聖女の伝承

「なんで……。なんで、そんな酷いことを言うんですか!」


 泣きながら、フェリユはセドリアーヌに訴える。


「マリアはそういう人じゃないもん! あんなにみんなのことを想って……。誰よりも頑張っているのはマリアです! これまでだって、マリアが自分の利益を優先させたことなんてないんですよ? それなのに、権力に堕ちただなんて、酷いです!!」


 巫女王不在の時代。神殿都市を運営する実権を握るのは、十二人の巫女頭だ。その巫女頭を選出したのはマリアではあるが、その巫女頭たちにマリアが何かを強要したことなどはない。

 マリアは、朝議で決まったことや、各現場で指揮を執ることはあっても、巫女頭に代わって権力を振るったことなど、これまでにだって一度もない。


 先日の、周辺地域へ支援をつのるべきか、大結界のほころびを修繕するための調査が先かという議論でも、マリアが権力を振りかざしたわけではない。あくまでも、今この時に優先すべき課題をマリアが示しただけだ。

 長老巫女の言葉にも耳を傾け、最終的には昼過ぎまで会議を延長してまで議論し尽くしたではないか。

 だというのに、セドリアーヌはマリアが「聖女の成れの果てとして権力を求める悪に堕ちた」と疑っている。


「そんなの、絶対にあるわけがないよ!! ねえ、レイも何か言って? 知っているでしょ? マリアがどれだけみんなのことを想っているのか。セドリアーヌ様が知らないマリアのことを、あたしやレイはいっぱい知っているでしょ?」


 隣で沈黙を保つレイに、フェリユは大粒の涙を流しながらしがみつく。

 レイは、深く眉間に皺を刻み、厳しい表情でセドリアーヌを見つめていた。その視線を、フェリユに移す。

 そして、妹のような存在であるフェリユの頭を優しく撫でた。


「フェリユ、聞きなさい」

「なに? まさか、レイもセドリアーヌ様の意見が正しいと思っているんじゃないよね!?」

「違う、そうじゃない。フェリユ、少し冷静になるのだ。そうでなければ、物事は正しく判断できない」

「でも!!」


 感情のままに叫び、今にもレイやセドリアーヌに飛びかかって怒りを爆発させそうなフェリユを、レイは優しく包容する。


「落ち着きなさい。冷静になり、それから私の言葉を聞くのだ」

「レイは、どっちの味方なの?」


 レイの腕の中で、涙を溢し続けるフェリユ。

 だが、レイの温もりに触れて、フェリユは少しずつ息を整え、冷静さを取り戻していく。

 フェリユも聖四家ノルダーヌの当主として、十二人の巫女頭のひとりとして、いっときの感情で心を乱すことはあっても、子どものように何時迄いつまでもわがままを通すようなことはしない。


「フェリユ、気を落ち着かせて聞きなさい」


 フェリユの感情が収まり始めたことを確認して、レイは優しく語りかける。


「セドリアーヌ様とて、なにもマリアが憎いわけではないのだ。ただ、長老巫女として私たちに意見を言う立場で、こうして疑念を口にされているのだということを理解しなさい。セドリアーヌ様は、自ら悪役あくやくを買ってくれているのだ」

「でも、だからといって『聖女は必ず堕ちる』だなんて……」


 聖職者にとって、聖女のとうとさと、その後に訪れるの宿命は、常識である。

 しかし、それでも全ての者が目を背けたい言い伝えなのだ。

 だから、自分たちを指導する立場である長老巫女の口からは、その言葉を聞きたくなかった。と鼻をすすりながら零すフェリユ。


「そうだな。私も強い衝撃を受けた。だが、考え方を変えれば、これはセドリアーヌ様の優しさでもあるのだよ?」


 どういうこと? とレイの腕の中で首を傾げるフェリユ。

 レイは、フェリユが冷静になったと判断すると、背中に回していた腕を解く。

 そして、フェリユとセドリアーヌを交互に見つめた。


「フェリユ、考えてみなさい。もしも本当にセドリアーヌ様がマリアのことを核心を持って『堕ちた』と断定していたのなら。マリアに一番近い私とフェリユに、内偵を頼むだろうか?」


