混乱

 魔族の引き起こした自爆魔法の大爆発により、旧神殿都市の地下が崩壊していく。

 広い地下の空間を支えるために規則正しく立ち並んでいた柱は吹き飛び、石壁は破壊され、天井が崩落する。


「走れ!」


 マリアが叫ばずとも、全員が全力の「星渡り」で出口を目指す。


「地下の崩壊は、マリアとあたしの法術で少しだけ持ちこたええられるから、他のみんなは後方支援の戦巫女たちにも伝達して、全力で逃げて!」


 マリアの腰に巻かれた猩猩の緋色の羽衣といえども、崩壊する地下に土砂と共に埋められてしまえば、手の打ちようがない。

 それでも、年老いた魔族の最後の自爆魔法から全員を護り切ったマリア。

 フェリユは咄嗟に、崩壊する地下空間を法術によって支えた。

 それでも、老朽化していた地下の空間は爆発が引き金となり、連鎖的に全てが崩壊し始めていた。


「巫女長様!?」


 地上へ続く長い通路を戻っていると、崩壊し始めた地下空間に困惑する戦巫女たちに追いつく。

 マリアは「事情は後で!」とだけ伝え、全員に全力で逃げるように指示を出す。

 分岐路や途中の部屋で警戒に当たっていた戦巫女たちを引き連れ、フェリユたちは必死に逃げる。

 それでも、地下空間は全てを飲み込むように崩壊していく。

 地面だけでなく、周囲の全てが激しく振動し、支柱が折れ、壁が砕け、頭上から土砂と共に天井が落ちてくる。


「ああっ、もう! これだから、魔族は嫌いなんだよ!!」


 フェリユの叫びは、しかし崩壊の轟音によって掻き消された。






 はぁ、はぁ、と全身で荒く息を吐くフェリユ。

 周りでは、同じように息を荒げた特位戦巫女や、法術の連続使用によって疲弊し切った戦巫女たちが膝を突いていた。


「な、なんとか無事に脱出できたーっ!」


 地下構造部分の崩壊により、旧神殿都市跡は激しい土煙に包まれている。

 それでも、フェリユたちは脱出に成功した。


「全員無事か? 班ごとに点呼を取れ」


 マリアの指示に、疲弊を色濃く見せる巫女たちが、それでも動き出す。

 もしも逃げ遅れた者がいるとしたら、一刻も早く全力で救出に当たらなければならない。

 巫女たちが各自の班に分かれて点呼を取り、全員の無事が確認された頃。


「マリア様! フェリユ様!」


 地上の警戒を担当としていた巫女頭のネイティアが、慌てた様子で駆け寄ってきた。

 ネイティアだけではない。

 旧神殿都市跡に起きた異常を察知した大神官のレイや多くの聖職者たちが、慌てた様子で、地下から脱出してきたマリアたちのもとへと走り寄ってきた。


「すまない」


 と謝罪するマリアに、レイが事情を聞く。


「地下の食糧保存庫の空間に、魔族の残党が潜んでいた。それを撃退したまでは良かったのだが。魔族が最後に、自爆攻撃を行ったせいで、旧神殿都市の遺跡を崩落させてしまった」


