命の重さ

 くつくつと、喉の奥を鳴らして嘲笑ちょうしょうする鬼種の魔族。


「なぜ、この俺様が下等な人族の疑問に応えねばならない?」


 自身の動きを完全に封じているフェリユを相手にしても、魔族はどこまでも人族を見下す。


 人族は、けっして魔族の奴隷や家畜などではないんだ!

 その侮蔑的ぶべつてきな態度に怒りを覚えるフェリユ。しかし、目的は見失わない。


「言え! お前は何を目的にここへ現れた。そして、お前は何をしようとしていた!」


 絶対に、理由があるはずだ。

 理由もなく、重傷を負っている魔族が、警戒されている地域に現れたりはしない。


 約三年前に起きた大戦乱。

 魔王と魔将軍はたれ、魔族の大軍は敗退した。しかし、神殿都市内には、未だに魔族の影が残る。

 まれに、魔族の残党であり、敗退した魔族軍から姿をくらませて神殿都市に居残った魔族が、こうして出現する。

 だが、そのほとんどは下級魔族であり、発見され次第、フェリユたちによって討伐されてきた。

 その下級魔族たちは、長く隠れ潜んでいるうちに辛抱が切れた者が殆どで、計画的に暗躍していた、というような手に余る魔族の出現はこれまでにない。


 しかし、鬼種の魔族は口にした。

 自分はたばかられたのだと。

 では、いったい何者に謀られたのか。

 その内容と、相手を知る必要がある。


 フェリユは再度、魔族を詰問する。そうしながら呪縛法術の深度を深めて、魔族をより強力に縛り上げていく。

 上位呪縛法術「雪月の陣」とは、冬空に寒々と浮かぶ月の輝きの冷たさのように、対象者を凍らせるように縛る法術だ。

 全身を拘束されただけでなく、きりきりと凍りつくような外圧を受けながら。しかし、鬼種の魔族はわらう。


「くくくくっ。愉快だ。何も知らぬ愚かな人族どもめ!」

「何を知らないというの!」


 フェリユの鋭い声に、魔族はにたりと笑みを浮かべたまま、殺気の籠った瞳を光らせる。


「お前たちは、愚かに踊っているにすぎない。いずれ……。いずれ、この腐れ果てた都市は滅びるだろう!」

「なっ!?」


 鬼種の魔族の言葉に、息を呑むフェリユ。

 都市が滅びる?

 なぜ!?


 魔族の大侵攻にさえ耐えて、復興に向かう神殿都市。人族が信仰する神殿宗教の総本山にして、人々の聖地。

 その神殿都市に、いったい何が起きようとしているのか。


「嘘を言え!」

だまされてはなりません!」


 練達の神官戦士と戦巫女が声を上げた。


「魔族とは、人の心をもてあそび、愉悦ゆえつする種族です」

戯言たわごとに心を揺さぶられる必要はございません!」


 フェリユよりもひと回り以上歳上の練達の者たちに声を掛けられて、フェリユは乱れかけた心を正す。


「あたしの心を揺さぶって、法術から抜け出そうだなんて、できるわけがないよ!」


 と叫び、より強力に魔族を呪縛するフェリユ。

 鬼種の魔族は、凍てつく冷たさと全身を圧縮されるような呪縛に、苦悶の吐息を漏らす。

 だが、それでも嗤っていた。


「愚かしい。本当に何も知らぬのだな。我ら魔族が、無計画にこの都市に潜んでいたとでも?」


 かっ! と目を見開き、フェリユを睨む魔族。


「これより、思い知るがいい。我ら魔族の手は、既に貴様らの喉元にまで届いている!」


 ぱりん、と陶器が砕けるような乾いた音が響く。


「そんな!? 呪縛法術が!」


 複数人で幾重にも重ねた呪縛法術。更に、フェリユが上乗せで雪月の陣まで唱えている。

 その強固な呪縛を打ち破り、魔族の右腕が上がった。


「口惜しくは……。この俺様を罠に嵌めて貴様らの餌としたあの方の存在。おのれ……。この俺様を謀るとは!!」


 魔族は呪詛じゅそを含んだ叫びを上げた。

 そして。

 陶器が砕けるような乾いた音と共に、魔族は振り上げた右腕を振り下ろす。魔法を放ちながら!

 業火ごうかの炎が、対峙するフェリユだけでなく、周囲で包囲網を敷いていた戦巫女や神官戦士を襲う。

 逃げられる猶予ゆうよはない!


