地下構造部へ

 都市の中心となる大神殿は山のように高く聳え、さまざまな施設や神殿、そして人々の居住区が裾野いそのを緩やかに広げる、神殿都市。

 その東部地区から神殿都市を抜けたの先の広野。徒歩で半日も掛からないような場所には、神殿都市と同程度の規模を誇る古い遺跡がある。

 これこそが、約五百年前の大戦以前に繁栄を謳歌おうかしていた、旧神殿都市の跡だ。


 現在では、風化した基礎部分が残る程度の寂しい遺跡ではあるが、人々がこの遺跡を忘れることはない。

 そして今も尚、各地からの巡礼者や神殿都市の住民の往来が絶えない。

 理由は、旧神殿都市の中心部にある。

 瓦礫さえも風化して見かけないような古い遺跡ではあるが、大通りの名残が、旧居住区から中心部へと真っ直ぐに延びている。

 ただし、現在の神殿都市のように、中心部に向かうと山のように高く聳えているわけではなく、丘陵きゅうりょうのように僅かな盛り上がりがある程度だ。その丘陵部分には、廃墟としては整いすぎた庭園が広がっていた。


 旧神殿都市の中心部は、現在は墓所として整備されている。

 神殿都市で暮らし、亡くなった者たち。その多くが、旧神殿都市中心部の庭園に埋葬されていた。

 そして、歴代の巫女王や聖四家の墓もそこには存在している。


 本来であれば、古い遺跡として静かに歴史を語り、墓所として人々の行く末を見守る、旧神殿都市跡地。

 その広大な領域に、冷たい月の輝きが降りたのは、真夏の太陽がまだ東の地平線の先に昇り切る前だ。


「大結界法術『冴月さゆづきじん』の展開を確認!」


 そうレイに報告をあげた上級巫女の背後では、二百人からなる巫女たちの祝詞の唱和が朗々ろうろうと響く。


 二百人の巫女が互いに手を取り合い、大きな輪をつくる。

 そうして、巫女ひとりひとりの法力を、手を繋ぎ合った輪の中で循環させ、ひとつの大きな祈りへと昇華させる。

 そして、輪になった巫女は声を揃えて祝詞を大奏上し、女神に捧げる。

 大法術とは、大勢の巫女によって施行される大きな女神の力だ。


 その中で、大結界法術「冴月の陣」とは、冷たい満月の光の内側に捕らえた邪悪なる存在を閉じ込め、又、結界の外からの新たな穢れを寄せ付けない、広範囲の結界法術になる。

 今回は、魔族の残党を取り逃さないために、旧神殿都市跡を包むように冴月の陣は張り巡らされた。


「巫女は、結界の維持を最優先に。魔物などの外敵が懸念される場合は、神官戦士たちが対処せよ! 控えの巫女や戦巫女たちは、結界の維持に当たっている巫女の補佐と、場合によっては役目の交代だ」


 レイの指示に、先発隊の者たちが機敏に動く。


 早朝に神殿都市を出発し、巫女や戦巫女たちは移動法術「星渡ほしわたり」で作戦展開領域へ急行した。そこから素早く大法術の準備に取り掛かり、男性の神官や神官戦士たちの到着を持って、冬の寒々とした月の光と影を地上に下ろす。

