新月はもう間もなく

 巫女頭や高位の聖職者の邸宅内で奉仕する巫女や神官は、見習いの者が多い。

 正式な巫女や神官になるためには、神殿都市中層部に設けられた学舎まなびやに通わなければならない。多くの者はその際に、学舎に併設された宿舎で寝泊まりをしながら規則正しい生活と勉学にはげむことになるが、中には高位の聖職者の邸宅を間借りし、そこで側仕えとして奉仕や修行を積み重ねながら、給金を得て生活する見習いもいる。


 しかし聖四家では、専属の巫女と神官が仕えていた。

 学舎を卒業した者が外政殿や内政殿に入って聖務に就くように、聖四家の側仕えとして、正式な巫女や神官が邸宅の管理を行っているのだ。


 そしてルアーダ家には、常時十人の側仕え巫女が滞在していた。

 彼女たちは邸宅内で普段から寝泊まりし、昼夜を問わずルアーダ家に奉仕する。

 だからだろうか。屋内では、まるで大家族のように全員が親しく生活していた。

 側仕えの巫女だからといって、ミレーユやマリアが見下すようなことはない。むしろ、生活を共に送るものとして、平等に接している。


 夕食も、もちろん全員が揃ってる。

 交代制で食事を作り、全員分を食卓に並べて、仲良く食べる。

 フェリユもまた、幼い頃よりルアーダ家の屋敷に出入りしていたため、この習慣は当たり前のものとして受け入れていた。


 今日はミレーユの体調が良く、それで台所に立ったのだろう。たとえ聖四家の者であっても、できる限り家事は担う。フェリユが幼かった頃にも、当時の巫女王だったカテリーナは体調が良いと必ず、夫や娘たち、そしてフェリユや側支えのために朝夕の食事を作っていた。


 もちろん、ルアーダ家に日頃から出入りしているフェリユも、手が空いていれば食事の準備を手伝う。

 フェリユは、ミレーユと共に山羊やぎの肉の煮込み料理を担当し、ああでもないこうでもないと試行錯誤の味付けを繰り返して、ようやく満足のいく物を作り上げた。

 そうして、食事当番の巫女たちを手伝いながら夕食の準備を済ませ、当たり前のように準備された自分の席へ座るフェリユ。

 すると、マリアが自室から出てきて、夕食の場に顔を出した。


「なにやらにぎやかだと思ったが、やはりフェリユが来ていたか」

「ええっ! 来ちゃいけなかったのかな? ひどくない?」


 ねえ、ミレーユ? と、フェリユはミレーユを味方につけて、マリアをめ付ける。

 マリアは、やれやれ、と苦笑しながら、フェリユとミレーユの間の席に着いた。


「マリア、大丈夫なの?」

「心配をかけた。だが、わたしは大丈夫だ。わたしよりも、フェリユ。目が赤いがどうした?」

「はっ! 何でもないよ? ただ、ちょっと疲れてさ」


 ここ数日は、特に忙しかったですものね、とうなずく側仕えの巫女たち。

 ルアーダ家に仕える巫女は、基本は邸宅内の管理運営を聖務としている。それでも、用事で外に出れは神殿都市の様々な情報が耳に入るばかりか、当主のマリア自身も忙しく活動しているのだ。

