」

「言わせておけば。貴様とて、五百年前に倒された身だろう!」

しかり。我も人族に遅れを取った。であれば、今代の魔王を笑う資格はないか。それに、彼奴あやつのおかげで、我はこうして五百年ぶりに神殿都市の外へと出られ、自由を得たのだから、感謝すべきか? くくくっ」

「ま、まさか……!?」


 レイクードの言葉に、レイは驚愕に目を見開く。

 レイクードは、レイの様子を見て魔族らしく笑みを浮かべる。


さとい。貴様は、何者よりも聡い。気づいたのだな? 我が口にせずとも」


 では、言ってみろ。とレイクードはわざとらしく言う。

 レイクードがその気であれば、こうして言葉を交わすこともなく戦いになっている。それでも、レイクードはレイに言葉を向ける。

 それは、レイクードが絶対的な実力差でレイのことを見下しているからだ。

 レイもそれは知っている。

 そして、気付いた。


 レイクードの計画と、マリアとの関係を。


「貴様は……。マリアにき、己の野望のために利用したのだな!!」


 マリアは、強硬きょうこな手腕をもって神殿都市を導いていきた。

 聖女らしくない余りに強引なやり方に、長老巫女たちの反発を受けることも屡々しばしばだった。

 そして、最近では。

 大宝玉の奥に浮かぶ影と、大結界のほころびの修繕を訴えていたレイの意見は、マリアによってことごとく否定されていた。

 長老巫女たちもレイの意見を尊重するようにと、いつも苦言を呈していが……


「貴様は、五百年前から神殿都市の結界の内側に囚われていた。それを、マリアを利用して打ち破ったのだな!」


 よりにもよって、聖女マリアを利用するとは!

 いきどおるレイに、喉を鳴らして嗤うレイクード。


「今代の魔王がもう少し有能であれば、我は自力で神殿都市の大結界を抜け出ることができた」


 大結界は、外からの害悪を遮断するだけではない。内側に囚われた邪悪もそのまま閉じ込めてしまう。だからこそ、三年前の大戦時に神殿都市内に取り残された魔族たちは逃げ出すこともできず、神殿都市内に潜んでいるのだ。


「我ほどの者が大結界を抜けるには、まだ綻びが小さすぎた」

「それで、マリアを利用して……」

「貴様の計画を阻止し、目障りになった長老巫女を襲わせた」

「なんということを!!」


 レイは怒りに任せ、レイクードに突っ込む。そして、手にした槍を突き立てた。

 しかし、槍のきっさきはレイクードの表皮にさえ食い込まない。


「愚かしい神官だ。人族如きの武器で、我が傷つくとでも?」


 言って、前脚を振り抜くレイクード。だが、レイはまたしても一瞬でレイクードから距離を取り、間合いの外へと離れる。

 レイの不可思議な動きをいぶかしむレイクードだが、圧倒的に有利な立場を確信しているのか、悠然とした動きで、距離を取ったレイに向き直るだけ。

 自分からは追撃を仕掛けることなく、またも言葉を口にする。


「ひとつ、訂正をしよう。我が聖女に取り憑いた? くくくっ。違うぞ、ユラネトスの神官よ。我は、五百年前からルアーダに取り憑いていたのだ!」

「っ!!」


 言葉を失うレイ。


「我は五百年前に、確かに人族に遅れをとった。しかし、滅びることはなかった。何故ならば……。我はルアーダに取り憑き、この五百年もの間、かくまわれていたのだからな!」


 レイクード・アズンともうひとりの魔王が旧神殿都市を襲撃した、約五百年前の大戦乱。

 そのふたりの魔王を討ち倒したとわれているのは、当時巫女王だったルアーダの当主。

 しかし、レイクードの言葉を信じるのであれば、その時点で人々はだまされていたことになる。

 レイクードは、倒されていなかった。それどころか、ルアーダ家に取り憑き、五百年もの長き間、闇に潜んでいたことになる。


「ば、馬鹿な……」


 それでは、マリアは最初から利用されていたのか。マリアの実母カテリーナも、レイクードの存在を知っていながら、巫女王という座に就いていたのか。それどころか、過去五百年。ルアーダ家の者たちは……


「嘘をつくな!」


 レイは叫ぶ。

 レイクードの言葉を否定するように。

 魔族は、人の心を弄ぶ。

 わかっている。

 自分は弄ばれているだけだ。

 騙されてはいけない!


「そもそも、貴様のげんには間違いがある。五百年間、大結界に囚われていた? しかし、旧神殿都市の大結界を打ち破った者こそが貴様たちであり、現在の神殿都市を覆う大結界は、それ以降のものだ!」


 そうだ。レイクードはルアーダ家に取り憑く必要もなく、その身は自由だったはずだ。

 レイの指摘に、にたり、と笑みを浮かべるレイクード。


「どうだろうな? くくくっ。真実は何処どこにある?」


 レイの指摘を受けても尚、他者を弄ぶような笑みを浮かべ続けるレイクード。


「だが、貴様がどれ程に我の言葉を否定しようとも、変えられぬ事実は残される。長老巫女を殺したのはマリアであり、我の復活のために様々な計略を練ったのも、あの女だ」


 大結界の綻びが修繕されてしまえば、レイクードは神殿都市から抜け出せなくなる。それを妨害するために、マリアは朝議で強硬な手腕をもってレイの意見を退け続けた。

 邪魔な長老巫女を殺害し、旧神殿都市跡に魔族の残党を見つけたと、レイを結界殿から引き離した。


口惜くちおしむべきは、あの大宝玉を破壊し損なったこと。我の爪でさえ、あの宝玉を砕くことはできなかった。しかしこうして、傷物になった大宝玉が広げた大結界の綻びから抜け出すという目的は達せられた」