 まずは、旧神殿都市跡に潜む魔族たちの不意を突く形で、冴月の陣を発動させることができた。

 あとは、マリアとフェリユが引き連れてくる後続部隊が旧神殿都市跡に入り、潜む魔族たちの討伐に当たる。


 レイは、輪になり大法術を維持する巫女たちを守護するように、周囲へと監視の意識を向ける。

 魔物が現れれば、神官戦士たちを中心とした戦いになるだろう。

 だが、万が一に結界から取り溢した魔族がいれば、必ず襲撃される。


 その時は、私が何を持ってしてでも巫女たちを護り抜く。

 レイは、手にした槍の柄を強く握り締めた。






 旧神殿都市跡の周囲を囲むように冷たい満月の光が降りてしばらくすると、マリアが率いる後続部隊が到着した。

 法力を温存して、先発した巫女たちのようには移動法術を使わずに到着した戦巫女たちは、徒歩で消耗した体力を癒すように、一旦の休憩に入る。

 しかし、マリアには休む暇もない。

 すぐさま、先発部隊の指揮を執るレイのもとへと寄るマリア。

 フェリユとネイティアも、マリアに続いて集まってきた。


「状況は?」


 マリアに問われ、レイが答える。


「大結界法術は、見ての通り無事に展開できている。マリアたちが来るまでに魔物の襲撃はあったが、それ以外は至って順調だ」


 であれば、旧神殿都市跡の内部には魔族が捕らわれている、ということだ。

 レイの報告を受けたマリアは、すぐに指示を出していく。


「大神官が率いる先発部隊は、このまま大結界の維持を。旧神殿都市跡の地下へは、わたしが先行する。補佐は戦巫女頭のフェリユ、及び特位戦巫女たち。中衛に上級戦巫女ソフィアの部隊を置き、先行した特位戦巫女に何かあった場合の交代要員とする。巫女頭ネイティアが率いる部隊は、後方の安全確認を頼む」


 地上部分は、中心部付近に丘陵のような庭園を残すばかりの、廃墟の旧神殿都市跡地。しかし、現在の神殿都市がそうであるように、遺跡にも地下構造が存在していた。

 地上の、瓦礫もほとんど見当たらず、過去の建築物の基礎部分が僅かに残る程度の地上には、魔族の姿どころか気配もない。

 魔族が密かに集結しているというのであれば、それは地上からはうかがえず、墓所となっている庭園へ行き来する巡礼者や神殿都市の住民から姿を隠せる、地下構造部分で間違いない。


 マリアの指示に、はい! とフェリユを含む巫女たちが揃って返事を返す。


 現状で高位の魔族とまともに戦えるのは、極めて戦闘能力の高い特位戦巫女と呼ばれる五人の女性たちと、マリアとフェリユくらいだろう。

 しかも、特位戦巫女であったとしても、全員で掛かって中級魔族とようやく対等に戦えるかどうか。もしも旧神殿都市跡に中級以上の魔族が複数潜伏していた場合は、マリアとフェリユ以外はまともに対応できないどころか、足手まといになる可能性の方が高い。

 そして、上級戦巫女以下の者たちは、数人がかりでようやく下級魔族一体に対応できるかどうか、という戦闘基準を全員が認識していた。


「それでは、行くぞ!」


 マリアの号令に、後続部隊の戦巫女たちが一斉に動き出す。


「西部区域より地下へ入る場合は、五番区の神殿跡からになります!」

「わたしが先行する。特位戦巫女の五人が続き、殿しんがりはフェリユに頼む。最初からユヴァリエールホルンを出しておきなさい」


 とフェリユに声をかけたマリアは、自身の右耳に垂れた青色の耳飾りに触れる。そして、歌のような旋律せんりつを小さく口ずさむ。

 すると、異形いぎょう薙刀なぎなたがマリアの右手に出現した。


 青を基調とした、長い柄部分。巨大なつばは、古樹の根がいびつからまったような形状をしていた。しかも、根の先端は象牙のように白く変色し、鋭い角のように鍔から張り出している。

