鬼の魔族

「マリア、あたし行くね?」


 どれほど疲れていようとも、戦巫女頭としての務めは果たす。

 姉のように慕うマリアにいつも甘えてばかりのフェリユであっても、多くの戦巫女や神官戦士を纏める立場だ。

 素早く立ち上がったフェリユは、最後にミレーユの頭を撫で、マリアにいつもの元気な笑顔を向けると、きびすを返す。


「フェリユ、油断しないように」

「うん!」

「フェリユおねえちゃん、いってらっしゃい」

「ミレーユ、また遊ぼうね!」


 フェリユは、報告に来た戦巫女を引き連れて、空中庭園を後にする。

 去っていく小さな背中を見送りながら、マリアとミレーユも遅れて動き始めた。


「ミレーユ、今夜はそろそろ戻ろうか」

「はあい。おねえちゃんも行くのよね?」

「そうだな。フェリユひとりに任せても大丈夫だとは思うが、念の為に」

「ふふふ。フェリユおねえちゃんなら大丈夫だよ。フェリユおねえちゃんの星はマリアおねえちゃんの横でいつも元気いっぱいに輝いているから」


 では、わたしの星の輝きはどうなのか。とマリアは妹に聞き返すことはできなかった。

 だが、姉の想いを読み取ったのか、ミレーユがほわりと笑みを浮かべながら、満天の星空を見上げて言葉をつむぐ。


「おねえちゃんはね。きっとうーんと長生きするんだよ。そしてね。歳下の可愛い男の子と結婚するの。世界中の全てから愛される可愛い娘ができてね……」

「ミレーユ」

「……だから、おねえちゃんは自分の信じる道を進んで? わたしもフェリユおねえちゃんも、必ずマリアおねえちゃんの星の横で輝き続けるからね?」


 星々を見つめるミレーユの瞳は、星の煌めきのように青白く輝いていた。

 マリアはミレーユの頭を優しく撫でると、慈愛に溢れる微笑みを讃える。


「ありがとう、ミレーユ。わたしは、きっと不器用なのだ。だから、貴女やフェリユの助けなしでは真っ当にさえ生きられいのだろう。だが、ミレーユがんだ星を信じて、わたしは信念を貫き通そう」


 たとえそれが、フェリユやミレーユに過酷な選択を迫ることになろうとも。とマリアは喉の奥に続く言葉を飲み込む。

 そして、ミレーユの手を取って、ルアーダ家の邸宅へと帰路に就いた。






 空中庭園を抜けたフェリユは、足早に先を急ぎながら、戦巫女の報告の続きを聞く。


「魔族は、下層の東部居住区跡に現れました。現在は警邏けいらにあたっていた巫女たちの呪縛法術で押さえ込んでいます」

「ということは、下級魔族? 数は?」

「それが」


 と、一瞬だけ口ごもる巫女。


「数は、一体。ですが、恐らくなのですが……魔族は、中級位ほどの者かと思われます」

「えっ!」


 驚きに、思わず足を止めて背後に追従する戦巫女を振り返ってしまうフェリユ。


「中級の魔族!? それじゃあ!」


 急がなくてはいけない。


 たとえ下級位の魔族といえども、複数の戦巫女や神官戦士で対応しなければ、逆にこちらが命を落としてしまう。

 現在は巫女の呪縛法術で拘束しているというが、それがいつまで継続できるかは、対応に当たっている巫女の数と練度によって大きく変わってしまうことを、この三年間、絶えず最前線で戦ってきたフェリユは誰よりも深く知っていた。


 しかし、足を止めたフェリユは、困惑した表情の戦巫女を見て、首を傾げてしまう。

 なぜ、報告に来た戦巫女が自分よりも困った表情を見せているのだろう?

 疑問を口にすると、戦巫女がより詳しい状況を報告した。


「それが……。中級魔族と思われる者なのですが。恐らく、鬼種だと思われます。その鬼種の魔族は、既に重傷を負っているようで」

「なんで!?」


 中級位の鬼種の魔族といえば、戦闘に特化した凶悪な存在だ。それが、既に重傷を負っている?