「だが、無駄死にはせぬぞ! 貴様らの首を、魔王陛下へ献上しようぞ!」


 鬼種の魔族から解き放たれた業火と瘴気しょうき。そして殺気と呪詛じゅそ


「っ!!」


 一瞬で眼前に迫った死の気配に、誰もが息を呑む。

 だが、鬼の放ったその全ては、ことごとく人族には届かなかった。


 何が起きた、と目を見開く鬼。その視界には、宝槍ユヴァリエールホルンのいびつつばめ込まれた真紅の宝玉を光らせたフェリユが、悠然ゆうぜんと身構えていた。


「あたしが、そんな遅い攻撃を見過ごすはずがないでしょう?」


 言って、フェリユは超大なユヴァリエールホルンを片手で軽々と振り抜く。

 すると、鬼の放った業火は星屑ほしくずきらめめきと共に散り、瘴気と殺気は澄んだ空気に浄化される。


「おのれ……! 綺羅星の巫女!!」


 それでも、鬼は止まることなく反応する。

 人族の目には追えぬ速さで大きく跳躍すると、凶器の爪を殺意に光らせる。

 狙いは、対峙するフェリユ。


 だが、またしても鬼の凶器はどこにも届かない。


「だから、言ったじゃないか!」


 と叫ぶフェリユ。その頭上、跳躍で空中に浮かんだまま、鬼は縛られていた。


「馬鹿……な……っ!?」


 何が起きたのか、人族を遥かにしのぐ魔族の鬼でさえ感知できなかった。それほど刹那せつなの一瞬で、フェリユは新たな法術を発動させていた。


「星のまたたきは一瞬であるが、その輝きは夜空を見上げる者の瞳に必ず印象を与える」


 上級戦巫女の言葉に、誰もが希望を見出す。

 戦巫女頭のフェリユや巫女長のマリアが導く限り、自分たちは決して魔族に屈さない。

 神殿都市を護り抜き、人々に安寧をもたらすのだ。

 誰もが信じて、疑わない。


 しかし、希望を讃えた人族とは正反対に、鬼は絶望する。

 これが、魔族にまで名をせさせた綺羅星の巫女の実力なのかと。


 空中で、すべもなく呪縛された鬼は、憎々しげに地上のフェリユを睨む。

 フェリユも、負けじと頭上の鬼を睨み返した。


 そして、宝槍ユヴァリエールホルンを軽々と振り上げる。


 木の根が歪にねじり曲がり、からみ合ったような鍔。巫女が手にする武器としては余りに異形いぎょうなそれには、大小無数の宝玉が根に絡まるように嵌め込まれている。

 その全ての宝玉が、今や真紅色にまばゆく輝いていた。


「もう一度だけ聞く。お前は何を目的に現れた。そして、お前を騙してここにおびき寄せて、あたしたちと対峙させた者の正体とは何だ! 魔族の計画しているたくらみを話せ!」


 この鬼は、何も語らないだろう。

 中級魔族。……ではない。この魔力と誇りの高さから、間違いなく上位種の鬼だ。

 重傷を負っていなければ、たとえ自分だったとしても、太刀打ちできただろうか。

 警邏の巫女や、応援に駆けつけた戦巫女や神官戦士では、どれだけたばになっても返り討ちにあっていたような、恐るべき上位の魔族。

 その上位魔族の戦闘種である鬼が、人族に屈するはずはない。

 そうとわかっていても、フェリユは聞かなければならない。

 いったい、神殿都市の闇で何がうごめいているのかを。


 だが、やはり鬼は何も語ることはなかった。

 にたり、と不気味な笑みを浮かべ、殺気の籠った瞳でフェリユを見下ろす。

 そして、呪詛を含んだ言葉を放つ。


「殺せ! だが、覚悟しておくことだ。俺様は貴様を呪う! 貴様はもだえ苦しみながら死に、女神とやらの膝もとへとは導かれずに、未来永劫呪われた世界で絶望するのだ!」

「そんなもの!」


 フェリユは、高々と跳躍する。

 空中で呪縛された鬼に迫り、躊躇ためらうことなくユヴァリエールホルンを振り下ろす!