 清らかな巫女が持つ武器にしてはあまりに異形な形と材質を示す鍔には、根に絡まるようにして大小の宝玉が無数に嵌め込まれていた。

 大きなもので、拳大ほどになる宝玉は、柄と同じ青色に美しく輝く。

 そして、異形の鍔から伸びた刃の部分もまた、異常な形をしていた。

 薙刀と呼ぶにはあまりにも巨大であり、大きく反り返った刃は、最早もはや大刀と呼ぶべきほどに肉厚で重厚に見える。

 だが、細身のマリアは片手で易々と超大な薙刀を持ち、疾駆する。


 フェリユも、マリアと同じように右耳の耳飾りに触れた。そして同じように歌のような旋律を口にすると、マリアのそれと瓜二つ、基調色だけが違う異形の薙刀を召喚する。


 ルアーダ家に伝わる、宝槍レザノールホルン。

 ノルダーヌ家に伝わる、宝槍ユヴァリエールホルン。


 二本の宝槍は、両家だけでなく、神殿宗教の至宝となる。

 言い伝えによれば、遥か昔、まだ人々が聖なる都にきょを構えていた時代。

 創造の女神アレスティーナは、二本の宝槍を巫女に授けたとされる。

 それがルアーダ家とノルダーヌ家の始まりと云われ、レザノールホルンとユヴァリエールホルンは歴代の両家当主に引き継がれてきた。


 本来であれば、超重量の超大なレザノールホルンとユヴァリエールホルンだが、特殊な法術により、持ち主に適した重量へと変換されている。

 細身のマリアや小柄なフェリユが片手で扱える理由は、異形の鍔に嵌め込まれた幾つもの宝玉の加護によるものだった。


 冷たい月の光が包み込む古い遺跡を走りぬけ、フェリユたちは旧神殿都市跡に入る。大通りを真っ直ぐと進んだ直後に、しっかりとした基礎だけが残された神殿の分社跡が現れた。


「こちらです」


 と、特位巫女に道を示された先。神殿跡の崩れた基礎部分の一部に、僅かな隙間が覗く。


「魔族は、こういう隙間から地下構造を見つけて潜伏しているんだね! 許せない!」


 いきどおるフェリユ。

 神殿は、人々が祈りを捧げ、女神と繋がる神聖な場所だ。たとえ遺跡といえども、魔族が穢して良いような場所ではない。


「ここからは、慎重に。魔族も愚かではない。包囲され、逃げられないと気づけば、今度は身構えてこちらを待ち伏せしているはずだ」


 注意を促したマリアが先陣を切って、地下へと降りていく。

 続いて、薙刀を構えた特位戦巫女の五人が続く。

 戦いに特化した特位戦巫女の多くは、巫女王レイシアが在位の際から、守護巫女頭を務めていたマリアの麾下きかとして働いてきた、神殿都市内でも屈指の実力を持つ女性たちだ。

 三年前の大戦の後に、巫女王を守護していた多くの巫女や戦巫女は引退したが、今も現役で活躍する者は、こうして現在でもマリアに付き従っている。


 特位戦巫女たちが地下へと入ったことを見届けると、殿としてフェリユが続く。そして、次に若い女性が中心となって編成された上級戦巫女たちが続き、後続としてネイティアの指揮する支援組の一部が地下へと降りていく。


「私を含む一部の者は、地上に残り入口周辺の警戒を。それでは皆様、お気をつけて」


 ネイティアに見送られて、命を賭けて魔族と対峙する女性たちが、深い暗闇へと降りて行った。






「……暗いね?」


 地下に降りると、早朝の太陽の輝きさえも届かない暗黒の世界が広がっていた。

 慎重に階段を降りながら、フェリユは暗闇を見渡す。

 狭くはない階段が、延々と闇の奥まで続いているかのような錯覚に囚われる。

 それでつい、言葉を漏らしてしまった。

 フェリユの呟きに、前方からくすりと笑う気配が伝わってくる。


「特位戦巫女は、交互に『天星あまぼしみちびき』を展開。ただし、かりをともせば待ち構えている魔族たちにこちらの居場所を知らせることになる。警戒をおこたるな」


 マリアの指示で、先頭側に立っていた特位戦巫女のヴィエッタが灯火ともしびとなる「天星の導き」を発動させる。

 星々の輝きが、地下に延びる階段や壁や天井といった、あらゆる周囲に灯る。

 星々の明かりで暗闇が晴れ、フェリユたちは遠くまで視界を確保することができるようになった。

 そして、先頭でこちらに振り返り、苦笑しているマリアの姿が見える。


「もうっ! 仕方がないじゃない? だって、暗闇のままだと、こっちの視界が確保できなくて戦えないよ?」


 そうだな、と同意を示すマリアだが、やはり笑みを湛えたままだ。


「暗闇のままでは、どちらにしてもこちらが不利だ。魔族は暗闇だろうとこちらの気配を読むし、フェリユの言った通り、視界が確保できていなければ、戦うこともままならない。全員、戦闘になっても天星の導きで照らされた明かりの中で動くように。そして、天星の導きの外側の暗闇に十分に気をつけるように」


 フェリユの呟きは、間違えではないのだ。ただし、思ったことがそのまま口に出てしまうフェリユの素直さに、マリアを含む他の者たちが、つい微笑んでしまう。


 旧神殿都市跡の地下へと踏み入った者たち。

 いったい、この者たちの何人が犠牲になり、何人が生還できるのか。

 過酷な戦いを前に、ほんの一瞬だけ場になごやかな空気が生まれた。

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