疑惑

 神殿都市の上層部に、衝撃が走った。

 長老巫女のアネアだけでなく、カトリーゼまでもが殺害されるという前代未聞の事態に、誰もが言葉を失い右往左往する。

 それを冷静に導いたのは、巫女長のマリアだった。


「全員、落ち着いて。まずは、正確な状況分析が必要だ。ネイティアは守護殿の巫女たちを連れてカトリーゼ様の邸宅へ向かうように」


 あたしも行った方が良い? と聞くフェリユに、マリアは首を横に振って応える。


「フェリユは、戦巫女や神官戦士をまとめあげて、結界殿や結界の破られた施設の警護を指揮するように。魔族の襲撃がこれで終わりだという可能性はないのだから」


 マリアの指示に、巫女や神官たちが動き出す。それでも、誰もが浮き足立ち、神殿都市内に混乱が深く浸透していた。


「ま、まさか、カトリーゼとアネアは獣の魔族に……?」


 中でも大きく狼狽うろたえていたのは、長老巫女のセドリアーヌだ。

 目を泳がせ、不安に身体を萎縮いしゅくさせている姿は、巫女王レイシアの下で巫女頭を務めていた女性には見えない、弱々しい姿だった。


「セドリアーヌ様、ご安心ください。魔族はあたしが必ず倒してみせますから!」


 フェリユは、セドリアーヌを安心させるように寄り添って、結界殿を後にする。

 結界殿の復旧とこれからの警備は、兄のように頼れる大神官レイに任せておけば問題ない。カトリーゼの邸宅の現場検証はネイティアの管轄かんかつだ。

 自分はマリアから戦巫女や神官戦士たちの指揮を指示されたが、まずは怯え切ったセドリアーヌを邸宅まで連れ帰り、こちらの警護を強化した方が良い。

 数日のうちに二人も、長老巫女が殺害された。

 そうなれば、残り五人の長老巫女も襲われる可能性がある。


 犯行者の目的がいったい何なのか。

 アネアとカトリーゼの殺害。

 結界殿を襲撃した獣の魔族。

 獣の魔族に謀られた可能性のある、下層部で討伐された重傷を負っていた鬼。

 そして、旧神殿都市跡の地下に潜んでいた魔族の残党。

 いったい、神殿都市で何が起きようとしているのか。

 フェリユも、不安を抱いていた。


「女神様、どうかあたしたちを加護し、お導きください」


 フェリユの祈りは、神殿都市の人々の祈りでもあった。






 セドリアーヌは、自宅に戻って程なくすると、冷静さを取り戻した。

 その頃には、フェリユも部下の者たちに支持を出し終え、早朝から続いた騒動にようやくひと区切りを付けられる余裕が出始めていた。

 しかし、これで騒動の決着ではない。

 旧神殿都市跡の地下に集結していた魔族の残党は撃退できたが、新たな問題として、結界殿を襲撃した獣の魔族とカトリーゼの殺害事件の捜査が続いている。


 単純に考えれば、神殿都市内に潜む獣の魔獣が黒幕であり、長老巫女二人を殺害し、結界殿最奥の祭殿に祀られた大宝玉を破壊しようとした。獣の魔族の狙いは、神殿都市の結界を破ることだったのではないか、という推察が立てられるのだが。

 でも、とフェリユはそこで首を傾げてしまう。

 結界殿を襲撃した獣の魔族が長老巫女の二人を襲撃した理由は何だろう?

 アネア様とカトリーゼ様は、魔族に狙われるような何かに関わっていた?

 それとも、たまたま二人が狙われただけなのだろうか。

 獣の魔族の犯行はこれからも続き、最初の二人が長老巫女だっただけ、という可能性も捨てきれない。


 現役ではないとはいえ、アネアとカトリーゼは共に、元巫女頭だ。その二人が襲撃され、殺害されたとなれば、神殿都市に大きな損失を与えることができる。それだけでなく、現状がそうであるように、人々に不安のたねき、混乱におとしいれることができる。そうすれば、獣の魔族はよりいっそう自由に、暗躍できるだろう。


 夕焼け色に鮮やかに染まり始めた空とは違い、フェリユの心は曇天どんてんのようににごっていく。

 早くこの難題を切り抜けて、平穏が訪れてほしい。そう願うフェリユに、落ち着きを取り戻したセドリアーヌからの使者が訪れた。






 使者に呼ばれ、セドリアーヌの邸宅を改めて訪れたフェリユ。

 すると、先客としてレイの姿もそこにはあった。


「レイもセドリアーヌ様に呼ばれたの?」

「そう言うフェリユも、呼ばれたのだな」

「結界殿の方は大丈夫?」

「こちらは大丈夫だ、と言いたいところではあるが……。破壊された宝玉は、すぐに代わりの物が準備できるというような代物しろものではない。それに、大宝玉の傷も気になる。今以上に大結界の綻びが広がれば、獣の魔族に付け入る隙を与えてしまう」

