残党の魔族たち

「全員、止まれ」


 とマリアが発したのは、長い通路の途中。

 その直後。

 通路の奥から、巨大な火球が轟々ごうごううなりをあげ、地下の空気を重低音で震わせながら襲いかかってきた!


「っ!」


 特位戦巫女マリーが祝詞を奏上する。

 フェリユも、誰よりも速く法術を展開させようとする。

 だが、豪速で迫る火球には間に合わない。

 長い通路の途中。退避する場所もない。


 業火の火球が、フェリユたちを襲う。

 燃え上がる地下通路。

 石造りの壁や天井や床を溶かすほどの高熱で、全てを焼き尽くす。


「たわいもない。所詮しょせんはこの程度か」


 と、通路の先で残忍な笑みを浮かべた男がひとり。

 しかし、男は次の瞬間には絶命していた。


「馬鹿だね? マリアにはその程度の魔法なんて効かないよ!」


 通路の奥から業火球を放った魔族の男は、燃え盛る通路から一瞬で飛び出したフェリユに、首を落とされた。


 ごとり、と床に男の首が落ちる。

 残忍な笑みを浮かべたまま。自身に何が起きたのかを理解することなく、魔族の男は絶命していた。


「全員、突撃!」


 魔族の男が絶命したことにより、魔法によって具現化していた業火は消え去る。そして、消え去った炎の中から、マリアと五人の特位戦巫女が現れた。

 全員が薙刀を構え、星渡りで高速に突進する。そして、魔族の男を討ち取ったフェリユを追い抜き、通路の先へと進む。

 フェリユも素早く星渡りを発動させると、マリアたちの後を追う。

 そして、広大な空間へと躍り出た。


 天星の導きが、地下の大きな部屋を星の輝きで照らし出す。と同時に、月の影が床面を覆い尽くす。

 マリーが事前に唱えていた呪縛法術「月裏げつりじん」によって、部屋の奥で待ち構えていた魔族たちの動きが封じられる。

 しかし直後には、月の影は砕かれる。陶器が割れるような乾いた音と共に、魔族が動く。

 マリーの放った呪縛法術は、その役目を果たせずに破られた。


 だが、僅かばかりの時間だけで、フェリユたちには十分だった。

 地下を支える柱が何本も規則的に並ぶ広い部屋に、マリアとフェリユ、そして五人の特位戦巫女は武器を構え、祝詞を奏上しながら布陣する。


「見つけたぞ、魔族たち!」


 フェリユの第一声に、部屋の奥で対峙する魔族たちが、にたりと不気味な笑みを浮かべた。


「見つけただと? あわれでおろかな人族の巫女どもの誤りを正さねばならんようだ。我らは、見つかったのではない。貴様らを、ここへおびき寄せたのだ!」


 殺気の籠った言葉を放ったのは、瞳が全て黒く塗りつぶされた、不気味な容姿の魔族。年老いて口周りにひげを生やすが、耳まで裂けた口もとが髭の奥から覗いている。

 瘴気しょうきはらむ衣を纏い、邪悪な魔力を放つ大杖おおつえを持つ。


「特殊な槍を持つ巫女が二人。ふむ、貴殿らがマリア・ルアーダとフェリユ・ノルダーヌか」


 次に声を発したには、年老いた魔族の傍らに立つ、長身の鬼。

 ひたいに二本のつのを生やす、赤鬼種の魔族だ。

 見た目は紳士的でありながら、放つ殺気と瘴気は隣の年老いた魔族以上。

 赤鬼の手には、肌と同じ色に染められた真っ赤な魔剣が握られていた。


 年老いた魔族が中級魔族。赤鬼の方は、上級魔族か。とフェリユは気配から読み解く。

 種族として、人族よりも遥かに優れた身体能力や魔法を使う魔族。その魔族の中級魔族と上級魔族が相手だとは。フェリユだけでなく、マリアと五人の特位戦巫女たちにも緊張が走る。

 しかも、この二人の魔族だけではない。部屋の奥や、左右の壁際、それに建ち並ぶ柱の影にも、無数の小鬼や下級魔族の気配が感じ取れる。


 ここは一旦後退して、戦巫女たちの支援を待った方が良いのかな?