 マリアが見つめる先。

 旧神殿都市跡は、地下空間の崩落によって激しい土煙をあげていた。

 足もとの揺れが収まり始めていることから、魔族の自爆から連鎖した崩壊は終わりが近いようだ。

 それでも、地上部分は広大な範囲が大きく陥没し、場所によっては地下の通路や部屋の一部の構造が地上に露わとなっていた。


「中央の墓所庭園が無事だったのが救いか」

「あそこは、地下が無いからな」


 土煙の先に微かに見える墓所の庭園の無事を確かめたレイが、ほっと胸を撫で下ろす。

 マリアはレイの傍で、崩れ去った旧神殿都市跡の全貌を厳しい表情で見つめていた。


「面倒なことになったな。まさか、魔族が自爆魔法を使ってくるとは予想もしていなかった」

「ごめん、マリア。あたしがきちんととどめを刺していなかったから」

「いや、フェリユのせいではない。隠れている気配に気づいていながら放置していたわたしが悪いのだ」


 貴女は何も悪くない、とフェリユの頭を優しく撫でるマリアの表情は厳しい。


「地下には、上級魔族である赤鬼種の男が潜伏していた」

「なにっ!? 赤鬼種の魔族といえば、黒鬼種と並ぶ戦闘種だな。それほどの上級魔族が、未だに神殿都市の近郊に潜伏していたとは……。マリア、そいつは倒したのか?」

「わたしが倒した。それともうひとり、中級程度の年老いた魔族も潜伏していたのだが……」


 その魔族が、最後の悪あがきで自爆魔法を使ったのだ、とマリアが説明すると、レイは頷く。


「赤鬼の方は上位魔族の、しかも戦闘種だった。あの魔族からは情報は聞き出せないだろうと思い、息を潜めていた姑息な中級魔族を拘束して、魔族が何をたくらんでいたのか聞き出そうと思っていたのだがな」


 と、嘆息たんそくした後に、マリアは傍のフェリユを見下ろす。


「フェリユ」

「なに?」

「よく、気配を殺し魔法によって姿を消していた魔族を見つけられたな」


 マリアが赤鬼種の魔族を討ち取った直後。不意打ちを放った年老いた魔族に、フェリユはユヴァリエールホルンを投擲とうてきした。

 最初から魔族の潜伏先を感知していたマリアに不意打ちは通用しなかったが、フェリユの咄嗟の攻撃も、事前に魔族の位置を正確に掴んでいなければできなかった技だ。

 マリアに言われて、胸を張るフェリユ。


「ふふーん。世界の違和感を読み解けば、あれくらい余裕だよ!」


 だが、フェリユはその能力を、地下に潜るまでは会得していなかったはずだ、と話を聞いていた特位戦巫女たちは驚く。


「フェリユ様は、天才肌ですね」

「でしょ?」


 ヴィエッタに褒められて、鼻息を荒くするフェリユ。

 そこへ、いつものように苦言をていしてきたのは、レイだった。


「しかし、魔族の潜伏を感知していたのなら、マリアが赤鬼にとどめを指す前に、フェリユが中級魔族の方を呪縛法術で拘束しておけば良かったのだ。お前は、まだ爪が甘い」

「ぐううっ。レイ、そこは素直に褒めてよね!」


 せっかくヴィエッタたち特位戦巫女に褒められたというのに、とほほを膨らませてレイに抗議するフェリユ。


 でも、レイの言う通りなのだ。

 自分が未熟で、先を読みきれていなかったせいで、マリアや他の者たちを危険にさらしてしまった。そして、旧神殿都市の地下を崩壊させてしまった。

 マリアが赤鬼種の魔族と戦っていた場面。特位戦巫女たちが奮戦していた状況。あの時、自分が年老いた魔族を拘束していれば……


「フェリユ。終わったことをいてはいけない。もしもを考えるよりも、次に最善を尽くせるように、日々の努力をおこたるな」

「うん。あたし、頑張るね。だから、マリアももっといっぱい、いろんなことをあたしに教えてね?」


 お姉ちゃん、頼りにしています。とマリアに抱きつくフェリユ。

 それを見て、またレイが苦言を呈した。


「フェリユ。今はまだ、魔族の残党を討伐するという聖務の最中だ。そういう甘えた姿を、他の者たちに見せてはいけない」

「ふんっ、だ。それって今更だよ? もう、あたしの甘えん坊っぷりはみんな知っているんだからねっ」

「それが良くないと言っているのだ」


 まったく、お前というやつは。とレイが苦笑混じりに嘆息した時だった。


 新たな地響きが足もとを揺らす。そして、わずかに遅れて、遠くから爆発音がとどろく。


「な、なに?」


 マリアに抱きついたままのフェリユが、慌てて周囲を見渡す。

 そして、驚愕に目を見開いた。


「マリア、神殿都市の方が!」


 フェリユが指差す方角に、全員の視線が向けられていた。

 山のように、中心部分が高くそびえる神殿都市。その上層部分から、噴煙が高く上がっていた。


「何事だ!」


 驚愕に叫ぶレイだが、この場に答えられる者はいない。

 いったい、神殿都市の上層部で何が起きたのか。

 巫女や神官たちに混乱が広がっていく。


「フェリユとネイティアは、神殿都市へ急行するように。レイは、この場に残って事後処理を頼めるだろうか? 神殿都市のことが気になるだろうが、こちらも大切だ。部隊を指揮し、魔族の残党が残っていないか確認を。わたしも神殿都市へ戻る」