「結界の破られた施設や結界殿の警備は、こちらからの増員を回したからね?」

「助かる」


 フェリユとレイがお互いの現状を確認していると、遅れてセドリアーヌが姿を現した。

 日中の、怯え混乱していた様子は消え去り、普段通りの雰囲気に戻ったセドリアーヌに、フェリユとレイはほっと胸を撫で下ろす。


「ごめんなさいね。んでおきながら、こちらが遅れるなど」

「いえ。セドリアーヌ様もご多忙と存じます。お気になさらずに。それで、私とフェリユが呼ばれた理由とは?」


 他にも誰か招集されているのだろうか、と首を傾げるフェリユ。

 例えば、巫女長であるマリアとか。

 マリアとフェリユとレイは、聖四家の者という立場以上に、兄妹のようなきずなで結ばれている。

 だからだろうか。他の巫女頭などに呼ばれる場合も、よく三人揃って声を掛けられる。

 フェリユたちだけでなく、神殿都市の人々の全てが、三兄妹という認識を共有しているのだと、フェリユは感じていた。

 しかし、呼ばれたのはどうやら二人だけのようだ。


 セドリアーヌはまず最初に、現状の報告をフェリユとレイから受ける。

 結界殿は、フェリユの指示によって増員された警備体制に入っている。破壊された結界の修復と、大宝玉に刻まれた傷の影響がどのように出てくるのかを、結界殿の神官たちが調べ始めていた。

 また、守護と司法を司るネイティアを筆頭として、各要所の警備強化や、姿を消した獣の魔族の行方を追っている。


「獣の魔族……。気になる存在ではありますが」


 と、フェリユとレイの報告を受けたセドリアーヌは表情を曇らせた。

 そして、いつになく厳しい瞳で、フェリユとマリアを見つめる。


「先ほど、遅れてしまった理由ですが。貴方たちと同じように、ネイティアからも報告を受けていました」

「では、ネイティアは?」


 何故なぜ、別々に呼ばれたのか。というレイの疑問を流し、セドリアーヌは言う。


「ネイティアから受けた報告で、二人の説明の補完をしましょう。長老巫女カトリーゼは、アネアと同じように胴を袈裟懸けに斬られて亡くなっていたそうです」


 カトリーゼは、先日より体調不良を訴えて、自室で安静にしていたはずだ。だが、側仕えの巫女が食事を運んでも反応がなく、不審に思って寝室を覗いた巫女が、カトリーゼの殺害に気づいたという。

 現場検証の詳細を聞き、フェリユは息を呑む。

 寝室に飛び散っていた血の凝血ぎょうけつなどから推察して、犯行は昨日から今日の未明にかけての可能性が高いという。では、もしも獣の魔族の犯行であれば、カトリーゼを襲った後に、結界殿を襲撃したのだろうか。と考えるフェリユに対し、レイが思わぬことを口にした。


「セドリアーヌ様。今、袈裟懸けに斬られていた、と仰ったでしょうか?」

「はい。ネイティアから、そのように報告を受けました。レイ、どうやら貴方は気づいたようですね?」


 何を? とフェリユが問うと、レイは眉間にしわを寄せて、自身が気づいたことを口にする。


「フェリユ。お前も祭殿の大宝玉を見ただろう?」

「うん。獣の魔族によって、傷つけられていたよね……あっ!!」


 そこで、フェリユも気づく。


「そ、そんな……!」


 フェリユは無意識に、隣のレイの神官装束しんかんしょうぞくを強く握りしめていた。


「大宝玉に付けられた傷は、獣の爪による四本の傷だったよね? でも、アネア様とカトリーゼ様は、袈裟懸けに一本の傷だった……」


 刻まれた傷痕の数の違い。それが意味することとは。


「そうです、フェリユ。大宝玉を傷つけた獣の魔族と、アネアとカトリーゼを殺害した者は、別ということを意味します」

「そんなっ!」


 衝撃的な事実に、フェリユは小さく悲鳴を上げる。

 長老巫女が二人も殺害された。更に、大宝玉まで狙われた。それだけでも前代未聞の事態だというのに、犯行者は別々の存在たという。

 フェリユだけでなく、レイまでもが緊張に身体を強張らせていた。


「それで、今回二人だけこうしてを招んだ事情ですが……」


 フェリユとレイの驚きがセドリアーヌにも伝わっているのか。それとも、更なる情報を持っているからなのか。

 セドリアーヌの表情も硬い。

 それでも、セドリアーヌは口にした。


 より衝撃的な言葉を。


「フェリユ。そして、レイ。貴方たちに、私は密かに依頼をしたいのです。どうか、巫女長マリアの動向を探ってほしい」

「セドリアーヌ様!?」


 何を急に言い出すのだろう、とフェリユが声を荒げる。それを手で制し、セドリアーヌは続ける。


ねてより、巫女長の動向は気になっていたのです。近頃は特に、暴挙ぼうきょが過ぎるのではないかと」


 朝議では、事あるごとにマリアと長老巫女たちは対立してきた。

 それも、最近はその頻度が増してきているということを、フェリユも感じている。

 しかし。


「長老巫女様たちの役目は、マリアやあたしたち巫女頭を補佐し、時には苦言を呈する立場なのですから、対立は当然ではないですか。それに、その長老巫女殿を設置したのは、マリア自身ですよ!」