 というフェリユの慎重な判断とは真逆に、マリアは躊躇いなく決断を下す。


「わたしが赤鬼の相手をする。フェリユは、魔法が得意そうな年老いた中級魔族を。ヴィエッタたちは、下級魔族の相手を」


 そう言ったマリアは、一瞬で魔族の集団の中へと突っ込む。そして、レザノールホルンを大きく振り抜いた。


「っ!!」


 魔族にとって、予想外の強襲となった。

 反応の遅れた小鬼が数体、レザノールホルンの巨大な刃の餌食となって、胴体を両断される。

 しかし、年老いた魔族と赤鬼種の魔族はそれでも反応を示す。


 ぎぃんっ! と鋭い金属音を響かせて、レザノールホルンの刃を受け止めたのは、赤鬼。

 年老いた魔族は、一瞬で部屋の別の場所へと移動していた。


「全員、巫女長様に続け!!」

「おのれ、人族如きが!」


 人族と魔族の怒声が響く戦いの幕が上がる。

 フェリユは、瞬間移動と思えるほどの速度でマリアの一撃から逃れた年老いた魔族を追う。

 星渡りを発動させ、瞬く間に年老いた魔族との間合いを詰める。


「ふむ。綺羅星の巫女か」


 しかし、年老いた魔族は悠然と構えたまま、床に対して水平に滑り間合いを詰めてきたフェリユを待ち構える。


「どうやら、人族は言葉さえも理解できないほど知能が低いらしい。我はこう言ったのだ。貴様らを待ち伏せしていたとな!」


 年老いた魔族が、にたりと残忍な笑みを深めた。

 直後。立ち並ぶ柱の影から、小鬼が飛び出してくる。

 フェリユの死角から、凶悪な爪を振り下ろす。


「馬鹿はお前たちの方だ!」


 だが、フェリユは柱の影から不意打ちを仕掛けた小鬼たちには目もくれずに、振り返ることなくユヴァリエールホルンを振るう。

 横薙ぎに払われた巨大な刃が、小鬼たちをまるで紙切れのように容易く斬り裂いた。

 更に次の瞬間には、フェリユの周囲に十本以上の満月色の矢が出現する。

 攻撃法術「月光矢げっこうや

 満月の色に輝く月光矢が、まるで意志でも持っているかのように柱の裏へと回り込み、隠れ潜んでいた低級魔族たちを貫いていく。


「魔族に騙されるようなあたしじゃないよ! 待ち伏せしていた? それは、こちらの大結界法術「冴月さゆづきじん」で逃げ場を失ったから、仕方なくでしょ!」


 叫び、年老いた魔族に肉薄するフェリユ。

 間合いは、一瞬の攻防だけでユヴァリエールホルンの範囲に入っていた。

 気合いと共に、真紅の宝玉が輝くユヴァリエールホルンを振り下ろすフェリユ。


 ざんっ!! と空気を鋭く斬り裂く衝撃音が響く。

 しかし、振り下ろされたユヴァリエールホルンの刃は、何も捉えていなかった。


「くくくくっ。小娘、貴様は何をしている?」

「んなっ!?」


 目の前に一瞬前まで居たはずの年老いた魔族の姿は、気づけば別の場所に在った。

 年老いた魔族が最初に立っていた場所。そこに、変わることなく佇む年老いた魔族の姿に、フェリユは驚愕きょうがくする。


 瞬間移動した?

 でも、魔力的な反応はなかったはず。

 それとも、発動が感知できないほどの速さの魔法なのだろうか。

 疑問を浮かべるフェリユに、容赦なく魔法が放たれた。

 年老いた魔族の手にした大杖から、業炎が上がる。

 瞬く間に、広い地下空間が炎の地獄と化す。


「くくくっ。いかに優秀であろうとも、この部屋全てが燃えてしまえば、貴様らは死に逝くだけだ」


 にたり、と耳の付け根まで口を裂いて笑みを浮かべた年老いた魔族に、炎が応えた。


「本当に?」

「っ!!?」


 咄嗟とっさに腕を振るった年老いた魔族。その大杖を持つ手が、空中にねる。そして、自ら生んだ業炎に焼かれて消し炭となる。


「な、なにっ!?」


 と、年老いた魔族が反応した時には、既に手遅れだった。

 炎から飛び出たフェリユが、ユヴァリエールホルンを横薙ぎに振るう。その直後には、髭を蓄えた魔族の頭と胴体は、分断されていた。


「だから、言ったじゃん。馬鹿なのはそっちだよ!」


 年老いた魔族は知らなかった。

 マリアには、生半可な魔法は通用しない。炎であれば、ほぼ通用しない。そして、マリアの加護を受けるフェリユや五人の特位戦巫女にも、地下空間を焼き尽くそうとした業炎は通用しなかった。