 側仕えの巫女たちは、当主であるマリアをねぎらうように、精魂込めた食事を提供する。

 とはいっても、そこは私財をなげうってまで人々の生活を支えるマリアの側仕えだ。

 並ぶ食事も、豪華とは程遠い庶民的なものばかり。

 それでも、早朝から活動し続けたフェリユには大満足な料理だ。

 全員で女神へ祈りを捧げると、夕食会を始める。


「あのね、マリアおねえちゃん。このおいもは、わたしが皮をいたんだよ?」

「道理で、いびつな形をしている」

「マリアおねえちゃん!?」


 頬を膨らませて抗議するミレーユに、誰もが笑う。

 慈愛に満ちた笑みを浮かべるマリア。

 姉のマリアと容姿が似ているミレーユは、おっとりと微笑む。

 フェリユは明るく笑う。

 身内ばかりの夕食会は、礼儀作法も二の次とばかりに、楽しい時間となる。


 だが、実はこうした時間はあまりないのだと、フェリユは知っていた。

 病弱なミレーユが、こうして全員が揃う食堂に肩を並べて座る姿は珍しい。


 遥か昔の記憶を思い出す。

 前巫女王レイシアは、フェリユの母だ。だが、レイシアの前に巫女王を務めていたのは、マリアとミレーユの母であるカテリーナだった。

 カテリーナも、病弱な人だった。

 たぐまれな能力を買われて巫女王となったカテリーナだが、在位の期間の多くは寝所の中で経過した。

 特に、ミレーユを産んでからの晩年は、ほとんどの時間を寝所で過ごすこととなった。

 そのカテリーナの血を色濃く受け継いだミレーユもまた、病弱だった。

 こうして夕食を囲めることが、いかに大切な時間なのか。ここに集う全ての者が知っている。


 そしてまた、カテリーナの長女であるマリアも、時に体調を崩す。

 先の大戦以降は、強大になり過ぎた自身の法力の暴走によって体調を崩すマリアだが。そもそも年に数度、体調不良を起こして寝込むことがあった。

 寝込むと、数日から長いと十日以上も、寝所から出てこないこともあるくらいに体調を崩すマリア。

 フェリユは、そういう時にはいつも、不安を抱いてしまうのだ。

 いつかマリアが、手の届かない遠くに行ってしまうのではない。

 物心ついたときには、既にマリアと手を繋いでいた。

 マリアと共に修行し、洗礼を受け、聖務についた。

 もちろん、いつでもマリアの方が優秀だったが、妹の立場として、フェリユはそれで満足だった。

 これまでも。これからも。自分とミレーユは、マリアの隣に並んでいつまでも一緒に過ごす。


 だから、と改めてマリアの顔を見つめるフェリユ。


 聖女は必ず堕ちる。


 嫌な言い伝えだ。

 なぜ、創造の女神様に認められた尊き聖女が、最後は堕ちなければならないのか。

 理不尽すぎる、と思ってしまう。


「ねえ、マリア」

「なんだ?」


 ミレーユの頬についた汚れを優しく拭いてあげならが、マリアは慈愛に満ちた瞳をフェリユに向ける。


「……ふふん、なんでもないよ。あっ。なんでもあった! あたしの頬の汚れも拭いて?」


 汚れてもいない頬をマリアに押し付けるように向けるフェリユに、またしても笑いが起きる。


 ああ、女神様。どうかどうか、この幸せな時間がいつまでも続きますように。


 セドリアーヌから受けた内偵の依頼を心の片隅に追いやり、フェリユはマリアに甘える。

 マリアも、フェリユとミレーユの子どもっぽさに、姉というよりも母性に近い優しさで接する。


「お代わり!」

「フェリユ様、ルアーダ家では、お代わりは自分で食べられるだけをよそってくるのですよ? お忘れですか?」

「マチルダが相変わらず厳しい……。マリア、当主として命令して! もっとあたしに優しくするようにって」

「フェリユおねえちゃん、お代わり取ってきてあげるね?」

「わぁ、ミレーユは優しい子だねぇ」


 フェリユの皿を持ち、台所へと歩いて行くミレーユ。見送るフェリユ。それを叱るマチルダ。

 マリアは、ルアーダ家に集った者たちを優しく見つめていた。






