引退巫女
翌朝。
早めに会議室へ顔を出したフェリユは、既に席に着いていたマリアとレイに「もう! 二人は早すぎるよっ」と
会議室には、既に多くの巫女や神官たちが控えていて、早めに入室したはずのフェリユでさえ、出遅れたような
だが、朝議が開かれる定刻までには、まだ時間があるはずだ。
全ては、何があっても規則正しく生活を送る聖職者や、疲れを見せることのないマリアやレイが悪いのだ。と
聖女と讃えられ、畏怖と尊敬の眼差しで見つめられるマリアは、しかし時には厳格な態度や強固な一面も見せる。それでも人々に愛されるのは、人々に等しく向ける慈悲深さや、何よりも自分に厳しい性格を誰もが知っているからだ。
その聖女マリアの妹的な立場のフェリユは、絶えない笑顔で人々の心を明るく導く。
小柄なフェリユが、マリアとレイの周りをうろちょろと小動物のように動き回り、
そして、整った顔立ちでありながらあまり笑顔を見せないせいで巫女たちが気安く近寄れない雰囲気を
今朝も、フェリユは朝から元気いっぱいにマリアに抱きついて、レイに「お前はいい加減に子供じみた態度を改めなさい」と
しかし、穏やかな時間は、朝議が始まると一転する。
「フェリユ、昨夜の魔族の報告を」
と、今朝の最初の議題をマリアから振られたフェリユは、席を立つ。
「長老巫女のカトリーゼ様がまだ到着されていないけど、良いの?」
昨日のアネアに続き、今朝も長老巫女のひとりが顔を見せていないことに、誰もが不安を覚える。そこに、カトリーゼの側仕えを担っている巫女のアウロラが会議室の端から発言した。
「カトリーゼ様は、今朝は体調が優れないと仰って、自室でお休みになっておいでです」
アウロラの報告に、誰ともなくほっと胸を撫で下ろす気配が会議室に広がる。
「それでは、昨夜の魔族の件を報告します」
フェリユも頷くと、補佐の巫女から受け取った文字版に目を通しながら、自身の考えを織り交ぜて伝えていく。
先ず、警邏巡回中だった巫女が、魔族が放つ気配を察知した。
気配を追い、大通りから瓦礫の散乱する裏道へと入ったところで、鬼種の魔族を発見したという。
「ですが、そこで巫女は違和感を最初に覚えたそうです。中位の魔族……結果から見て、間違いなく上位の魔族でしたが。その魔族が、
鬼種の魔族が、巫女の登場に驚愕した理由。それは、フェリユたちが到着してから判明した。
鬼種の魔族は、何者かによって廃墟の裏道に呼び出された。しかし、そこへ現れたのが巫女だったことに、鬼種の魔族は「何故?」と困惑したのだろう。
そして、自分が謀られたのだと気付いた。
「では、その魔族を
外政殿を司る巫女頭マリンダの発言に、しかしフェリユや事態の対処に当たっていた者たちの誰もが答えられない。
「残念ながら、魔族の口からその情報は聞き出せませんでした」
誰も、フェリユたちを責めたり非難することはない。
全員が知っていた。
上級魔族ほどの者になれば、誇りもそれ相応に高くなる。であれば、たとえ重傷を負った身でフェリユたちに追い詰められた場面といえども、口を割ることはないだろう。
「これまでの神殿都市内での魔族の暗躍に、黒幕がいると? そして、なにか不穏な
言葉を漏らしたレイでなくとも、考えてしまう。
そして、同時に疑問を浮かべてしまう。
魔族は、時として人の心を弄ぶかのように、嘘を平然と口にする。
フェリユや巫女や神官が否定したように、魔族の嘘かもしれない。
たまたま隠れ潜んでいた場所から抜け出して油断をしていた。その場面で巫女に気配を察知され、見つかった。それで、一矢報いようと魔族が嘘を口にした。
その可能性は、大いにある。
だけど、とフェリユは改めて思ってしまう。
嘘で自分たちを騙そうとしていたのなら、黒幕の名前を出していたのではないか。
嘘の計画を口にして、人族を混乱に陥れたのではないか。
例えばだが。黒幕の名前を、高明な巫女や神官、それこそ巫女頭の名前などで偽れば、人族の中に大きな疑惑の
であるにも関わらず、鬼種の魔族は黒幕の正体も計画の片鱗さえも口にしなかった。
「追い詰められていた魔族に、そこまで思考が回らなかったということも考えられるが……」
と呟いたレイに、注目が集まる。
「しかし、嘘だと断定して放置しておくわけにもいかないでしょう?」
レイに問われ、隣に座るマリアが頷く。
「魔族の言葉を慎重に調べる必要がある。ネイティア、人選を任せる。早急に真偽を確かめてほしい。場合によっては、引退者たちの助力も得るように」
「はい、お任せください」
警備と司法を司る司法殿の巫女頭、ネイティアが頷く。
引退者とは、先の大戦の折に重傷を負って聖務に就けなくなった聖職者、そして、度重なる過度な法術の使用により、法力を失った巫女や戦巫女たちのことだ。
洗礼により、その身に女神の力の
しかし、無条件で過大な力を行使できるわけではない。
巫女の資質によって、法力の限度に差異は生じ、信仰心によって術の威力は増減する。