 なぜならば、と剣戟音けんげきおんを響かせるマリアを見つめるフェリユ。

 魔力を乗せた赤鬼の激しい斬撃を、マリアは流れる水のような動きで受け流す。ひらり、と巫女装束の長い袖が舞い、腰に巻く緋色の羽衣がなびいた。


 巫女長として。聖四家筆頭たるルアーダ家の当主として相応しい、特別な巫女装束。その腰に巻かれた緋色の羽衣は、しかし見る者によってはおどろおどろしく映る。

 何故なぜならば。

 羽織らずに、敢えて腰に巻かれた緋色の羽衣こそは、伝説の魔獣「猩猩しょうじょう」の皮をなめした特殊な衣装だった。

 そして、猩猩は炎を操る。

 生前の異能を受け継ぐかのように、猩猩の緋色の羽衣を纏うマリアには、炎は通用しない。もちろん、生半可な術や凶器も意味をなさない。死してなめされて尚、猩猩は化け物じみた存在感を示す。

 そして、マリアの加護を受けた者たちも、その恩恵を受ける。


 長く続く通路の途中で魔族が放った業火が通用しなかった原因も、猩猩の緋色の羽衣でありる。

 そして、フェリユや特位戦巫女たちが防御の法術ではなく、移動と呪縛の法術を躊躇わずに奏上した理由も、そこにあった。


 フェリユは、首を両断されて崩れ落ちた年老いた魔族の胴体を一瞥いちべつすると、次の戦場へ目を向ける。


 マリアは、上級魔族である赤鬼と激烈な斬撃の応酬を繰り広げていた。

 赤鬼が、真っ赤にたぎった魔剣を振るう。マリアは柔らかな水の流れのように、襲い掛かる力に逆らうことなく、激しい剣戟を受け流す。そして、激流が岩を砕くような反撃を繰り出す。

 赤鬼は身体能力と魔力にものをいわせ、レザノールホルンの強烈な一撃を受け止た。


「マリアは、大丈夫!」


 無理をし過ぎれば、マリアは法力を暴走させるかもしれない。だが、今はまだ、法力を温存する戦いを繰り広げている。

 今の状態であれば、マリアは問題なく上級魔族を抑え込めるだろう。


 では、と視線を巡らせると、防戦状態で戦う特位戦巫女たちの姿が映った。

 結界法術を二重に展開させ、守備領域を確保するマリーとヴィレッタ。

 守備領域の内側から、イザベルとナタリーが攻撃法術を繰り出す。

 だが、地下空間に潜んでいた魔族の数が、あまりにも多い。

 支柱の影から素早く飛び出した小鬼が、放たれた月光矢を掻い潜り、特位戦巫女の張り巡らせた結界に肉薄する。それを、ヴィエッタが薙刀で討ち払う。


 流石だ、とフェリユも舌を巻く。


 十体以上の下級魔族が、特位戦巫女の五人に襲い掛かる。それを、防御と攻撃を巧みに組み合わせて、迎撃している。

 数で劣る特位戦巫女は防戦状態ではあるものの、確実に下級魔族の数を減らしていた。


「よし、まずはこっちだ!」


 マリアは、大丈夫。

 ならば、加勢すべきは特位戦巫女が繰り広げる戦場であり、今が下級魔族を減らす好機だ。


 フェリユは素早く祝詞を奏上する。

 次の瞬間には、特位戦巫女の結界に向かって肉薄しようとしていた下級魔族たちが、一斉に呪縛されていた。

 そして、間髪を置かずに、フェリユの周囲に十本以上の月光矢が出現する。

 月光矢は残像を残すほどの速さで、呪縛された下級魔族たちに突き刺さる。


 地下空間に、下級魔族たちの断末魔が響く。


「ちっ。よもや、これほどとは……」


 マリアの法術を魔法で吹き飛ばし、間合いを取った赤鬼種の魔族が、露骨に舌打ちをした。


 ほんの少し前までは、上級魔族の赤鬼と中級の年老いた魔族。そして数多くの小鬼や下級魔族で、絶対的な優位を示していたと思われた魔族たち。

 だが、形勢はあっという間にくつがえった。


 上位魔族である赤鬼はマリアに手こずり、周囲へ気を向ける余裕がない。

 人族を圧倒するはずだった年老いた魔族の魔法はマリアが腰に巻く猩猩の緋色の羽衣によって無効化され、それどころかフェリユによって容易たやすく討ち取られた。

 下級魔族の集団は、数の有利を活かせずに、特位戦巫女たちの戦術に嵌って着実に数を減らされていき、最後にはフェリユの高速二重奏上の法術によって一掃されてしまった。


 さあ、あとひと息だ!

