星詠みの巫女

「うへえぇぇ。ミレーユ、あたしをいやしてよぉ」

「はあい。フェリユおねえちゃん、よしよし」

「おお、ミレーユ。ありがとうね」


 神殿都市の上層部には、石造りの外観の中にも自然色豊かな緑が多く存在している。

 その一画。空中庭園と呼ばれる芝生の広場に寝そべったフェリユの頭を撫でたのは、ミレーユと呼ばれた少女。


 少し青みのかかった紫紺とも表現できそうな黒髪は、真っ直ぐに背中まで伸びている。

 大きな黒い瞳と黒い睫毛まつげ眉毛まゆげ。透き通るような白い肌をした十三歳のミレーユは、姉のマリアと容貌が似ていた。

 ただし、性格は正反対だ。

 りんとした雰囲気の姉マリアとは違うおっとりとした微笑みで、一日中駆け回り疲れ果てたフェリユを優しく撫でる。


 新月が迫り、三日月の輝きを更に細めた月が、夜空に浮かぶ。

 月の明かりを補うかのように満天に輝く星々を見つめながら、フェリユは今日の騒動を振り返った。


 朝議の途中で、長老巫女のアネアが殺害されているという、前代未聞の大事件が飛び込んできた。

 今後の要人警備などにも関わるため、戦巫女頭のフェリユは、守護と司法を司る巫女頭のネイティアと、忙しい日中を送った。

 現場検証から入り、今後の警備体制を話し合う会議を開き、長老巫女のミトに報告を入れた。

 それだけでなく、昨夜に出没した魔族と魔物の調査や、事後処理も行わなければいけなかった。

 疲れ果てたフェリユは、姉のように慕うマリアとその実妹のミレーユに泣きつき、夜になってこうして、息抜きに出てきたのだった。


「あーあ。このままずっと、星の下で平穏なまま日常が過ぎてくれれば良いのにな」

「そのためには、今抱えている問題を早く片付けなければな?」

「うわぁん。ミレーユ、貴女のお姉ちゃんがあたしをいじめるよ?」

「はいはい、フェリユおねえちゃん。頑張ってくださいね?」


 にこにこと笑みを浮かべるミレーユは、フェリユが満足するまで頭を撫でる。

 いったい、どちらが年上なのやら。と苦笑する傍らのマリアに対して、フェリユは頬を膨らませて抗議の意思を示す。


「マリアも、今日は朝議でいっぱいセドリアーヌ様たちに苦言を言われて大変だったんでしょ? たまには、可愛い妹のミレーユに頭でも撫でてもらって、癒されなさい」

「はい、マリアおねえちゃん。よしよし」


 ミレーユに頭を撫でられたマリアは、慈愛に満ちた笑みを返す。

 聖女と誰もが讃える、柔らかい微笑みだ。

 だが、まれにこうして見せる柔らかい表情とは別に、マリアは時として厳しさも表す。

 今日の朝議がそうだった。

 フェリユは途中までしか現場に居なかったが、それでも巫女長のマリアと長老巫女殿の巫女たちとの間には、険しい空気が張り詰めていた。


「結局、お昼過ぎまで会議は続いたんでしょ?」

「今日は一段と、セドリアーヌ様に噛みつかれたな」


 ルアーダの邸宅から持参してきた焼きたてのお菓子をミレーユに渡しながら、マリアは今日の会議の経緯をフェリユに伝える。


「結界のほころびを修繕しゅうぜんする方が先か、周辺地域へ巫女や神官を派遣し冬に備えた支援を要請するかで、かなり白熱したな」


 支援要請であれば、秋でも間に合う、と新たに主張した長老巫女たちに対し、マリアは「それでは遅すぎる」と意見を突っぱねた。


 周りの街や都市も、豊かなわけではない。それなのに、秋の収穫が終わって冬支度に入った頃合いに神殿都市から支援を要請されてしまうと、今度は彼らの蓄えが乏しくなってしまう。

 人族は、何処どこに住みどのような暮らしを送っていても、神殿宗教の敬虔けいけんな信者なのだ。その総本山から頼られれば、無理をしてでも支援をしようとする。


「わたしは、神殿都市に住む者たちのために周辺で暮らす人々が苦労する、という状況は望まない。だから、今のうちから支援をつのった方が良いと考えている」

「うん、あたしもマリアの意見に賛成だよ」


 夏のうちから、冬に備えての支援の使者を周辺地域へ派遣する。そうすれば、神殿都市の周囲の街や都市は更に遠くの地域へと神殿都市の苦境を伝え、より広域から支援物資が送られてくる。

