伝心玉の耳飾り

 神殿都市に更なる衝撃がはしったのは、獣の魔族が結界殿を襲撃した翌日の早朝だった。


 側支えの巫女に「火急かきゅうの要件でございます」と起こされたフェリユは、事件を知り慌てて身支度を整えると、ノルダーヌ家の邸宅を飛び出した。

 巫女としての所作しょさも二の次で、移動法術「星渡ほしわたり」を駆使し、現場へと急行する。

 途中、すれ違う巫女や神官たちが顔面蒼白で右往左往している姿が目に飛び込む。

 だが、彼らに構っている余裕はない。


 フェリユは、セドリアーヌの邸宅へと急行した。


「フェリユ!」


 セドリアーヌの邸宅に到着すると、既に守護殿の巫女頭ネイティアと大神官のレイが玄関前に到着していた。


「二人とも、中の様子は?」


 挨拶もそこそこに、フェリユが問う。


「私もいま来たところだ」

「フェリユ様、レイ様。同じく私も、こちらへ到着したばかりです」


 と顔を見合わせる三人とは別に、もうひとり。

 玄関前には、おびえ震える巫女が、同僚の巫女に介抱されながら座り込んでいた。


「丁度良い。この側仕えの巫女から、話を聞こうとしていたところだ」


 レイにうながされ、座り込んでいた巫女が震える足でなんとか立ち上がる。「無理はなさらずに」とネイティアが優しく声を掛けるが、側仕えの巫女は首を横に振って、フェリユとレイとネイティアに話し始める。


「今朝……。つい、先ほどのことでございます」


 側仕えの巫女は、長老巫女セドリアーヌの身の回りの世話を担当する、女性だった。

 側仕えの巫女は今朝もいつものように、セドリアーヌの支度を手伝うために、寝室を訪れた。

 そして、殺害されたセドリアーヌの遺体を発見したのだという。


「現場へ行きましょう」


 側仕えの巫女は、まだ混乱と恐怖から完全には立ち直っておらず、更に詳しい聴取は、今の状態だと難しいだろう。

 介抱する巫女に付き添われてセドリアーヌの邸宅を後にする側仕えの巫女を見送ると、ネイティアがフェリユとレイに声を掛ける。二人は頷くと、邸宅内へ足を向けた。


 セドリアーヌの邸宅は、高位巫女の住まいとして相応しい大きさと、敷地の広さを持つ。

 屋敷の規模に応じて、側仕えの巫女や神官の数も増えるが、しかしセドリアーヌの邸宅にはあまり多くの者は仕えていない。

 セドリアーヌ自信が「引退した身です。最小限の人員で構わないでしょう」と控えめに申し出たからではあるが、それでも連日の事件によって、護衛の増員は図られていた。


 では、その護衛の巫女たち、即ち、フェリユ麾下の戦巫女や神官戦士たちはどうなっているのかと、戦巫女頭のフェリユは不安に駆られながらセドリアーヌの邸宅に踏み入った。


「みんな!」


 すると、広い玄関間に横たわる戦巫女やうずくまる神官戦士たちの姿を捉え、フェリユはたまらず駆け寄る。

 戦巫女や神官戦士たちの何人かが、フェリユの姿を確認すると立ち上がって深く頭を下げた。


「申し訳ございません……。私どもは何も役に立てず……」


 いの表情が深い神官戦士を労い、無事を確認するフェリユ。

 戦巫女や神官戦士たちは、誰もが見知った顔だ。その見知った者たちの、疲弊や悔しさがにじむとはいえ、生存している姿を見れて、フェリユは少しだけ胸を撫で下ろす。

 生きてくれていて、良かった。


 だが、護衛対象者であるセドリアーヌは……


「少し、良いだろうか?」


 レイは戦巫女や神官戦士たちを見渡しながら、声を掛ける。


「見たところ、誰もが憔悴しょうすいしきってはいるが、怪我を負ったような者はいないな?」

「はい、私どもは侵入者に手も足も出ず……」


 はじいるように項垂うなだれる戦巫女に「君たちが生きてくれていて良かった」と声を掛けながら、レイは状況を確認する。

 戦巫女は、涙を零しながら、自分たちの事を語った。


 昨日。戦巫女頭フェリユの指示で、各施設や結界殿、そして要人に対しての警護強化が指示された。

 セドリアーヌの邸宅にも、五人の戦巫女、十人の神官戦士、そして三人の巫女が配置された。

 だが、護衛についた者たちは、何もできなかった。


 セドリアーヌは、フェリユとレイの訪問後、夕食を摂るとすぐに寝室へ入ったらしい。

 もちろん、護衛の戦巫女も寝室へ同行し、神官戦士は周囲の警戒に当たっていた。

 しかし。

 護衛として配置された者たちだけでなく、邸宅内で奉仕にいそしんでいた巫女たちの意識は、気づけは朝まで途切れていたという。


「まさか、誰も犯行時に意識を保っていなかったのか!?」


 レイの驚愕に、そんなっ、と息を呑むフェリユ。

 アネアとカトリーゼという、二人の長老巫女が殺害された。では次も、と誰もが不安を抱いていた。それは、フェリユも同じだ。

 だからこそ、セドリアーヌや他の長老巫女たちの護衛には、腕の立つ者を配置していた。

 しかし、その練達な戦巫女や神官戦士が、重要な護衛を担っている最中に、本人たちが気付くことなく意識を奪われていた?

