世界の息吹

 旧神殿都市も、かつては中心部の大神殿が山のように高く聳えていたという。しかし、約五百年前の大戦の折に、崩壊してしまった。

 それでも、地下の構造部分の一部は現在も健在である。

 ただし、地下構造部に用事のある者などはまれであり、だからこそ、普段は巡礼者や神殿都市の住民が迷い込まないように、封じられている。


 だが、今。

 神殿跡に残っていた地下への入り口の封印は壊され、口を開けていた。

 何者かが、隠されていた地下構造部へと侵入したことを意味する。

 そして、その何者かとは、間違いなく魔族の残党だった。


 フェリユたちは、慎重に階段を下っていく。

 地下の構造は、ゆとりのある設計で築かれている。

 そもそも、山のように中心部を高く盛った構造を見せていた旧神殿都市において、地下部分は備蓄の意味を持っていた。

 陽の光の届かない地下だからこそ、安定的に食糧を保存できる。それだけでなく、緊急時の物資や普段は利用されない様々な道具などが、地下に収納されていた。

 そのため、一般家屋などではなく、神殿跡に地下への入り口が設けられていたのだった。


 フェリユたちは、階段を降り終えると僅かな廊下を進み、最初の空間へと出る。

 さして広くもない空間全体を「天星の導き」の星々が照らし出す。

 何もない、さびれた部屋だった。

 恐らく、運用されていた当時は、ここに聖職者の詰め所が設けられており、出入りする物資や人々の記録をつけていたのだろう、と予測できるのは、現在の神殿都市が同じ構造をしているからだ。


「待ち伏せなし!」


 と最初の部屋を指差して、確認を入れるフェリユ。

 部屋には、魔族が隠れられるような物陰も、瓦礫もない。

 天星の導きに照らされた部屋は、全周が石造りで構成されている。

 これより上部の地上には、山のような神殿都市の構造が乗っていたのだから、地下が堅牢に造られているのは当然であり、だからこそ、こうして現在まで遺っていた。


「でも、地下ってちょっと怖いよね? 崩れたりしないのかな?」

「壁石や天井に老朽化の跡は見られるが、まだ大丈夫だろう。ただし、地下で激しい戦闘が起これば、わからないな」

「マリア!?」


 そんな怖いことを言わないでよ。と愚痴を溢すフェリユに微笑み返して、マリアは先に進む。

 最初の部屋には、扉を失った続きの通路が口を開けて延びていた。

 マリアが先頭に立ち、通路に足を踏み入れる。


「マリア、そんなに警戒なく通路に進んで大丈夫?」


 すると、余りにもよどみなく先を進むマリアの足取りに、フェリユが困惑の声をかけた。

 マリアは背後を振り返ることなく、天星の導きの照らす先の闇に視線を向けて歩きながら、平然と答える。


「魔族の気配はまだない。きっと、ずっと奥の備蓄部屋か、枝分かれしている地下回廊の何処どこかに潜んでいるのだろう」

「だからこそ、この通路の先に潜んでいるかもしれないよ!?」

「それはない」


 どこから表れた自信なのか、マリアは躊躇うことなく通路の奥へと進んでいく。

 天星の導きを担当しているヴィエッタがその後に続き、残りの四人の特位戦巫女が薙刀を構えて後を追う。特位戦巫女の五人は、全員がマリアの確信を信じて疑わず、迷うなく通路へと入っていく。

 フェリユは、天星の導きの明かりが乏しくなり始めた部屋を一度だけ見渡すと、ヴィエッタと共に流れるように移っていった星々の明かりの代わりに広がり始めた闇から逃げるように、マリアたちの後を追って通路へ飛び込む。


 この後、後続の戦巫女たちがこの部屋へと入ってくるはずだ。彼女たちはマリアや特位戦巫女たちとは違い、慎重に歩みを進めながら、自分たちの後方の安全の確保と、予備戦力としての務めを果たすだろう。

 だからこそ、後続の戦巫女たちとあまり離れない方が良いんじゃないかな? と、躊躇いなく先へと進んでいくマリアや特位戦巫女の五人の歩調の速さに困惑してしまうフェリユ。