 限定的な場所から多くの支援物資を融通してもらうよりも、広域から少しずつ施しを受ければ、人々の負担はそれだけ小さくて済む。


「だが、セドリアーヌ様たちは別の懸念を口にした。神聖王国の影響が強くなる、と」

「ああ、あそこの! 真偽しんぎの怪しい聖女様がいるんだよね?」

「フェリユ? 聖女様に対して『真偽の怪しい』なんて言っては駄目だ」

「だってさぁ……」

「ねえねえ、おねえちゃん。聖女様がどうしたの?」


 すると、フェリユとマリアの会話にミレーユが割り込んできた。


 聖四家筆頭たるルアーダ家の当主マリア・ルアーダ。その実妹のミレーユ・ルアーダ。史上最も多く巫女王を輩出した名家中の名家の産まれだが、十三歳になったミレーユは、未だに「星の院」と呼ばれる巫女や神官たちが研鑽を積む学舎には通っていない。

 理由は、その母譲りの病弱な体質にあった。


 激しい運動はできない。それどころか、昼の日差しに長時間晒されると、ミレーユの肌は火傷を負ったように赤く腫れてしまう。

 こうして屋内でゆっくりと寛げるのは、太陽が沈み、月と星々が輝く間だけだ。

 そのため、屋内に篭りがちなミレーユは、外部の情勢にうとい。

 おっとりと首を傾げるミレーユに、マリアは優しく教える。


「ミレーユ、神聖王国のことは知っているな?」

「はい! 神殿都市のずっと南にあるお国だよね? うーんとぉ。王様は神殿に認められた人がなれるだよね? 巫女王様みたいな感じ?」


 夜空の星々を見上げながら、あごに人差し指を当てて知識を掘り起こすミレーユに、フェリユが補足を入れる。


「巫女王様とは違うかなぁ。巫女王は、世襲しないでしょ? でも神聖王国の国王は、確かに神殿が認めた人がなるんだけど、世襲制だから、王族しか王様にはなれないんだよ」

「巫女王様には、マリアおねえちゃんもフェリユおねえちゃんもなれないんだよね?」

「そうだ。母が巫女王だった場合、その子に巫女王に就く資格は与えられない。だから、ミレーユもなれないことになるな」


 人族が信仰する神殿宗教。その最高位であり、創造の女神のこの世界の代理人とあがめられる存在が巫女王だ。

 そして、巫女王は世襲で選ばれるのではなく、資質のある者が十二人の巫女頭より推挙されて選出される。そして、そこには世襲による地位の独裁を阻むために、特殊な制度が設けられていた。

 巫女王に選ばれた女性の子は、たとえどれほど優れた巫女であろうとも、巫女王には選出されない。

 よって、前巫女王レイシアの娘であるフェリユは、今代の巫女王に選ばれることはない。同じく、レイシアの前に巫女王を務めた故アウラの娘であるマリアとミレーユにも、資格はない。


「まあ。それでも実質的に聖四家の当主が巫女王の座をほぼ独占しているような感じだけどねぇ。とフェリユちゃんは世知辛せちがらい世の中を語ってみるのです」


 聖四家。

 かつて、古の聖地「聖都」を人族が離れる際に、人々を約束の地へ導いたとされる、最古の家系。ルアーダ家。ノルダーヌ家。ヴァリティエ家。ユラネトス家。ただ古い家系というだけでなく、聖四家は歴史的に見ても数多くの聖女や巫女王、そして神子みこを輩出してきた。

 その長い歴史と実績から、神殿都市が選出する巫女王の座を過去より占めてきた経緯がある。


「今代は、ルアーダ家とノルダーヌ家からは巫女王は選出されないけど、ヴァリティエ家かユラネトス家から巫女王様が選出されそうだよね?」

「だが、ユラネトス家の当主でレイの妹のミーナはまだ法術院に通っている段階で、ヴァリティエ家に至っては、産まれたばかりだ」

「そこを狙って、神聖王国側が巫女王の座を狙っているんだよね!」

「わあっ、そうなの? フェリユおねえちゃん?」


 巫女王という特別な地位は、世襲制では受け継がれない。と同時に、資質のある巫女が不在だと判断された場合には、何年だろうと何十年だろうと、空位のままで置かれる。

 今も、前巫女王レイシアが亡くなった後の巫女王選出は見送られ続けている。


 そして、そこに介入しようとしているのが、神聖王国の権力者たちだった。


「巫女王は、なにも神殿都市の巫女から選ばなければならない、という決まりはない。資質さえあれば、どの地域のどの種族の巫女であろうと、巫女王になれる」

「そこに目をつけた神聖王国が、聖女を持ち上げてきただよね?」


 とミレーユと共に空を見上げながら苦笑するフェリユ。


「神聖王国に聖女と認定された巫女がいるんだよね? その人に巫女王の座を、という声が神聖王国内で高まっているって聞いたよ?」

「そうだ。それで、長老巫女の方々は懸念している。わたしの支援案を受けて各地から広く支援物資や人的支援を受けると、今以上に神聖王国の干渉が大きくなる。そうすれば、いずれは向こうの要望を受け入れる形で、神聖王国の聖女を巫女王に選出しなければいけなくなる可能性が出てくる」