 そんなはずはない、と叫びそうになるフェリユ。だが、実際にはそれが現実なのだ。


 玄関として利用されている広間に未だに倒れ込んでいる戦巫女は、まだ意識が朦朧もうろうとしているのか、フェリユたちの到着にも反応できていない。

 立ち上がって対応している者でさえ、顔色が悪い。

 セドリアーヌの邸宅に詰めていた者たちは、侵入者の何かしらの手段によって、全員が今朝まで昏睡されられていたのだ。


 そして侵入者は、邪魔な護衛者や目撃者になりそうな側仕えの巫女たちを易々と排除し、目的を達した。


 フェリユとレイとネイティアは、強張った表情でセドリアーヌの寝室へと入る。

 セドリアーヌの寝室には、既に検死を担う巫女と神官たちが到着していた。

 そして、寝台側に人集りを作り、誰もが暗い表情を浮かべる。

 巫女のひとりが三人の姿に気付き全員に声を掛けた。


「まずは、お亡くなりになったセドリアーヌ様に、冥福を祈りましょう」


 ネイティアがとむらいの祝詞を奏上し、他の者たちが続く。

 全員で深い祈りを捧げ、セドリアーヌが死後に女神の膝もとへ導かれ、安寧が得られるように願う。

 そうして、フェリユたちはセドリアーヌの遺体と対面した。


「っ!」


 息を呑むフェリユ。

 寝台の側に倒れたセドリアーヌの遺体は、アネアやカトリーゼと同様に、左肩から下腹部に掛けて一刀に斬られていた。

 傷口は深く、下腹部は背中まで傷が達している。

 飛び散った血飛沫ちしぶきは天井まで届き、寝台と床を真っ赤な血の池に変えていた。

 そして、驚愕に見開かれたような瞳は、生命の光を失い、虚空こくうに向けられてた。


「……いったぃ、セドリアーヌ様はその瞳で、最後に何を見られたのだろうな」


 セドリアーヌの傍に屈んだレイが、見開かれたままの瞳にそっと手を添えて、閉じさせる。

 セドリアーヌが生前最後に見たもの。何故、驚愕の表情を浮かべていたのか。

 フェリユは自身の腕を抱き、震える。


「今回もまた、袈裟懸けに一刀諸共に斬られていますね。ということは、やはり結界殿を襲撃した獣の魔族とは違う犯行者ということになるのでしょうか?」


 ネイティアの疑問に、レイが考え込む。


「確かに、傷痕だけを見れば別々の者による犯行に思える。だが、犯行者は別であっても、共犯の可能性はあるだろう」


 獣の魔族は、主戦力が旧神殿都市跡に出払っていたとはいえ、易々と結界殿に侵入して襲撃を仕掛けた。

 であれば、セドリアーヌの邸宅へも気付かれることなく侵入できたはずだ。そして獣の魔族が邸宅内の邪魔者を魔法によって昏睡させ、共犯者が犯行に及んだ。と推理するレイに疑問を呈したのフェリユだった。


「ちょっと待って。それって変じゃない?」


 もしも、獣の魔族がセドリアーヌの邸宅に侵入したとしたら。手っ取り早く、獣の魔族がセドリアーヌを殺害すれば良かったのではないか。

 それと、もうひとつ。

 犯行者は何故なぜ、護衛の戦巫女や神官戦士、そして側仕えの巫女は殺害せずに、昏睡させただけだったのか。


「私もよろしいでしょうか? 犯行者は邸宅内の者たちを全て、気付かれずに昏睡させたのですよね? であれば、普通ならば抵抗されるとわかっているセドリアーヌ様も最初から昏睡させてしまうのでは?」


 だが、セドリアーヌは昏睡していなかった。

 驚愕に大きく見開かれていた瞳は、殺害される前に確かにセドリアーヌが意識を保っていたことを意味する。


「単純に、セドリアーヌ様には昏睡の手段が通用しなかった、とも考えられるが……。確かに、ネイティアの疑問もフェリユの疑問ももっともな意見だな」


 検死を行なっていた巫女や神官たちも、困惑したように互いの顔を見つめ合う。


「それと、もうひとつ。今回もまた、争った形跡が見当たらない」


 あっ、と寝室を見渡してフェリユは頷く。


 そうだ。

 セドリアーヌの寝室には、争った形跡は見当たらない。

 血飛沫が派手に飛び散ってはいるものの、家具が倒されたり破壊された様子はなく、寝具の乱れもない。


 ありえない、と誰もが思ってしまう。

 最初に殺害されたアネアであれば、不意に対応できなかった、と納得できるかもしれない。次に殺害されたカトリーゼも、抵抗する隙もなく殺されたのだろうか、と強引に推測することはできる。

 だが、セドリアーヌは違う。

 最初から、警戒していた。

 更なる犯行を懸念し、フェリユ麾下の戦いに特化した戦巫女や神官戦士が護衛に就いていた。

 セドリアーヌ自信も、襲撃の可能性をしっかりと認識していたはずだ。

 それでも、抵抗することなく殺された?