 全員で掛からずとも、マリアであれば間もなく決着を付けるだろう。そうでなくとも、綺羅星の巫女たるフェリユが加勢に入れば、結末は確定される。

 フェリユは情勢を読もうと、苛烈を極めるマリアの戦いに目を向け直す。


 赤鬼が、短い発声とともに雷撃の魔法を放つ。

 マリアは軽い身のこなしで雷撃を回避すると、一気に間合いを詰める。そしてレザノールホルンを振るいながら、法術を放つ。

 しかし、そこは上級魔族だ。レザノールホルンの斬撃を受け流し、魔法で法術を弾く。

 反撃とばかりに、赤鬼は鋭い突きを放つ。

 フェリユの目には、三連撃のよう映った。

 放たれた刺突の数さえ正確には見えないほどの攻撃を、しかしマリアはゆらりと体を泳がせて回避する。


 激烈な攻撃を繰り出す赤鬼。

 マリアは、水が流木や岩を流して力をいなすように、赤鬼の攻撃を軽やかにさばく。そして、激流のごとく猛烈な反撃を繰り出す。


 マリアの戦い方は、誰にも真似できないような、独特な技法が駆使されていた。

 対峙者の攻撃は、緩やかな川の流れのように、軽やかに処理される。しかし、マリアがひとたび攻撃に移れば、それは激流を思わせるほどに激しく、強烈だ。


 いったい、マリアはこの戦い方を、いつ誰に教わったのだろう。とフェリユは改めて疑問を思い浮かべた。

 幼い頃より、姉妹のように共に成長してきたはずの、一歳年上のマリア。

 だが、フェリユの知らないマリアの姿が、そこには映る。


「終わりだ」


 とレザノールホルンを振り上げたマリア。

 対する赤鬼は驚愕に目を見開き、指先さえ動かせずに硬直していた。


「な、何故だ……。人族如きに、この私が!」


 憎々しげに、喉の奥から言葉を漏らす赤鬼。その足もとには、何重にも重ねられた呪縛法術の影が広がっていた。


 マリアは、ただ闇雲に赤鬼と激烈な攻撃の応酬を繰り広げていたわけではない。

 密かに。上級魔族にさえ悟らせずに、何重もの呪縛法術を準備していた。

 そして、この瞬間。マリアが発動させた多重の呪縛法術が、上級魔族を完全に縛り上げた。


 マリアは、振り上げたレザノールホルンを勢い良く振り下ろす。

 肩口から下半身にかけて袈裟懸けに両断された赤鬼は、断末魔と共に倒れた。


 終わった。

 旧神殿都市跡の地下に潜んでいた魔族の残党は、討伐された。


 と、戦いの終幕を感じた時だった。


 ぞくり、と背中に悪寒が走る。

 同時に、マリアの背後へ向かって、魔法の槍が放たれた!


「っ!!」


 しかし、魔法の槍はマリアの背中に突き刺さることはなかった。

 振り返ることなくレザノールホルンを振るったマリアは、魔法の槍を叩き落とす。


 そして。


「な、何故……!」


 と、大量の血を吹き出しながら、ユヴァリエールホルンの巨大な刃に胴体を貫かれた年老いた魔族が、壁際に崩れ落ちる。


「馬鹿な……。我は、貴様らから完全に姿を隠していたはずだ」


 ごふり、と血の塊を吐く年老いた魔族は、フェリユが最初に首を落としたはずの、中級魔族だった。


 ユヴァリエールホルンに首を両断された年老いた魔族の遺骸は、確かに別の場所に倒れている。

 だが、マリアの立つ背後の壁には、ユヴァリエールホルンに貫かれた、もうひとりの年老いた魔族の姿がある。


 フェリユは、投擲とうてきしたユヴァリエールホルンを回収するように、素早く年老いた魔族の正面まで駆け寄る。

 そして、ユヴァリエールホルンのつかに手を添えながら、言い切った。


「そんなの。世界の違和感を読み取っていれば、最初の奴が幻覚で、お前が最初からここに潜んでいたことくらい、お見通しだったよ!」

「っ!?」


 言ってフェリユは、ユヴァリエールホルンを振り抜いた。

 今度こそ、胴体を両断されて崩れ落ちる年老いた魔族。

 だが、年老いた魔族は最後に、残忍な笑みを血だらけになった顔に浮かべた。


「よもや、我だけでなくゾルバート様までもが討ち倒されるとは……。だが、無駄死にだけはせぬぞ!」


 血を吐きながら、年老いた魔族は上半身だけで魔力を練り上げる。


「しまった!」


 マリアが叫ぶ。

 フェリユも、すぐに事態を察知した。


「自爆する気!?」


 こればかりは、誰も予想できなかった事態だ。

 年老いた魔族は、残った己の命と魔力を混ぜ合わせ、一気に膨れ上がらせていく。


 とどめを指すべきか、自爆攻撃から逃げるべきか。

 一瞬の判断だった。


「聖女と綺羅星の巫女、共にこの地下で死ぬがいい!」

「全員、ただちにこの場から退避!!」


 マリアの叫びと、年老いた魔族の死の笑いが重なった。

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