 十二人の若き巫女頭を、マリアが選出した。しかし、本来は実権を持たない巫女長のマリアの影響が大きくなりすぎないようにと、長老巫女殿を特別に設置したのは、そのマリアだ。

 フェリユに言わせれば、何かに付けてマリアの意見を否定する長老巫女たちの方が、妙な思惑を持っているのではないかと勘繰かんぐってしまう。それでも、マリアは長老巫女たちの意見に耳を傾け、邪険じゃけんに扱うようなことはしなかった。

 だというのに、セドリアーヌはマリアの動向を、よりにもよって妹や兄も同然のような存在のフェリユとレイに申しつけるのだろうか。


「なんでマリアの動向を調べなきゃいけないんですか!」


 感情もあらわに叫ぶフェリユを、レイがたしなめる。


「フェリユ、落ち着きなさい。お前の感情はよく理解できるが、まずはセドリアーヌ様の考えをしっかりと聞くのが先だ。セドリアーヌ様は長老巫女として、マリアだけでなく私や戦巫女頭のお前にも意見を言わなければならない立場なのだということを思い出しなさい」

「でも!」


 なぜ、この状況でマリアの動向を調べる必要があるのか、と露骨に不満を爆発させるフェリユ。

 しかし、セドリアーヌは冷静に話す。


「私たちは。……いいえ。神殿都市に住む人々の中には、懸念している者がいるのです」


 と、いったん言葉を区切り、フェリユとレイをけわしい瞳で見つめるセドリアーヌ。

 そして、核心を口にした。


「聖女は、必ずちる」


 フェリユとレイは、絶句してしまう。


 まさか、長老巫女の口から、その言い伝えが出るとは。


 創造の女神アレスティーナの力の欠片かけらこそが、法力であると伝わる。

 巫女は女神の力の欠片たる法力を持ちいて、小さな奇跡として法術を扱う。

 法術はまさに奇跡そのものであり、数多くの種族がそれぞれ独自の術を扱うのこ世界において、唯一のいやしの術でもあった。


 だが、小さな奇跡とは違い、巫女が身に余る女神の力を一時的に宿し、大きな奇跡を起こすことがある。

 祈り、願い、女神をたてまつる。

 そうして大きな奇跡をこの世界にもたらした巫女を、神殿宗教では「聖女」と認定し、とうとぶ。


 しかし、身に余る女神の力をその身に宿した巫女は、いずれ必ず、女神の力の欠片に心と身体が耐えきれなくなるという。

 そして、限界を超えた時。


 聖女は、ちるのだ。


 力に堕ちるもの。

 感情に堕ちる者。

 権力に堕ちる者。


 様々な事が起因となり、聖女は心を闇へと堕とす。


 過去には、複数の都市と数万人の犠牲者を出した天災を引き起こした聖女も存在したという。


 そして。

 神殿都市において、人々から「聖女」と讃えられる巫女こそが、巫女長のマリアだった。


「でも、マリアは神殿宗教が正式に認定した、奇跡を起こした聖女ではないです!」


 そう。マリアは「聖女」と親しみを込めて呼ばれているものの、女神の大きな奇跡を世界に齎したわけではない。

 誰にでも平等にいつくしむ心。他者に優しく、自分に何よりも厳しい性格。そして、人々に愛される優しい性格を知る者たちが、マリアを「まるで聖女のようだ」と讃え出したことから広まった、世俗的な呼称に過ぎないのだ。


 だから、マリアは聖女であっても堕ちることはない!


 可愛らしい垂れ目の瞳に大粒の涙を浮かべ、フェリユはセドリアーヌの言葉を否定するように叫ぶ。

 セドリアーヌも、フェリユの感情を十分に理解しているのか、表情は優れない。

 それでも、この場で伝えなければならない言葉を、責任を持って口にした。


「長老巫女殿の私たちは、疑っているのです。権力におぼれ堕ちた巫女長が、目障めざわりとなってきた長老巫女の排除に動き出したのではないかと」


 フェリユは、セドリアーヌをまばたきもせずに見つめ返し、限界まで見開かれた瞳から、大粒の涙をこぼしていた。

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