聖女の覚悟

 フェリユは、セドリアーヌの邸宅で見つけた耳飾りを握りしめて、ルアーダ家の屋敷へと向かう。

 フェリユを補佐するために追従する戦巫女の表情も暗い。


 神殿都市の全ての者が敬愛する「聖女」マリア。

 いかなる時でも巫女然とした佇まいを保ち、人々に慈愛をもって接する。

 何者よりも人々に優しく、誰よりも自分に厳しい。


 かつて。マリアがまだ幼かった時代。

 マリアが守護殿に見習いとして配置されたばかりの頃に、ある事件が起きた。

 巫女の殺害。

 人々が集まり暮らす神殿都市だ。聖職者であっても、時には事件を起こし、事故に巻き込まれることもある。

 それでも、聖職者が殺害されるという事件はまれであり、事件当時は大きな騒動となった。


 そして、犯行者としてひとりの神官が逮捕される。

 だが、神官は自分ではない、と最後まで主張し続けた。

 それでも、証拠がそろっていた。犯行現場に残されていた凶器は、神官の物。また、逮捕された神官が、殺害された巫女に以前から言い寄っていた、という目撃情報もあった。


 誰もが、神官を犯人だと決め、司法殿で裁判が速やかに進みられていた。


 しかし、マリアだけは神官の言葉に耳を傾け続けたという。

 確かに、物的証拠や目撃証言はある。それでも、幼いマリアは神官の言葉を信じ、調査を行った。

 誰もが、マリアのこの行動に疑問を持ったという。

 なぜ、犯人の言葉を信じるのか。なぜ、殺害された巫女の哀しみではなく、凶悪犯の肩を持つのかと。

 無駄なことをしている。世の中のことを理解していない子どもだと後ろ指を指す者もいた。

 それでも、マリアは調べ続けた。


 そして、決定的な証拠を見つける。

 誰もが軽視していた物。

 実は、犯行現場にはもうひとつ、証拠が残されていた。

 破れた生地。

 当時、捜査にあたっていた者たちは、凶器となった短剣だけに目を向けて捜査を行い、神官を捕縛していた。

 たが、マリアは破られた生地に着眼し、調べを続けた。


 破られた生地は、ある女性の巫女装束だった。

 なぜ、その女性の装束の切れ端が現場に残っていたのか。

 マリアは、孤独に調べ続けた。

 そして、遂に。破れた生地の持ち主である女性から、マリアは証言を得る。


 女性は、殺害された巫女と出世を争う立場にあった。それで、神官が何度か言い寄る姿が目撃されていることを利用し、巫女の殺害という犯行に及んだのだ。


 真犯人の出現。しかも、それを幼いマリアが調べ上げたこと。

 真犯人の女性は、マリアの辛抱強い説得に応じて、自ら出頭した。

 濡れ衣を着せられた神官は、嫌疑が晴れて釈放された。


 人々が犯人と決めつけていた者に対しても、平等な視線を向け続けたマリア。また、真犯人を力で取り押さえるのではなく、真心を込めて説得し、自首にまで導いた功績。


 マリアのことを最初に「聖女」と讃えたのは、この濡れ衣を着せられていた神官と、真犯人として自首をした巫女だとわれている。


 神官は、今でもマリアのことを深くうやまっている。

 女性も、服役の身の中で、マリアを敬愛し続けている。

 マリアは、人々に愛され、とうとばれている。

 神殿宗教が正式に「聖女」とは認定していないが、それでも人々はマリアのことを「聖女」と云うのだ。


 そのマリアに、深い嫌疑がかけられていた。

 聖女は堕ちる。その伝承に引きられた者たちが、マリアに要らぬ疑いを持っている。

 なんてことを言うのだろう。とフェリユはいきどおってしまう。

 これまで、マリアのおかげで誰もが平穏に暮らせてきた。

 三年前に、マリアが魔将軍を撃退し、魔族軍を退けたからこそ、今の神殿都市は在る。もしもマリアがいなければ、たとえ魔王を打ち倒せたとしても、神殿都市は魔族軍に破壊し尽くされていただろう。

 復興に向かう現在も、マリアが私財をなげうって食糧や物資を各地から集めているから、人々は飢えずに前へ進めている。


 それだというのに、今更になってマリアのことを「聖女だから堕ちる」と都合よく言うのか。

 許せない!