 くつくつと喉を鳴らして嗤うレイクード。


一玉二乱いちぎょくにらんとは、よく云ったものだ。我があの大宝玉を破壊できなかったことを、貴様らはこの先にやむことになるだろう」

「どういうことだ!?」


 耳を傾けでは駄目だ。とわかっていながらも、レイはレイクードの言葉に反応してしまう。

 レイクードは、そうしたレイの反応を楽しむように、ゆるりと尻尾を揺らす。


「無知。無力。貴様らの罪により、聖女は堕ちた。くくくっ。愉快だ。あの綺羅星の巫女も、己の無能さになげき悲しむことだろう」


 しかし、とレイクードはようやくレイを真正面から睨む。


「まずは、貴様からだ。この我を前にひとりだけで対処すると豪語した愚かさを思い知らせてくれよう」


 言ってレイクードは、魔力を解放させる。

 瘴気と合わさり、レイクードの全身を白銀の光が包み込む。

 そして、閃光と共にレイへと一瞬で迫るレイクード。魔力の籠った爪を、反応できずに身動きさえ取れないレイに振り下ろす。


「っ!?」


 しかし、またしてもレイクードの一撃は空を斬る。

 レイは、完全に反応できていなかった。だというのに、気付けばレイはレイクードの凶暴な爪を回避し、あまつさえ懐に入り込んで、槍を放つ。

 だが、レイの攻撃もまた、レイクードには通用しない。

 渾身こんしんの一撃で放った槍の鋒は、レイクードの表皮に食い込むことさえできない。


「人族如きのなまくら武器が我に通用するものか!」


 咆哮を放ち、レイクードはレイを噛みちぎろうと牙を向く。

 それでも、次の瞬間には、レイはレイクードの間合いから離れた場所に立っていた。


「どういうことだ?」


 レイの不可思議な動きに、喉を低く鳴らすレイクード。

 レイは、レイクードがその凶器を振り下ろす瞬間まで、反応できていない。だというのに、気付けばレイは必ずレイクードの牙や爪を掻い潜り、反撃か距離を取っている。


「愚かであるのは、貴様の方だ。マリアがルアーダの秘密を私たちに漏らさなかったように、私とて他者に秘密にしていることはある」


 そう言うと、レイは槍を構えてレイクードへ突進する。


「正面からとは、舐められたものだ!」


 にたり、と笑みを浮かべるレイクード。

 そして、魔法を放つ。


「我が牙も爪も、貴様の不可思議な能力によって回避される。しかし、全方位へ向けて魔法を放てば、回避の余地はないだろう!」


 万が一、その魔法さえも回避するほどの能力だとしても。レイの持つ槍では、レイクードを傷つけることはできない。

 どちらにしろ、レイクードがレイに遅れをとることはない。

 そう、レイクードは確信した。


 しかし。


「っ馬鹿な!?」


 驚愕の声を上げたのは、レイクードだった。


 全方位に放ったはずの魔法が、打ち消された。

 そして、己の腹部に深々と突き刺さった槍に、レイクードは驚愕する。


「何故だ? なぜ、魔法が打ち消された? 我は、かつては魔王の座に在った者だぞ! その我の魔法を……? それだけでなく、何故に貴様の武器が我に!?」


 ごふり、と真っ赤な血を吐くレイクード。

 槍はレイクードの表皮を深く貫き、内臓にまで達していた。


「人族如きの武器? ああ、その通りだとも。私の武器は、貴様ら魔族から見れば鈍でしかない。だがな!」


 と、槍をひねるレイ。

 身体の内側で凶器が暴れ、激痛にレイクードが悲鳴をあげる。


「その油断こそが、貴様の命取りになるのだ!」


 叫ぶレイの周囲に、月光矢げっこうやが出現する。


「ば、馬鹿な!? 法術は洗礼を受けた巫女のみの……。そうか、貴様っ!!」


 叫び、凶暴な爪を振るうレイクード。

 しかし、間合いにはもうレイはいない。

 レイは遠く離れた間合いの外から、月光矢を放つ。

 そのレイの手に持つ槍の刃が、満月色に輝いていた。


 レイクードは、放たれた月光矢を回避しようと動く。しかし、全身を呪縛する影が足もとに広がり、自由を奪う。

 レイクードは怒りと魔力の乗った咆哮を放ち、呪縛の影を破壊する。そして、憎々しげにレイを睨んだ。


「貴様!」


 そして、レイの秘密を叫ぶ。


「法力を先天的に身に宿す男。……よもや、貴様の正体は神子みこか! そして、その武器に付与された満月の輝きは……神子のみに与えられた奇跡、女神めがみ祝福しゅくふくだな!?」


 レイクードの咆哮に、レイは油断なく身構えたまま、冷たく言い放つ。


「はたして、私の秘密はそれだけだろうか?」


 誰にも。妹のようなマリアやフェリユにさえ秘匿してきた真実。

 翠雨すいう神子みこたるレイは、満月色に輝く槍と法術を同時に繰り出した。

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