 それでも、指揮を執るマリアに従い、フェリユも通路を進む。


 最初の部屋からは、通路が長々と続いていた。

 緩い勾配で、更に地下へと進んでいる。

 旧神殿都市跡の各地に設けられた地下への入り口は、地表の下で全て繋がっているはずだ。

 入り組んだ長い通路と、要所に設けられた部屋が幾つもあり、不用意に地下へ踏み入った者を惑わせる。

 それもそのはずで、地下構造部分は様々な保管場所としての役割以外にも、緊急時に人々をかくまう機能が備わっていた。

 だからだろう、入り組んだ通路は時に分岐が存在していたり、進んだ先が袋小路になっていたりする。


 だが、マリアは迷いなく地下の回廊を進んでいく。

 付き従う特位戦巫女たちも、足取りに迷いはない。

 殿しんがりを務めるフェリユは、先を行く者たちの迷いのなさに、奇妙な違和感を膨らませてしまう。


「ねえ、なんで迷わないの?」


 先ほど通過した十字路。幾つか確認した部屋の中には、先へと続く通路が二つ以上ある部屋もあった。

 だが、マリアは迷わず進む。特位戦巫女たちも、疑問を持つことなくマリアに追従する。

 そして、躊躇いなく進んだ部屋や通路の先には、確かに魔族の姿も気配もなかった。


 きっと、もっと奥の方で魔族たちは待ち構えているのだろう、とフェリユも思う。だが、枝分かれした十字路の先や、躊躇いなく入った部屋に魔族が潜んでいて、不意打ちを仕掛けてくる可能性は考えないのだろうか?

 フェリユの疑問に、先に見える新たな分岐路を前にしたマリアが足を止めた。


「フェリユ。貴女は気配を読めるだろう?」

「隠れている魔族の気配? うん、もちろん読めるよ。でも、強い魔族の中には、気配を読みきれない者だっているんだよ?」


 十七歳のフェリユだが、なにも名家の生まれだからという理由だけで戦巫女頭という地位に就いているわけではない。

 綺羅星の巫女と名前をせるように、法術においてはマリアさえ舌を巻くほど高速で発動することができる。

 それに、速さだけではない。ノルダーヌ家の当主として相応しい絶大な法力を宿し、宝槍ユヴァリエールホルンを操れば、魔物だろうと魔族だろうと、ものともしない戦闘技能を示す。

 現在の神殿都市の戦巫女の中で、フェリユ以上の法力と戦闘技能を持つ者は、マリアくらいだろう。


 そのフェリユが、隠れ潜む者の気配を読み解くことは、当然の能力として会得している。

 だが、フェリユの返答を聞いたマリアは「それでは駄目だ」と厳しく否定した。


「フェリユ、今この場で、慎重に気配を探りなさい」


 マリアに言われ、フェリユは意識を研ぎ澄ます。

 自分の背後に広がる、地下の闇。天星の導きが照らす先に見える、分岐路。その枝分かれした回廊の先に何か潜む者はいないか。

 呼吸を整え、気配を探る。


 だが、フェリユは何も感じない。


「感じないってことは、潜伏者はなし!」


 断言したフェリユを確認すると、マリアは僅かな指先の動きで特位戦巫女に指示を送った。

 特位戦巫女が、祝詞の奏上に入る。

 なぜ、とフェリユが疑問を浮かべる間にも、マリアは動く。


 マリアは歩みを再開させると、躊躇うことなく分岐路の中心へと進んだ。

 その時。

 右に折れた分岐路の先から、みにくい小さな生物が飛び出し、マリアに襲いかかる!


「マリア!」


 フェリユが咄嗟とっさに叫ぶ。

 だが、分岐路の奥から不意打ちしてきた醜い小さな生物は、マリアに触れる前に動きを止めた。

 小さな醜い生物。それは、小鬼こおにと呼称される下級魔族。

 小鬼は、マリアの寸前で全身を硬直させている。そして、小鬼の足もとには、三日月の光と影が浮かび上がっていた。

 三日月の、淡い光の中にマリアが立ち、影の部分に小鬼が囚われている。

 特位戦巫女が放った呪縛法術「三日月の陣」は、小鬼の動きを完全に封じていた。


「魔法により、気配を殺していたのだろう」


 と感情もなく言い切ったマリアは、右手に握るレザノールホルンを振るう。それだけで、小鬼は両断されて絶命した。


「待ち伏せしている小鬼程度であれば、フェリユでなくとも気配は読める。だが、今まさにこうして、フェリユの読みをくぐって小鬼が不意打ちを仕掛けてきた。この先には恐らく、小鬼の気配を消す魔法を掛けた中級以上の魔族が潜伏しているはずだ」