 マリアの想いと功績を踏みにじる者たちの悪意ある言葉なんて、信じない。

 フェリユは、神殿都市に僅かに蔓延まんえんし始めている悪意を断つために、ルアーダ家を訪れる。


 玄関先の、呼び鈴を鳴らす。

 程なくすると、ルアーダ家の側仕えの巫女が屋内から姿を現した。


「ねえ、マリアは?」


 笑顔で聞くフェリユ。

 しかし、側仕えの巫女は、逆に表情を固くする。


「……フェリユ様。お連れの方々と共に、どのようなご用件でこちらに?」


 フェリユの質問には答えずに、逆に問いかける側仕えの巫女。


「あたしは、ちょっとマリアに用事で。ねえ、マリアは?」


 開かれた玄関戸から、屋内を覗こうとするフェリユ。その視線を、側仕えの巫女がさえぎるように身体を動かす。


「? ねえねえ、マリアはどうしたの? もう、朝議に向かった? ミレーユはいる?」


 と、屋内にまで届く声で質問するフェリユ。

 しかし、側仕えの巫女は困ったようにフェリユから視線を逸らすだけで、応えようとしない。


「ねえってば!」


 フェリユは強引に側仕えの巫女を押し除けて、ルアーダ家の屋敷の中へ入る。

 あっ、と声を漏らす側仕えの巫女に構うことなく、フェリユは廊下の先へ進む。

 すると、奥からミレーユが姿を現した。


「フェリユおねえちゃん」

「ねえ、ミレーユ。マリアは? ちょっと聞きたいことがあるんだ。まだ朝議には早いし、家にいる?」


 笑顔で問うフェリユ。だが、ミレーユもまた、側仕えの巫女のように少し困った瞳で、フェリユから視線を逸らす。


 たまらなく不安が込み上げてくる。

 なぜ、今朝に限ってルアーダ家の者たちがこれほどまでに余所余所よそよそしいのか。

 昨夜、仲良く一緒に夕食を食べたばかりではないか。

 自分はいつもルアーダ家に遊びに行くし、ルアーダ家の者たちもフェリユを家族の一員のように扱う。

 それなのに、今朝に限って、どうしてそれほどまでに自分から視線を逸らすのだ。


 なぜ、マリアの所在を答えてくれないの?


「フェリユおねえちゃん……」


 視線を彷徨さまよわせるミレーユの姿は、どう言葉をつむげば良いのかと思案するそれだ。

 フェリユは、その仕草にも不安をつのらせる。

 ミレーユは、洗礼を受けた巫女ではない。だから、嘘を言ってもいい。しかし、マリアの実妹として、ミレーユは洗礼を受けた巫女ではなくても、嘘を言わないし、誰かをだましたりもしない。

 そのミレーユが、フェリユの質問に答えずに、言葉を詰まらせている。


 なぜ?

 あたしの質問は、そんなに難しいことなの?

 なんで、言えないことがあるような素振りを見せるの?

 なんで!?