 意味がわからずに、余計に困惑していくフェリユ。


「原因は、私たちにも不明です。ですが、そのおかげで拘束自体はできているのです。それでも、討伐するだけの戦力がこちらには整っていなく……」


 重傷を負っていても、そこは鬼種の中位魔族。警邏巡回中だった巫女や神官たちの戦闘技量だけでは、拘束はできても仕留めるための力量が足りなかったようだ。


「わかったよ。後はあたしが引き継ぐね!」


 神殿都市上層部を抜けると、次第にフェリユの追従者が増え出していた。

 フェリユ麾下きかの戦巫女や神官戦士たちだ。

 戦巫女は薙刀を手にし、神官戦士たちは様々な武器を持つ。


 戦巫女の武器は、古来より薙刀であると決められている。その理由が何故なぜなのか。残念ながら伝承は途絶えてしまっている。

 だが、何よりも古い家柄のルアーダ家とノルダーヌ家に伝わる特殊な宝槍からしても、それは神殿宗教と切り離せない逸話があるのだろう、と全ての者が納得していた。


 ただし、戦巫女とは違い、神官戦士に武器の縛りはない。

 神官戦士は、各々おのおのが得意とする武器を自由に扱える。それだけではない。人族固有の術「呪術じゅじゅつ」の素質がある者は、呪術の使用も禁止されていない。

 巫女や戦巫女は、たとえどれ程に「呪術」や他の術の素質があろうとも、洗礼を受けて法力を身に宿すと、法術のみを使用しなければならない縛りがあるのだが。


 神殿宗教において、男性職と女性職には制約や地位に様々な違いが設けられている。

 その最もたる違いは、巫女王を代表するような、女性上位の社会構造だ。

 創造神アレスティーナが女神だからなのか。全世界の人族に信仰される神殿宗教の最高位は、巫女王たる女性に限られる。男は、けっして神殿宗教の「王」にはなれない。それどころか、各地の大神殿を取り仕切る地位も、巫女頭に就く女性と決められていた。

 かくいう神殿都市も、巫女王不在の現在は十二人の巫女頭が実権を持ち、巫女長が取りまとめている。

 唯一と言える高位男性職の大神官でさえ、神殿宗教の運営を左右できるほどの実権は持たない。


 そうした、男性と女性での違いにより、女性上位の社会構造を見せる人族の神殿宗教だが、戦いの場においては実力が優先される。


「戦巫女頭様。我々は別地区に現れた魔物の討伐に向かいます。マリーダ指揮下の戦巫女は、俺たちに続け」

「はい!」


 上級神官戦士の男性はフェリユに伝えると、戦巫女を五人連れて脇道へとれて行く。他にも、戦巫女と神官戦士の混成部隊が何組も合流しては、息を合わせて散り散りに現場へと急行していく。

 部隊編成によって、戦巫女が指揮を取る場合もあれば、神官戦士が戦巫女を引き連れて動くこともあった。

 生死を賭けた戦場においては、指揮能力と経験が最も重要視される。でなければ、人は死に、対峙者の暗躍を許す結果になってしまう。

 人族は、それほどに弱い。

 だからこそ、人々は創造の女神を心のり所として信奉し、安寧を得ようとするのだ。


 フェリユは、自分や上級戦巫女へ報告に来ては散会して行く者たちを見送りながら、今夜も忙しくなりそうだ、と気を引き締めた。

 自分たちが踏ん張らなければ、人族の生活は崩壊してしまう。

 巫女長として、時に強引な決断を下すマリアは、覚悟と信念を持って人々を導いている。だから、傍でマリアをしっかりと支えるためにも、自分はもっと頑張らなきゃいけない。

 日中が忙しくて疲れた、と空中庭園で愚痴を溢していたフェリユの表情は、既にきつく引き締まっていた。


 戦巫女頭として、魔族や魔物の跋扈ばっこは断じて認められない!


 中層部を抜け、下層部に入ったフェリユたちは、戦巫女の案内で下層東部居住区へ駆けつけた。


 崩壊した家家の瓦礫がれきが散乱する裏道だった場所。そこには、既に幾人もの巫女や戦巫女、それに神官戦士たちが到着していた。


「状況は?」


 フェリユは右耳の耳飾りに指先をえながら、現場指揮を取っていた上級神官戦士に問う。

 上級神官戦士は、巫女たちが包囲する先へと視線を向けたまま、フェリユへと報告した。


「現在、五人の戦巫女によって鬼種の魔族を拘束中。ですが、油断をするとこちらの呪縛法術を破って、攻撃を仕掛けようとしてきます」

「魔族は、重傷なんだよね!?」

「はい。ですが、我々では奴の動きを押さえるのがやっとでして……」


 と苦虫にがむしむように言葉を漏らした上級神官戦士の近くには、疲弊し切った様子の巫女が数人、肩で荒く息を吐いていた。


 フェリユは巫女たちの様子を見て、切羽詰まった状況なのだと理解する。

 疲弊している巫女たちは、自分たちが到着するまでの間に、魔族を法術で拘束していた警邏部隊の者だろう。ああして疲弊しているのは、法力の使い過ぎによる衰弱すいじゃくからくるものだ。

 現在において魔族に呪縛法術を掛けている戦巫女たちは、報告を受けて援護に訪れた後続部隊。

 つまり、重傷を負っているはずの魔族は、それでも複数人の呪縛法術を越えるだけの力量を持っているということを意味する。


 小さく、歌のような旋律を口にしたフェリユの右手に、宝槍ユヴァリエールホルンが顕れた。


「わかった。後は引き継ぎます!」


 フェリユの号令に、追従してきた上級戦巫女たちが連携して動き出す。

 一部の者は、今も魔族を拘束している戦巫女に代わり、呪縛法術を幾重にも重ねて法術の効力をあげる。別の上級戦巫女は、攻撃法術を。上級神官戦士は、月の影に拘束された魔族を包囲するように陣形を敷く。