 神殿宗教は、支配権力から距離を置く。

 たとえ王の前であっても神職に身を置く者は膝を折らない。権力には屈さない。その立場を、世界中で貫いている。

 だが、神聖王国は事情が異なっていた。


 王を、神殿が選ぶ。その慣例のせいか。王に都合の良い者を選ばせるために、国家権力が神殿内部にまで影響を及ぼしている、と噂されている。

 権力争いを繰り広げる王子たちが、自分の都合の良い巫女や神官たちを神殿内に送り込む。そうして選ばれた王は、その後も神殿側との都合の良い関係を維持するために影響力を維持する。そして次の代の王子たちも、神殿へ干渉していく。

 そうして、権力には中立を保つべき神殿内に、権力者の思惑が蔓延はびこる事態となり、結果的に、神殿が王族の都合の良いように扱われ出す。


 その神聖王国が、国内の神殿宗教を利用して、神殿都市へと干渉し始めていた。

 長老巫女だけでなく、多くの巫女や神官たちは、神聖王国の動向に懸念を見せている。

 その中で、神聖王国は自国に聖女が誕生した、と大々的に周辺各国や神殿都市へと知らせてきた。

 目的は、はっきりとしている。

 聖女と讃えられる巫女なのだから、空位の巫女王の座に最も相応しいだろう、というとだ。


「でも、聖女様は……?」


 学舎に通っていないミレーユでも知っている。


「聖女は必ず堕ちる。神聖王国の権力者は、神殿関係者であれば誰でも知っている常識を知らないらしい」


 と笑うマリアを見て、フェリユは複雑な思いを浮かべた。


 聖女の末路を口にしたマリア。そのマリアが、今現在において人々から「聖女」と讃えられ、ごく一部の者から「いずれは定めの通り堕ちるのでは」と危惧きぐされているのだ。

 マリアは、神殿宗教が正式に認定した「奇跡」を起こした聖女ではない。だが、聖女と讃えられている以上は、その後を危ぶむ声が起こるのは確かなのだ。

 その「聖女」マリアが、自虐的じぎゃくてきに口にした聖女の末路に、フェリユは星を見上げながら不安を抱く。


 どうか、マリアがこのままずっと「聖女」であり続けてくれますように。

 新月に近い細い三日月に、フェリユは祈る。

 そして、希望を抱くように、未来に想いをせる。


「ねえ。マリアはいったいどんな人と結婚をして、次のルアーダ家の当主になる子どもを産むんだろうね?」


 聖四家の当主は、必ず女性だと決まっている。

 ユラネトス家の長男であり、大神官の地位に就くレイが、当主になれないように。

 フェリユは、マリアの将来の伴侶はんりょは誰になるかと考える。

 浮いた話が一切出てこないマリアだが、今年で十八歳になった。巫女長という特別な地位に就いているため、すぐに結婚相手を見つけて結婚する、ということは難しいが、いずれはマリアも結婚するだろう。その相手とは、いったい誰なのか。

 マリアの心を射止める男性とは、どういう人物なのかと、考えてみる。

 問われたマリア自身は大きく苦笑していたが、妹のミレーユは真剣な表情で夜空の星々を見つめていた。


「ううーんとぉ。……マリアおねえちゃんは、きっとうんと年下の可愛い人と結婚するんじゃないかなぁ?」

「えっ!? 年下? それじゃあ、レイは結婚相手にならないかー。残念、レイ!」

「うん。ずっとずっと年下。もしかすると、まだ産まれていないかも?」

「ミレーユ、そんなに!? というか、ミレーユが言っちゃうと洒落しゃれにならないような」


 と笑うフェリユに釣られて、ミレーユもおっとりと笑う。そうして話題の中心であるマリアを二人で見つめた。

 マリアは、なんとも複雑そうな表情を浮かべていた。


「まだ産まれていないほどの歳下か。さすがに困ったな」

「でも、マリアなら有り得るかもね? マリアって、面倒見が良いでしょ? だから、同年代や歳上の立派な男の人より、歳下の甘えてくる可愛い子の方が似合ってる!」


 そうなると、マリアはこれから先もずっとこのまま「聖女」であり続け、フェリユやミレーユの傍らにいてくれる。フェリユはミレーユの言葉でそう信じることができて、心の奥に湧いた不安を拭うことができた。


 だが、平穏な夜の時間は長くは続かなかった。


「巫女長様、戦巫女頭様」


 と遠慮がちに三人に声を掛けてきたのは、空中庭園へ駆けてきた戦巫女だ。

 戦巫女は、マリアとフェリユに報告を入れる。


今宵こよいも、魔族が出現致しました」

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