「ねえ、なんで!」


 無意識に、フェリユはミレーユの両肩を強く掴んでいた。


「い、痛いよ、フェリユおねえちゃん」

「あっ、ごめん!」


 苦痛に顔をしかませたミレーユに慌てて謝罪し、肩から手を離すフェリユ。

 しかし、それでもミレーユはマリアの所在を口にしない。


「……ミレーユ、ごめん。マリアの部屋に行くね?」


 あっ、と小さく声を漏らし、フェリユを止めようとするミレーユ。だが、おっとりと動くミレーユには、素早く廊下の奥へ進んだフェリユを止めることはできなかった。

 フェリユは迷うことなく廊下を進み、マリアの部屋へと向かう。

 途中、ルアーダ家に仕える巫女が何人か現れたが、フェリユを制止することはできなかった。


「フェリユおねえちゃん、待って!」


 ミレーユが必死に追いかけてくるが、フェリユは止まらずに進む。そして、マリアの部屋の前へと到着するフェリユ。


「ねえ、マリア。いるんでしょ?」


 いるなら、返事くらいしてよね? と、扉を叩くフェリユ。

 しかし、室内からの反応はない。

 もう一度、扉を叩く。

 だが、やはり反応は返ってこない。


 世界の違和感を読み取れるようになったフェリユ。

 それでも、扉越しの室内からは誰の気配も読み取れない。


「マリア……」


 どこへ行ったの?

 台所? 居間? 食堂?

 きっと、屋敷の違う場所にマリアは居るんだ。そう思い、意識を広げるフェリユ。

 しかし、誰よりも身近に感じるはずのマリアの気配は、屋敷のどの場所にもない。


「フェリユおねえちゃん……」


 ようやく追いついたミレーユが、そっとフェリユの巫女装束のすそを掴む。


「ねえ、ミレーユ。マリアは?」

「マリアおねえちゃんは……」


 視線を泳がせるミレーユ。


「あのね。実はこれをマリアに見てもらいたかったんだ」


 フェリユは、視線を合わせようとしないミレーユへ、いつの間にか強く握りしめていた耳飾りを、そっと手を開いて見せる。


「ねえ。これはマリアの耳飾りじゃないよね? マリアはどこにいるのかな? マリアは、今日も左耳に伝心玉の耳飾りをしていたよね?」


 ねえ、答えて? と優しく問いかけるフェリユのてのひらに乗った耳飾りを、ミレーユはそっと手に取る。

 そして、小さく首を横に振った。


「これは、ルアーダ家に伝わる伝心玉だよ。マリアおねえちゃんの耳飾りだよ」

「うそだ!」


 咄嗟に、フェリユは叫んでしまった。

 フェリユの叫びに、びくり、とミレーユが震える。


「……ご、ごめんね、ミレーユ。でも、きっと間違いだよ?」


 これは、マリアの物ではない。ミレーユは見間違えているんだ。

 しかし、ミレーユは俯いたまま、もう一度だけ首を横に振る。


「あのね、ふぇりゆおねえちゃん……」


 そして、とても言い辛そうに。とても申し訳なさそうに、小さな声で言葉を紡ぐ。


「フェリユおねえちゃんは、マリアおねえちゃんを信じられる?」

「信じられるよ!」


 即答するフェリユ。


「それじゃあ、フェリユおねえちゃんは、マリアおねえちゃんが取った選択肢を支持できる?」

「当たり前だよ?」


 姉のようなマリアに、全幅の信頼を寄せている。

 マリアはいつも清廉で、いつも正しい道を示してくれる。

 いつだって、フェリユはマリアの背中を追えば、必ず正しい方向へと導いてくれるのだ。

 そう確信しているフェリユに、しかしミレーユは悲しそうに微笑み返した。


「あのね……。マリアおねえちゃんは最後に、こう言ったんだよ。もしもフェリユおねえちゃんが自分を盲信しているようなら、それは間違えだって」

「最後に? ねえ、ミレーユ。どういうこと?」


 ミレーユの言葉が耳に入ってこなかった。

 最後とは、どういう意味だろう?

 聞き返すフェリユに、ミレーユは表情を曇らせたまま、続きを口にする。


「あのね……。マリアおねえちゃんたちは、もう帰って来ないんだよ?」

「えつ!?」


 意味がわからない。

 さっきから、ミレーユの言葉が理解できない。

 ミレーユは、いったい何を言っているの?