 フェリユはユヴァリエールホルンを握りしめて、呪縛法術を施行する戦巫女たちの間を潜り、拘束されている鬼種の魔族の正面へと出た。


「……おのれ、人族如きが!」


 魔族は、人族を奴隷や家畜以下の消耗品としか見ないような、極悪な種族だ。

 人族を安い玩具がんぐのように扱い、気ままにもてあそび、殺す。

 だが、戦う力のない人族はあらがえない。それだけ、人族と魔族とは種族としての力に歴然とした差が存在している。

 だからだろう。幾重にも重ねられた呪縛法術のなかでさえ、鬼種の魔族は完全には拘束されておらず、わずかに指先が動く。


 指先から伸びた凶器の爪からは、呪いのような瘴気しょうきが微かに漏れ出ていた。

 赤黒い肌。痩せこけた身体。

 見た目は人族の人体構造に似ているが、額には一本の鋭い角が生えている。

 だが、ひと目だけでこの鬼種の魔族は重傷を負っているのだと、フェリユにもわかった。


 なぜならば。

 赤黒い肌の鬼種の魔族は、全身の至る所に包帯を巻いていた。その包帯も既に襤褸ぼろになり、血の汚れか泥の汚れかで黒く変色している。そして、包帯が巻かれていない部分にも多くの傷が見える。

 魔族はその状態で黒く光る瞳から殺気を放ち、正面に立ったフェリユを睨む。


 一般の人族であれば、この殺気を向けられただけで心が砕け散ってしまうだろう。

 呪縛法術で拘束されても尚、背中がじりじりと痛くなるような殺気を向けられて、フェリユは手にしたユヴァリエールホルンを無意識に強く握りしめる。


 呪縛法術の外と内で対峙する、フェリユと魔族。

 殺気を纏った瞳に見据えられただけで、動きが封じられたかのように身体が重くなる。それでも、フェリユは意識を研ぎ澄ますと、ユヴァリエールホルンの大きく反った刃を魔族へ向けた。


「貴方に、慈悲は向けられない。たとえ女神様の子であろうとも、罪はつぐなわれ、人々の安寧を脅かす者は排除されるのだと知りなさい」


 どれ程に凶悪な魔族であろうとも、この世界に生きとし生きる者は全て、創造の女神アレスティーナの子なのだ。

 だが、子だからいって全ての行いがゆるされるわけではない。罪を犯した者は、償わなければならない。

 魔族は、多くの人族を殺した。そして、このまま魔族を神殿都市内で見過ごせば、更に多くの犠牲者が生まれる。

 だから、はらわなければならない。

 たとえそれが、女神の子の命を奪う結果となってしまっても。


 フェリユの言葉に、魔族はより濃い殺気で応える。

 拘束されているはずの腕が、ゆっくりと動く。その度に、ぴしり、と陶器とうきに亀裂が入った時のような音が夜闇に届く。


「くっ……!」


 表情を曇らせる上級戦巫女たち。

 今の呪縛法術では、いずれ魔族に破られてしまう!?


 フェリユは直ぐに祝詞を奏上し、空中に文様を描き出す。誰よりも速く、それでいて歌のように滑らかに祝詞を口ずさみ、複雑な模様を一瞬で描く。


 魔族の周囲に、新たな月の影が降りた。

 上位呪縛法術「雪月ゆきづきじん

 本来であれば、数人からなる巫女の祝詞と法力の共和によって敷かれる呪縛の陣が、フェリユの超大な法力によって一瞬で発動した。


「っ!!」


 最初の呪縛を破ろうとしていた魔族の動きが、完全に止まる。


「おのれ……!」


 憎々しげにフェリユを睨む魔族。


「よもや……。よもや、この俺様があざむかれて貴様ら人族の虜囚りょうしゅうとなるとは!」


 吐き捨てられた魔族の言葉に、次の行動に移ろうとしていたフェリユの動きが止まる。


「欺かれた?」


 奇妙なことを言う魔族だ。とフェリユは最初に思い浮かべた。そして次に、魔族の違和感と言葉の奇妙さを合わせて、疑念を抱く。


 いったい、この鬼種の魔族はなぜ重傷を負っているのだろう?

 見た目の印象から、ここ最近の傷ではない。襤褸の包帯。魔力と殺気は恐ろしいが、身体はおとろえ切っている。

 恐らく、過去に重傷を負い、傷を癒そうとこれまで隠れ潜んでいたのではないか。

 そして、過去に重傷を負ったというのであれば、それは約三年前の大戦乱時である可能性が高い。

 だとすれば、この鬼種の魔族は、三年間も神殿都市の警邏を掻い潜って、傷を癒そうとしてきた。

 その、三年間も逃げ隠れしてきた警戒心の強い鬼種の魔族が、不用意に人族の前に現れるだろうか?

 何か特別な理由がなければ、重傷を負った身体で隠れ家から出てはこないはずだ。


 では、この魔族はいったい、何を目的に現れたのか。


「魔族よ。お前の目的と、そのお前を欺いた者の正体を言え!」


 フェリユの詰問に、しかし鬼種の魔族はにやりと不気味な笑みを浮かべた。

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