 マリアの指示に、困惑しながらも全員が動き出す。

 フェリユは麾下きかの戦巫女や神官戦士たちをまとめると、足早に旧神殿都市跡を去る。

 ネイティアも後続部隊の者たちに指示を出し、フェリユの後を追う。


「……嫌な予感がする。マリア、油断はするなよ。私たちは、魔族の思惑に踊らされているのかもしれない」


 レイの忠言に、マリアは厳しい表情で頷いた。






 神殿都市に急遽きゅうきょ戻ったフェリユたちに、衝撃的な事態が知らされる。


「ご報告申し上げます」


 と焦燥感しょうそうかんを漂わせた上級神官が次に口にした言葉に、フェリユは息を呑む。


結界殿けっかいでんが……結界殿が、魔族の襲撃を受けました!」


 そんなっ! と悲鳴にも似た声をあげる人々。

 それもそのはずで、結界殿とは神殿都市の中枢でも特に厳重な警備が敷かれている場所であり、そこには各施設にほどこされた結界や、神殿都市を覆う大結界のかなめとなる大宝玉が収められている。

 その結界殿に魔族の侵入を許してしまったという事態に、全ての者が驚愕し、混乱が広がる。


「全員、落ち着きなさい。それで、その魔族は? 被害状況を」


 唯一、冷静沈着を保っていたマリアが、浮き足立つ巫女や神官たちをなだめる。そして、より詳しい被害状況を聞こうとした。

 しかし、第一報を伝えた上級神官も困惑の渦中かちゅうにあるのか、要領を得ない。

 それで、マリアは神殿都市の外に使者を送り、旧神殿都市跡の状況を監視しているはずのレイを呼び寄せることとなった。






「結界殿の被害状況をお伝えする」


 夕刻。結界殿の最奥に緊急招集された十二人の巫女頭や巫女長、そして長老巫女たちを前に、大神官であり、結界殿の管理をつかさどるレイが報告を入れる。


「本日、結界殿に巨大な獣の姿をした魔族と思われる存在が侵入した。ご覧の通り、獣の魔族は、こちらに安置されていた様々な結界宝玉をくだき、あろうことか大宝玉にまでその爪を向けた」


 レイが示す先に集った者たちの視線が注がれ、全員が絶句する。


 結界殿の最奥には、見る者を不思議な感覚へといざなうような、巨大なの彫刻がまつられている。

 その彫刻の樹は枝葉を結界殿最奥の祭殿さいでんいっぱいに広げ、枝先からは星のようにまたたく宝玉を幾つもらす。

 そして、巨大な樹の頭上には満月を示す飾りが浮かび、そこに巨大な宝玉が嵌め込まれていた。


 しかし、本来は広げられた枝葉の至る所から垂れ下がっていたはずの星の宝玉は幾つも落とされ、満月に嵌め込まれた大宝玉にも、大きな傷が刻まれていた。


「獣の魔族の狙いは、間違いなく大宝玉だったのでしょう。しかし、獣の魔族の爪でも大宝玉の表層に僅かな傷しか付けられなかったようです」


 フェリユたちが魔族の残党に襲撃をかけていた同刻に、神殿都市では獣の姿をした巨大な魔族の強襲を受けた。獣の魔族は、白い毛並みのひょうのような姿をしていたという。

 突如として神殿都市の上層部に出現した獣の魔族は、迷うことなく結界殿へと侵入した。

 そして、警備の戦巫女や神官戦士たちをものともせずに最奥の祭殿へ侵入し、数々の宝玉を砕いた。そして、獣の魔族の爪は、神殿都市を覆う結界のかくである大宝玉にまで及んだ。