 中級以上の魔族であれば、魔法を使わずともフェリユたちから完全に気配を消せるだろう。ということは、全員が理解していた。

 フェリユも、マリアの言葉と眼前で起きた事態に息を呑みながら頷く。


「フェリユ」


 マリアに改めて声を掛けられて、フェリユは分岐路の中心に立つマリアを見つめる。


「気配を読む、という能力に頼っていては、今のような不意打ちは防げない」

「でも……」


 それじゃあ、気配を完全に消している者の存在をどうすれば知ることができて、不意打ちを防げるの? というフェリユの疑問に、マリアは即答した。


「相手の気配を感じるのではない。世界の違和感を読み解くのだ」

「世界の違和感?」


 首を傾げるフェリユに、マリアは慈愛に満ちた柔らかい笑みを浮かべる。そして、まるで母が娘に言い聞かせるような優しい声で、自身の知識を伝える。


「どれだけ完全に気配を消しても、そこに存在しているのであれば、必ず世界に違和感は残る。息をすれば口もとの空気は乱れ、身動きすれば微かであっても風は起こる。体温は周囲の温度に影響を与え、踏みしめている地面には荷重が掛かる。そうした世界の違和感を読み取れるようになれば、気配を完全に消した者であっても、存在を感知できる」

「ふうん? 世界の違和感。……違和感ねぇ」

「フェリユ様、頑張って会得してくださいませ」


 年上の特位戦巫女たちに応援されて、フェリユは「頑張ってみるよ」と返事を返す。そうしながら、フェリユは自分の前方に佇む特位戦巫女たちや、分岐路の中央に立つマリアを見つめた。


「ねえ、マリア。前から不思議に思っていたんだけどさ。マリアは、そうした能力とかをどこで手に入れたの? ってか、マリアのお師匠様ってだれ? ミネア様じゃないよね?」


 これも、違和感のひとつ。

 マリアはいったい何時いつ何処どこで、高度な知識や戦闘経験、フェリユさえ知らないような高位の法術を会得したのか。

 マリアの槍術は、ルアーダ家に伝わる流派とは違う気がする。同じ形態の異形の宝槍を操るルアーダ家の当主とノルダーヌ家の当主は、同じ槍術を扱うはずだ。しかし、フェリユの槍術とマリアの槍術は、様々な部分で違いがあった。


 母であり、巫女王であり、ノルダーヌ家の当主であったレイシアから、自分が槍術を全て教わり切らなかったからだろうか、と考えたこともある。

 だが、マリアの繰り出す槍術は、レイシアの槍術とも違う気がする。

 いったい、マリアは何処で独自の槍術を身につけ、戦闘経験を積み上げてきたのだろう。


 だが、マリアはフェリユの疑問には答えずに、分岐路を右へ折れて進み出す。

 特位戦巫女たちもマリアに続き、躊躇いなく右の回廊へと進む。


 マリアに追従する特位戦巫女たちも、分岐路の左側の通路を確認しようとさえしていない。

 この場で、世界の違和感を感じ取れていない未熟者は、もしかすると自分だけなのかもしれない、と未熟さと疎外感そがいかんを微かに感じるフェリユ。


 何せ、自分以外の特位戦巫女の五人は先の大戦の前からマリアに仕え、数々の激戦を潜り抜けてきた歴戦の強者なのだ。

 戦巫女頭として、誰よりも強いという自負を持つフェリユだが、経験は未だに先達の者には及ばない。

 その中で、マリアにいつでも付き従い、マリアから多くのことを学んでいるだろう特位戦巫女たちに、うらやましさを感じてしまう。


「むうう。また迷いなく道を選んだね? さっきから、どうして迷わないの? みんなだけ確信を持って進むのはずるいんだよ?」


 だから、つい愚痴を溢してしまう。

 マリアのことは、誰よりも知っていたい。マリアから、誰よりも愛されていたい。

 まあ、妹のミレーユは例外としてね?

 でも、ヴィエッタたちよりかは、自分の方がマリアにとって特別でありたい。

 フェリユの嫉妬心が漏れ伝わったのか、ヴィエッタたち五人の特位戦巫女に、くすりと笑われる。


「フェリユ様。巫女長様やわたくしどもは、普段からこの地下へは赴いているのですよ」

「なんで!?」


 ヴィエッタの思いがけない返答に、前のめりで聞き返してしまうフェリユ。


「フェリユ。貴女も覚えておきなさい。巫女長としての務めの中には、旧神殿都市跡の管理や、墓守はかもりとしての役目も含まれる」

「そういうことかぁ」


 マリアに言われてしまうと、納得するしかない。

 マリアやヴィエッタたちは、役目として何度となく旧神殿都市跡を訪れ、様々な場所を巡ってきたのだ。そうであれば、地下構造部分を熟知していても不思議ではない。

 そして、地理を把握しているからこそ、通路の分岐を間違うこともなく、魔族が潜んでいそうな場所を的確に予測して進んでいるのだろう。


「もうっ! 特位戦巫女たちばっかり、ずるいんだよ? あたしにも色んなことを教えてよねっ」


 と、先を行く者たちの背中を追うフェリユに、マリアが苦笑しながら言った。


「フェリユ。まずは図書殿に通い、勉強しなさい」

「うわっ!」


 勉強は苦手なんだよ、とフェリユは悲鳴をあげた。

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