 ざんっ! と肉を一瞬で断つ鋭い音と共に、フェリユの右手に命を奪う嫌な感触が伝わってくる。


 ユヴァリエールホルンの大きく反った刃によって袈裟懸けに胴体を斬られた鬼は、人族と同じ真っ赤な血を吹き出しながら、空中で絶命した。

 だが、最後まで鬼は断末魔を上げることはなかった。

 何も映さないうつろな瞳が、視点を合わせることなく虚空こくうに向けられている死した鬼を見つめながら、フェリユは地面に足を着ける。


「そんなもの、とっくの昔に覚悟なんてできているよ」


 魔族は、倒さなければこちらが殺される。そうとわかっていても、やはり歳行かぬフェリユの心には、奪ってきた命の重さがずっしりとし掛かっていた。

 魔族との大戦からこれまでの三年間。いったい、どれだけの数の魔族を殺してきただろう。

 対峙した魔族は、必ず恨みの言葉を口にする。そうしてフェリユたちの心をむしばみ、死して尚も人族を弄ぼうしている。そう理解していても、やはり人の言葉を口にする者からの呪怨じゅおんは辛い。


 右手に持つユヴァリエールホルンの宝玉が、戦いが終わったことを示すように輝きを無くしていく。と同時に、フェリユの右手には鬼の命の重さを示すように、ずっしりとしたユヴァリエールホルンの重量が伝わってきた。


 空中で呪縛され、そのままフェリユに斬られて絶命した鬼は、ユヴァリエールホルンの宝玉の輝きが無くなると、どすり、と地面に落ちた。

 周囲の神官戦士たちが、すぐに鬼の遺骸いがいに駆け寄って、処置を施していく。

 魔族であろうと、亡くなった者を放置しておくわけにはいかない。


 生前は敵であっても、死すれば敵対も敵意も関係ないのだ。

 全ては、創造の女神アレスティーナの子なのだから。


 厚手の布に鬼の遺体を移す神官戦士たち。

 鬼の胴体は、鋭利な刃に斬られてばっさりと裂けていた。


 巫女たちが、とむらいの祝詞のりと奏上そうじょうする。

 フェリユもユヴァリエールホルンを耳飾りに納めると、共に祝詞を口ずさんだ。


 生前は罪を重ねた魔族だが、死後は女神様のお膝もとで、どうか安寧に過ごせますように。

 巫女として正しく、死者に弔いを向ける。

 廃墟と化した裏通りに集った者たち全てで鬼を弔うと、すぐに次の行動へ移る。


「シャティーナたちは、警邏部隊と交代で今夜の見回りを! ゼクスたち神官戦士も、お願い。手の空いている者は、他の地区で魔物の対処に当たっている部隊の援護を!」


 特位戦巫女ヴィエッタの指示で、素早く動き出す者たち。


「フェリユ様、今夜はわたくしにお任せください」


 ヴィエッタの言葉に、フェリユは苦笑しながら頷く。


「うん。お言葉に甘えて、今夜は休ませてもらうね?」


 たとえ戦巫女頭といえども、連日のように夜間と日中を通して活動し続けることはできない。

 昨夜も、朝方のわずかな時間に仮眠を取っただけのフェリユは、今の戦いで疲れ切っていた。


 お疲れ様、と他にもこの日は休む必要のある者たちと共に、現場を去るフェリユ。

 瓦礫が散乱した裏道を抜けて、大通り跡に出る。

 すると、そこに複数人の女性がたたずんでいた。そのなかでひときわ背の高い女性の影に、誰なのかをフェリユはすぐに察する。


「マリア、来てくれたんだね?」


 駆け寄るフェリユに優しく微笑みかけたのは、マリアだった。

 マリアの側には、薙刀を手に持つ巫女が五人。いずれも、歴戦を思わせる油断のない佇まいを見せる。

 見知った歳上の女性たちに、フェリユ以外の巫女たちは気を引き締め直す。


 マリアと共にいる戦巫女は、守護巫女しゅごみこだ。

 かつて、巫女王がおわした時代。巫女王の守護をつかさどっていたマリアに付き従っていた、巫女王の近衛このえの戦巫女。

 魔族との大戦により、多くの守護巫女が倒れた。生き残った者も、法術の使用過多によって法力を失い、引退した者も多い。その中で、今も現役で活躍する守護巫女は、現在は巫女長であるマリアの側近として活躍している。

 フェリユや、若年者の多い当代の戦巫女たちから見れば、大戦で魔王から巫女王を護り続けた守護巫女は、敬拝けいはいすべき者になる。


「遅れてしまった。大丈夫だっただろうか?」


 心身ともに疲れの見てとれるフェリユや他の者たちをねぎらいながら、マリアや守護巫女たちは状況を確認する。


「うん。魔族は倒したよ」


 だけど。と表情を曇らせるフェリユ。

 不安が残る結末だった。


 いったい、あの鬼種の魔族は、何者に騙されたというのか。

 何を目的に現れ、魔族は何を企んでいるのか。


 疲弊したフェリユの心を、不安が少しずつむしばみ始めていた。

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