 しかし、獣の魔族の爪を持ってしても、大宝玉の表面に僅かな傷を刻んだだけだった。

 獣の魔族は、己の爪が大宝玉を砕けないと知ると、憎々しげに喉を鳴らして姿を消したという。


「被害は……。獣の魔族は、大宝玉の破壊を優先していたのでしょう。立ちはだかった戦巫女や神官戦士に死者は出ていません。しかし……」


 まさか、神殿都市を覆う結界の排除を魔族が目論んでいたのか。と誰もが恐れを抱く。

 しかも、この襲撃は用意周到に企てられた可能性がある。


「先の、重傷を負っていた鬼種の魔族は、何者かにたばからられたと口にしていた。それが、今回の獣の魔獣の企てであるのならば……」


 獣の魔獣は、重傷を負っていた鬼種の魔族を利用して、神殿側に魔族の不穏な動きをわざと感知させた。

 魔族の企ての真偽を確認するために調査を進めた神殿側は、程なくして旧神殿都市跡に集結し始めた魔族の残党の存在を知る。

 相手は、残党とはいえ魔族だ。

 神殿側は最大の戦力で事態に当たった。

 巫女長のマリア。戦巫女頭のフェリユ。更には守護を司るネイティアや、大神官のレイ、それに数多くの戦巫女や神官戦士たちが駆り出された。

 だが、その全ては獣の魔族の謀略ぼうりゃくだった可能性が浮上してきた。


 しかも、レイでなくともある事実に気づき、震える。

 旧神殿都市跡の地下には、中級魔族だけでなく、上級の戦闘種である赤鬼まで潜んでいた。

 もしも、一連の魔族の活動が全て計画されていた動きということであれば、獣の魔族は、神殿都市の主戦力をおびき寄せるために上級魔族を利用できる、より上位の存在ということを示唆しさしている。

 そして獣の魔族は、大結界に覆われているはずの神殿都市の内側と外側に連絡を取る手段を持っているということを意味していた。


「獣の魔族の目的は、最初から結界殿の大宝玉の破壊だったのかもしれません。神殿都市より主戦力を排除し、あまつさえ私を不在にさせて、神殿都市を覆う大結界を消失させようとした」


 神殿都市を覆う大結界が破壊されてしまうと、人々は無防備になってしまう。

 大結界に護られているからこそ、神殿都市の人々は日々安全に暮らせているのだ。しかし、その大結界が消えてなくなれば、周辺地域に潜伏する魔族の残党に狙われる可能性がある。


 獣の魔族の襲撃の意味に、誰もが絶句していた。


「神殿都市の中でも厳重な警戒が敷かれていた結界殿に、こうも易々と魔族の侵入を許すなど……」


 長老巫女のセドリアーヌはおびえ切った様子で、視線を泳がせながら不安を口にする。


「今回は危うい場面でしたが……。大神官よ、大宝玉は大丈夫なのですか? なにか……輝きにかげりが見えるのは気のせいでしょうか?」


 セドリアーヌの不安に、レイは神妙な表情になる。


「そういえば、セドリアーヌ様は結界殿へお越しになるのは初めてでしたね。セドリアーヌ様が仰っている大宝玉の件は、実は三年前の大戦の後から確認されている事象です」


 レイ以外にも、マリアやフェリユにも知らされていた、大宝玉の異変。

 まばゆく輝く、大宝玉。今では、獣の魔族の鋭い爪によって四筋の傷が入ってしまっているが。その大宝玉の中心部には、けがれのような黒い染みが揺れていた。


「現在、私ども結界殿の総力をあげて、大宝玉の中心に浮かぶ染みについて調べています。巫女の浄化で抑え込めることは確認しているのですが……」


 この染みこそが、大結界のほころびになっているのではないか、とレイや結界殿の神官たちは考えている。

 だが、巫女の浄化で染みの揺らぎを抑えることは出来る、とわかっている以上の成果は、得られていない。


 フェリユや他の者たちも、大宝玉の輝きの奥に揺れる黒い染みの揺らぎに、不安な視線を向けていた。

 そこへ、結界殿の外から慌てた様子で上級神官が駆け込んできた。


「大神官様! みなさま!」


 と、礼儀作法も二の次といった様子で、上級神官が祭殿に揃う面々へ言伝を発した。


「カトリーゼ様が……。ご自宅で、何者かに殺害されてございます!」


 上級神官の報告に、居合わせた者たちの中で更なる混乱が巻き起こった。

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