 いや、とフェリユは否定する。


 違う。

 セドリアーヌ様も、警戒をおこたってはいなかったはずだ。

 でも、それでも抵抗できなかった?

 何かに驚いて、反撃の機会を失ったのではないか。


 では、セドリアーヌは何に驚き、抵抗できなかったというのだろう?


「争った形跡は見当たらないが……。現場検証は必要だろう。フェリユ、ネイティア、周りを調べてみよう」


 レイに促され、二人以外にも現場検証の巫女や神官たちが動きを再開させる。


「何か、犯行の手掛かりは……。犯行者の証拠とかは……」


 ある者は、遺体周辺を。ある巫女は寝台やその周りを。ある神官は、血の飛び散った窓掛けや壁を。誰もが黙々と現場を調べる中、フェリユは応接用の家具周りを調べる。


 最初の被害者となったアネアは、誰かと密会していた可能性がある。

 ならば、セドリアーヌも密かに何者かと会っていた可能性はないのか。


 応接の机の上は綺麗に片付けられ、飲み物の器さえ置かれていない。

 柔らかい生地の長椅子にも、汚れひとつない。

 巫女として几帳面だったことをうかがわせる、セドリアーヌの身の回りの調度品。

 就寝前ということもあったのか、何処どこにも散らかった様子はなく、来客があったようには思えない。

 そもそも、セドリアーヌの寝室にも護衛の戦巫女が入っていたのだから、密会などできるはずがないのだ。


 証拠は見当たらない。

 そう思いつつも、フェリユが長椅子の下を覗き込んだ時。

 夏用の短い毛並みの床敷に落ちている小物を見つけ、フェリユは咄嗟とっさつかみ取って、ふところに隠そうとした。

 それを、レイが腕を掴んで押える。


「フェリユ」

「えっ? なに?」


 目を泳がせるフェリユの腕を強く掴んだまま、レイは鋭く声を掛けた。


「その、手の中に隠した物を見せなさい」

「えっ? 何のこと?」

とぼけてはいけない」


 レイの強い眼差しに射抜かれて、フェリユは硬直してしまう。

 固まったフェリユの握り締められた手を、レイが男性の力でゆっくりと解いていく。


「レイ、痛い! これは、何でもないよ?」

「何でもないと言うのなら、素直に見せなさい」


 と、レイがフェリユの手の中から取り出したのは、ひとつの耳飾り。


「……これは」


 険しい表情になるレイ。


「フェリユ」


 レイに名前を呼ばれたフェリユは、咄嗟に視線を逸らしてしまう。

 だが、レイは構わずに言う。


「今すぐに、ここでマリアへ連絡を取ってみせなさい。伝心玉でんしんぎょくを使って」

「レイっ!」


 何でそんことをあたしがしなきやいけないの、と抗議の声を上げるフェリユを、しかしレイは険しい表情のまま見つめていた。


「そんな……。なんで……?」


 狼狽に視線を泳がせるフェリユ。

 それでも、レイはフェリユに改めて言う。


「マリアへ、伝心玉を使って連絡を。この件の詳細を報告しなさい」


 レイに見据えられ、フェリユは身体を硬直させる。

 兄のようにしたっているレイ。

 マリアのことを誰よりも知っているように、レイのこともよく知っている。

 こういう表情を見せる時のレイは、本気なのだ。

 自分をいつもしかる時ような、兄のような優しさはない。大神官として、レイはフェリユに話しかけているのだ。


 レイは、フェリユがマリアに連絡を取るまでは、この状態を解かないだろう。

 フェリユは、硬直した身体を何とか動かすと、激しく震える左手で、左耳に垂れる耳飾りに触れた。そして、法力を流し込み、声を掛ける。


「マリア。ねえ、マリア? お願い、返事をして!」


 伝心玉を持つ者同士は、遠く離れていても言葉を交わすことができる。

 フェリユの声は、マリアに届いているはずだ。であれば、あとはマリアが自身の伝心玉に法力を流し、返信の声を発するだけで良い。


 だが、フェリユの声に返答はない。


「フェリユ」


 レイが、フェリユの手の中から奪った小物、青色を基調とした耳飾りを示す。


「これは、マリアの伝心玉なのだろう?」

「違うよ!」


 フェリユは、咄嗟に叫んだ。

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