 ルアーダ家で夕食を済ませ、すっかり日も暮れた頃に、フェリユは神殿都市上層部の邸宅街を歩いていた。

 見上げれば、西の彼方かなたに沈んだ太陽を追うように、新月に近い細い輝きの月が沈む姿が見える。

 もう間もなく、新月の夜だ。

 新月の夜は月の明かりだけが輝く。


 月は、女神の象徴。

 星は、世界に生きる者を表す。


 新月の夜は、女神の慈悲は届かない。

 それでも、人族は創造の女神に想いを捧げ、星々だけが瞬く夜に希望を託す。


 今頃は、こよみつかさどる暦殿と、祭事や神事を司る礼祭殿の巫女や神官たちが忙しく働いているだろう。

 満月の夜と新月の夜には、神殿都市の各所で夜通しの神事が執り行われる。

 最上層の大本殿では、創造の女神に捧げる巫女の祝詞が奏上され、世界の平和と人々の安寧あんねい祈祷きとうされる。

 中層や下層の礼拝殿や神楽殿では、巫女や神官による夜神楽よかぐらが奉納され、人々が夜になっても礼拝に訪れる。


 日々繰り返される、こうした日常。

 創造の女神をあがたてまつり、月の満ち欠けに合わせて人々の営みは続いていく。


 フェリユも巫女頭のひとりとして、神事や祭事、そして女神へ捧げる儀式には必ず参列する。

 こうして、夜の道をゆっくりと星を眺めながら歩けるのも、今夜までだ。

 新月になれば、大本殿での奉納に夜通し加わる。

 もちろん、巫女長たるマリアや他の巫女頭たちも参列する。


 しかし高齢ということもあって、長老巫女の参加は免除されていた。

 これも、マリアの配慮だ。

 マリアは、どのような時にも周りへの配慮をおこたらない。

 もしかすると、先ほどの食事会も、本来であれば顔を出せるほど体調は良くなかったのかもしれない。

 それでも、珍しくミレーユが元気で、台所にも立った。賑やかな屋内の様子から、フェリユが来訪していることにも気づいていた。

 それで、無理をして寝室から出てきたのかもしれない。

 そういえば、口数も少なく、顔色もあまり良くなかったように思える。

 フェリユは、いつもマリアに気を遣われ、護られているのだ。

 フェリユ自身もそれを強く自覚している。それでも、甘えたい。妹のようにマリアに接し、家族のように共に暮らしていきたいのだ。


「だから、マリアはあたしが護るんだ!」


 セドリアーヌの疑念を払拭し、人々の不安を取り除く。

 そうすれば、マリアはいつまでも自分やミレーユと共に、この先の道を歩んでいける。


「魔族め! 襲うなら、今こうしてひとりになっているあたしを襲えば良いんだ! かかってこい。あたしが返り討ちにしてやるんだから!」


 それとも、戦巫女頭のあたしに恐れをなして、引退した者や不意を突ける弱者しか襲わないの?

 本当に卑怯ひきょうで、ずるい魔族め!


 フェリユは自宅へは真っ直ぐに戻らずに、細い灯りの月が沈んだ夜の道を当てもなく彷徨さまよう。

 そうして、魔族が自分を襲うように仕向けながら、神殿都市の上層部を周る。


 この静観な場所のどこかに、今も獣の魔族は隠れ潜んでいる。

 次は、いったい何を標的にするのか。

 大宝玉の破壊が目的であれば、もう一度結界殿を襲撃するはずだ。

 だが、結界殿は既に、既存の警備体制に加えて、フェリユ麾下の戦巫女や神官戦士たちが数多く配置されている。

 再度の襲撃があれば、獣の魔族を討伐することはできなくとも、時間は稼げる。そうすれば、自分が真っ先に現場に駆けつけて、悪辣あくらつな魔族を倒すんだ。そうすれば、マリアもきっと喜び、安心するに違いない。


 もしくは、また別の誰かを襲うのだろうか。

 長老巫女の警備も厳重になった。他の巫女頭にも、いつも以上の護衛がついている。

 この状況で、獣の魔族はどう動くのか。


 夜道を行くフェリユは、星々の輝きの下で魔族との戦いに決意を燃やす。






 しかし、フェリユの想いと願いを裏切るように、新たな事件が起こされた。

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