また、身に余る法力の行使を続けると、女神に見放されて法力を失う。
最高位の大法術によって、相打ちながら魔王を倒した。
だが、巫女王に付き従い、最後まで巫女を守護した巫女の多くは、大法術と大結界の維持に全てを捧げた結果、法力を失った。
それだけならばまだ良い方で、半数以上の巫女が、命までをも捧げた戦いだった。
巫女王により魔王が撃たれ、マリアによって撃退された魔族軍は、敗退した。
しかし、生き残った人族にも大きな代償は残された。
巫女王の
巫女長に選出されたマリアの最初の改革により、将来を見据えて若者たちが神殿宗教の運営に深く関わっている。その原因のひとつとして、練達の者たちが最前線に立てる技量を失ってしまったという問題もあるのだ。
そして、重傷を負って聖務を果たせなくなった聖職者や、法力を失った巫女たちは、若者に未来を託して引退の立場をとっていた。
マリアは、その引退者たちにも場合によっては声を掛けるように指示を出す。
「引退者の中には、博識な方々も多くいる。助言を
「では、引退者の方々への要請は、私が受け持ちましょう」
すると、マリアの背後に控えていた守護巫女のひとりが手を上げた。
巫女王の守護巫女を務めていたエミネラだ。
今でもマリアの麾下に就き、深い知識と思慮深い視野を持つ、老練の巫女。
「わたくしも、お手伝いさせてくださいませ」
続けて手を挙げたのは、エミネラの横に立つラミーダだった。
こちらも初老の巫女であり、マリアの腹心のひとりだ。
「今回の一件は、神殿都市の
それに、引退した者に直接話を聞く機会を通して、
ラミーダの言葉に、教育と法術を司る巫女頭のカイリが深く頭を下げる。
「よろしくお願いいたします」
星の院も、カイリの管轄する役部になる。
マリアの配下が巫女頭の存在を差し置いて発言したことに不愉快感を示すことなく、素直に謝意を示したカイリ。
それもそのはずで、カイリも三年前まではマリア麾下の守護巫女であり、ラミーダの弟子でもあるのだ。
会議室を見渡せば、そうした者たちは大勢存在する。
マリアの選出した十二人の巫女頭。それだけでなく、巫女頭を支える巫女や神官たちの中にも、マリアの元配下やその教え子、実子や血縁者という者が多い。
それだけ、神殿都市内ではマリアの影響力が強いのだ。
マリアが発言し、指示を出せば、ほぼ反対意見も上がらずに人々は動き出す。
だがそれでは、実権を持たないはずの巫女長の、実質的な支配になってしまう。
それを懸念したマリア自身が設置した監視者たちこそが、七人の長老巫女だ。
残念ながら、アネアは昨日に何者かに殺害されてしまった。
犯行者は未だに不明なままであるが、ネイティアの指揮のもとで捜査は続けられている。
そして、残された長老巫女によるマリアへの苦言が、これまで通り変わることなく降ってきた。
「マリア、よろしいですか?」
とミネアに声を掛けられて、マリアは各所に指示が飛び始めた会議室に
「貴女と守護巫女たちが優秀なのは理解しています。ですが、やはり現場への介入に度が過ぎる部分がありますよ? もう少し、自分の選出した巫女頭たちを信じてあげなさい。でなければ、名ばかりの巫女頭など意味をなさなくなってしまいます。貴女は、それを望んではいないでしょう?」
優しい言葉だ。
マリアや守護巫女たちの動きを牽制しつつも、配慮を
ミネアの忠言に、深く頷くマリア。
「申し訳ございません。巫女長たるわたしの役目は、巫女頭を纏めることであり、指揮することではありませんね。先日の件も含めて、巫女頭たちには改めて謝罪させていただきます」
マリアは、十二人の巫女頭ひとりひとりをしっかりと見つめ、謝罪した。
「マリアは、ミネア様の意見は素直に聞き入れるのですね」
と長老巫女のひとり、セドリアーヌが苦笑した。
「マリア。貴女は、神殿都市の者たちだけでなく、世界中の人々の希望であるべき立場なのです。くれぐれも、道を
ミネアに優しく諭されたマリアは、会議の進行をフェリユに委ねる。
十二人の巫女頭たち。
立場上は、全員が平等である。
しかし、暗黙の了解とも言える違いが、そこはに存在していた。
聖四家。ノルダーヌの当主であり、前巫女王のひとり娘。
十七歳と幼さが未だに残るフェリユだが、巫女頭の中では抜きん出た立場にある。
そのフェリユが、朝議の議長を務めることが多いのは、必然な流れであった。
「それでは、昨夜の魔族の件は今決まった通りに進めてください。次に……」
日々、問題は起きる。
神殿都市内の治安問題。
人族だけが暮らしているのであれば、
それだけではない。
東部居住区の復興問題も抱えている。
信仰心だけでは、崩れた瓦礫は消え去らず、新たな建築もままならない。人が暮らし、生きるためには、貨幣と食料、そして様々な資材が必要となるのだ。そうした問題も、巫女頭たちを悩ませる。
朝議は、この日も昼過ぎまで紛糾した。
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