 気づくと、フェリユはまたミレーユの肩を掴んでいた。


「ミレーユ、言って。マリアはどこ? 今、何をしているの?」


 ミレーユの肩を揺さぶり問いただすフェリユに、ミレーユは涙を零し始めながら、マリアの最後の言葉を伝えた。


「あのね。マリアおねえちゃんがフェリユおねえちゃんに伝えてほしいって。……聖女としての清算をつけなければいけない。って」


 フェリユは息を止め、瞳を大きく見開いたまま硬直していた。


 ミレーユは、何を言ったの?

 聖女の清算?

 それは、どういう意味?


 フェリユだけでなく、追従してきた戦巫女たちもまた、思考が停止したように固まっていた。

 ルアーダ家に仕える巫女とミレーユだけが、焦燥感を漂わせる表情で、フェリユたちを見つめていた。


「フェリユ様」


 と、筆頭側仕え巫女のマチルダがミレーユの続きを口にする。


「マリア様は、旧神殿都市跡に向かわれました。もしも……。もしもご自身でマリア様のご覚悟を見届ける勇気があるので御座いましたら、どうかお急ぎください」


 ただし、とマチルダは視線だけで人を射抜くほどの鋭い眼光で、フェリユを見る。


「万が一にも、マリア様のご覚悟を踏みにじる程度のお気持ちなのでしたら、どうかこのままこちらに滞在してくださいませ」


 マチルダは、ルアーダ家の筆頭側仕え巫女として、ミレーユを庇うようにフェリユとの間に割り込む。

 そうして、フェリユに問う。


「聖女」マリアを追えるのか、と。


 もしも聖女を追い、マリアに接触するのなら。フェリユは覚悟しなければならない。

 聖女の行く末を見届ける、という覚悟を。

 僅かにでも覚悟が揺らぐ程度の心ならば、ルアーダ家にこのまま滞在し、事が終わるまで待つ方が良い。

 マチルダはそう言っている。


「マリアは……。聖女だけど、それは……!」

「いいえ、フェリユ様。マリア様は、まごうことなき正真正銘の『聖女』でございます」


 違う、と否定ができない。

 聖女と讃えられ、誰からも愛されるマリアを否定することになる。

 だが、神殿宗教に正式に認められた「聖女」とは違う。

 正式な聖女ではない。しかし、やはりマリアは聖女なのだと、フェリユも信じている。


 では、自分は何と答えれば良いのか。

 苦悩するフェリユに、ミレーユがそっと手を伸ばす。


「あのね。フェリユおねえちゃんとわたしの星は、何時迄いつまでもマリアおねえちゃんの星の傍で輝き続けるんだよ?」

「ミレーユ……」


 いつか見た星空。

 ミレーユは、フェリユとマリアに未来を詠んだ。


「あのね、マリアおねえちゃんはフェリユおねえちゃんの気持ちを『間違い』だって言ったけどね? わたしは間違っていないと思うんだよ? だって、フェリユおねえちゃんがマリアおねえちゃんを信じ続けてくれたからこそ、星の輝きは明確に道を示してくれているのだから」


 フェリユに追従してきた戦巫女たちにはわからない。

 しかし、フェリユや側仕えの巫女たちといったごく一部の身内だけが知っている事がある。


 ミレーユの言葉に、フェリユは頷く。


「あたし、マリアを追う。そして、すべての真相を確かめる!」


 フェリユは涙を流していた。

 マリアの「聖女」としての覚悟を見届けなければならない。

 それが、どのような結末に繋がっているのかはわからないが。

 それでも、前に進まなければいけない。

 星詠みの巫女が詠む未来を掴むために。


「フェリユおねえちゃん。マリアおねえちゃんをお願いします」


 ミレーユは泣いていた。

 きっとミレーユは、フェリユに伝えたこと以上に、もっと多くのことを詠んでいるのだ。

 ミレーユが泣くような未来が、これから待っている。

 それがマリアを信じ抜いた結果なのだとしても、フェリユは進まなければならない。


「任せて。行ってきます」


 フェリユは戦巫女たちを引き連れて、ルアーダ家を後にした。

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