 どうだろう? とさらに首を傾げるフェリユに、レイは考えを伝える。


「セドリアーヌ様とて、マリアが堕ちたとは思いたくはないし、自分の疑念を否定したいのだ。だから、私とフェリユが二人だけで呼ばれたのだと思う」


 確認をするようにレイがセドリアーヌを見ると、深く頷かれた。


「もしも私が核心を持っていたとしたら、まず最初に、フェリユとレイをマリアから遠ざけていたでしょうね」


 マリアのことで、これだけ感情的になるフェリユだ。マリアを「堕ちた」と断定した場合、フェリユは全てを否定するように暴れていたかもしれない。

 レイも、妹的な存在の大切な二人のことになれば、冷静ではいられないだろう。

 であれば、フェリユとレイにはマリアのことを伝えずに、裏で動いた方が物事は上手く進む。


 しかし、セドリアーヌはフェリユとレイに、マリアへの疑念を伝えた。

 他の者を完全に排除して。


 レイは、セドリアーヌからフェリユへと視線を戻すと、自分の考えを口にする。


「セドリアーヌ様は、確かに私とフェリユにマリアの内偵を依頼した。その意味を、フェリユも考えるのだ」

「意味?」


 なぜ、セドリアーヌは自分とレイにマリアの内偵を密かに依頼したのだう?

 もしもマリアを「堕ちた」と決めつけていたのなら、逆に自分たちには内偵のことを伝えなかったはずだ。

 では、その逆で自分とレイに依頼した理由とは?


「私は、こう考えている。マリアのことをよく知り、私的な感情も強く持つ私とフェリユでは、上手く内偵などできないだろうな?」

「うん。あたしはマリアを疑うなんてできないよ?」

「そうだ。お前は素直すぎる。感情が子どものように表に出過ぎてしまうな」

「そんなあたしが、どうやって内偵なんてできるの?」


 するつもりもない。と心の中で強く言い切るフェリユ。

 レイは、フェリユの表情から内心を読み取って苦笑した。


「馬鹿者め。お前は、戦巫女頭だ。人々を導く立場のひとりとして、時には感情よりも聖務を優先させなければならない。……だが」


 と、レイは自身も何かを決断したように表情を引き締めた。


「もしも。……もしも、だ。…………マリアに何かしらの後ろめたい隠し事があったとしたら。誰かに、その隠し事を暴かせたいとフェリユは思うのか?」

「そ、それは……」

「それと。私とお前は、マリアを信じ抜くことができるだろう?」

「当たり前だよ!!」

「ならば、二人でマリアの身の潔白を証明すれば良いとは思わないか? マリアのことを誰よりも知る私とフェリユが徹底的に調べ上げた結果、マリアに後ろめたいことは何もない、と証明してみせるべきなのではないか?」


 レイの言葉に、はっと表情を切り替えるフェリユ。


「そうだね……。あたしとレイで、マリアの潔白を証明すれば良いんだ!」

「セドリアーヌ様も、きっとそのつもりで私とお前だけをこの場に呼んだのだ」


 そうでしょう? とレイがセドリアーヌを見る。フェリユも振り返る。

 セドリアーヌは、フェリユとレイを見つめて、柔らかく微笑んだ。


「フェリユ。レイ。これは、貴方たち二人にしか頼めない依頼だと思っています。どうか、マリアの内偵を進めてくださいね?」


 未だに、複雑な心境は残っている。

 そもそも、マリアを疑うこと自体が間違いなのだ、と感じてしまうフェリユ。

 それでも、神殿都市の聖職者の中には、存在しているのだ。聖女は必ず堕ちる、と疑念を持っている者が。

 では、その疑念を自分が晴らせば良いのだ。

 マリアのことを、誰よりも知っている。マリアのことを誰よりも信じている。その自分が徹底的に調べ上げ、マリアの潔白を必ず証明してみせる。


 フェリユは巫女装束の長いそでで涙をぬぐうと、大きく深呼吸する。


「よし、全員が納得できる証拠を集めて、変なことを言う人たちの口を黙らせてやるんだ!」


 意気込むフェリユに、隣からいつもの苦言が飛ぶ。


「フェリユ。服の袖で汚れを拭くんじゃない」

「レイ、酷い! あたしの涙と鼻水は汚くないよ!」






 セドリアーヌの邸宅を後にしたフェリユとレイは、其々それぞれの屋敷がある神殿都市上層部の居住区画へと向けて帰路に就く。

 しかし、フェリユは途中で方角を変更すると、ルアーダ家の邸宅へ向かった。


「こんばんはー! 夜分やぶんに失礼します!」


 そして、ルアーダ家の大きな邸宅の玄関に到着したフェリユは、躊躇ためらいないなく呼び鈴を鳴らす。

 程なくすると、屋内からルアーダ家に仕える巫女が玄関を開けて姿を現した。


「フェリユ様?」

「はい、フェリユです! 急だけど、遊びに来ちゃった。マリアとミレーユは?」


 と側仕えの巫女に声をかけていると、奥から見慣れた少女の姿が現れる。


「あれ? フェリユおねえちゃん?」

「やあ、ミレーユ。ちょっと遊びに来ちゃった」

「わあ、嬉しい。今、夕ご飯の準備中なの。フェリユおねえちゃんも一緒にどう?」

「おおっと、それはご相伴そうはんに預からねば」


 マリアの妹であるミレーユに案内されて、邸宅内へと遠慮なく入るフェリユ。

 代わりに、側仕えの巫女が「フェリユ様のご自宅へお伝えしてきます」と屋敷から出て行く


 我が家のように気兼ねなくルアーダ家の邸宅に入ったフェリユは、ミレーユの後を追って台所へと向かう。

 ミレーユの格好から見て、どうやら今晩の夕食は側仕えの巫女とミレーユが一緒になって作っていたのだろう。


「ねえ、ミレーユ。マリアは?」


 普段だと、身体の弱いミレーユではなく、マリアが出迎えてくれるはずなのだが、と玄関や廊下を見渡すフェリユ。

 しかし、マリアの姿はどこにもない。


 そして、フェリユの視界にルアーダ家の邸宅内が映し出される。

 とても簡素なたたずまい。

 神殿宗教において、最も名高き聖四家、その筆頭と目されるルアーダ家の邸宅は、受け継がれてきた伝統と格式を表すように、立派な造りをしている。だというのに、屋内に入ると、きらびやかな調度品はなく、必要最低限の家具や調度品だけが質素に配置された、ただ広いだけの空間が存在する。

 それもそのはずだ、とフェリユはマリアの清廉せいれんさを感じる。


 先の大戦によって、神殿都市は危機にひんした。

 多くの者たちが犠牲となり、都市にも少なからず被害が出た。

 そこへ追い打ちをかけるように、ここ数年は凶作が続いており、神殿都市は復興さえままならない状況だ。それでも、人々が厳しい冬を乗り越え、明日へ向かって着実に進めている理由。

 それは、マリアが私財をなげうって、各地から食糧や物資を集めているからだ。


「ミレーユの生活が困らない程度の財が残れば、それで良い」


 マリアはそう言って、ルアーダ家の財宝を惜しげもなく売り捌き、その金銭で神殿都市の人々を支えてきた。

 そのマリアが、悪に堕ちることなどあるはずがない。


 フェリユがきょろきょろと屋敷内を見つめていると、ミレーユが振り返って不思議そうに首を傾げる。


「フェリユおねえちゃん、どうしたの?」

「ううんなんでもないんだよ。ミレーユのおうちを見ていると、ノルダーヌ家の方でも不要な物は売って、みんなのためにくさなきゃいけないなって思ったんだ」

「ふふふ。マリアおねえちゃんは、やりすぎなんだよね?」

「そうだよね! いくらなんでも、私財を放出しすぎだよ!」


 フェリユとミレーユは、笑い合いながら台所へと向かう。

 しかし、そこにもマリアの姿はなかった。

 それで改めてマリアのことを尋ねると、ミレーユは少し困った表情になる。


「あのね。少し体調が悪いみたいなの」

「あっ!」


 フェリユは、慌ててマリアの寝室へ向かおうとする。それを、ミレーユがおっとりとした動きで止めた。


「でも、大丈夫だよ。夕ご飯の時には起きてくるって言っていたから」

「そうなんだ。ミレーユ、ごめんね? ここ数日、マリアは忙しかったからね」


 旧神殿都市跡の地下で魔族の残党と対峙したのは、今朝のことだ。それから休む暇もなく結界殿の襲撃が知らせれ、長老巫女のカトリーゼの殺害事件まで起きた。

 戦いや移動に、マリアは法力を使いすぎたようだ。

 自宅であれば、ミレーユや側仕えの巫女たちがマリアの介抱をできる。それでフェリユには知らせが来ていなかったが、あまりかんばしくないらしい。

 それでも、この後の夕食には顔を出すと聞いて、フェリユはほっと胸を撫で下ろした。

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