手掛かり

 創造の女神をたてまつる神殿と人々の営みが融合した神殿都市は、階層によって役目が分けられる。


 緩やかな傾斜けいしゃの山のように裾野すそのを広げる下層には、住居が建ち並ぶ。

 神殿都市に住む者の殆どは神職に身を置く者とその関係者だが、聖職者の暮らしを支える商人や職人も多く暮らしている。

 下層の居住区には、そうした神職に身を置かない住民や、一般の聖職者たちが暮らしていた。

 人口密度の高い下層の居住区は、どの家家も似たような石造りの外観をしていた。それは、都市計画が全て神殿側の意図したものであることを如実にょじつに示す。

 整備された大通りと、そこから延びる幾筋もの脇道。綺麗に区画割りされた地区と、統一された家家が見せる下層部の整然とした都市風景は、外部から訪れた巡礼者や行商の者たちを魅了する。


 もちろん、巡礼者が宿泊する施設や、行商が利用する店舗や露店街なども、下層部に整備されていた。

 その中で、人族の文化圏の各所から巡礼に訪れた者たちは、下層部に宿を取ると、誰もが中層部を目指す。


 中層部は、巡礼者を迎える大拝殿だいはいでんを中心として、神殿としての多くの施設が建ち並ぶ区画になる。

 東西南北。四方に走る大通りは下層を貫き、中層部へと続く。そして、中層部に届いた大通りは、最後に広大な大広場へと繋がっていた。

 一面に石畳を敷き詰めた大広場。周りには緑が繁り、人々の憩いの場としても利用されている。その大広場の奥に、大礼拝殿が設けられているのだった。


 神殿都市で生活を営む者たち。巡礼者や旅の行商。他にも様々な理由で神殿都市を訪れた人族は、日々の礼拝を欠かさない。

 神殿都市各所には、人々の生活の利便性を考慮して、分社ぶんしゃ末社まっしゃが建立されている。だが、多くの者たちは中層部に設けられた大礼拝殿へと足げく通うのだ。


 敬虔けいけんな信者は、創造の女神を深く信仰している。

 世界は、女神アレスティーナが創造した。人も自然も動物も。全てが女神の子である。

 世界中、あまねく広がる人族の信仰。それを象徴するのが、石造りの神殿である。

 だからなのか。人族だけでなく、世界中の多くの種族は、人族の信仰をこう呼ぶ。


 神殿宗教しんでんしゅうきょうと。


 かつて、世界は人族によって統一されていたという。

 他の種族から見れば馬鹿げた御伽話おとぎばなしではあるが、それを裏付けるかのように、世界各地に統一された様式の石造りの神殿は建立れさ、同じ思想で巫女や神官たちは女神に仕えている。

 その世界中に信仰を広げる神殿宗教の、総本山。

 神殿都市の中層部には、様々な神殿施設が建ち並ぶ。


 大通りの先に設けられた大礼拝殿からは、巫女や神官たちが日々の務めを果たすための聖務殿が何棟も並ぶ。そして、聖職者を目指す者たちの学舎まなびやも、中層部に設けられていた。

 巫女や神官を目指す者たちは、まず神殿宗教の基礎を学ぶために学舎へと入り、修行と共に様々な知識や作法を習得する。そこから、神官、神官戦士、巫女、戦巫女と適性と目指すべき道を選ぶ。

 そして、女性の聖職者は洗礼を受けて、正式な巫女や戦巫女として聖務へと就く。


 不思議なことに、創造の女神の力の欠片かけらたる「法力ほうりょく」を宿せる者は、女性に限られる。

 人によっては「アレスティーナ様は女神であるから、女性にのみ神秘を与えたもうたのだ」と云う者もいる。

 ごくまれに、男性の中にも先天的に法力を宿す者が生まれるが、その男子は「神子みこ」として特別な扱いを受ける。


 学舎以外にも、中層部には神殿にとって大切な施設が揃う。

 一般神事を執り行う奉納殿ほうのうでん神楽殿かぐらでんも中層部に並ぶ。

 また、そうした神事の際に巫女が手にする巫女鈴みこすずふえ太鼓たいこ。神楽のための様々な道具。そして、巫女装束や神官装束は、中層の工房で手がけられている。そして、戦巫女の薙刀や神官戦士のための様々な武器、そして特殊な法具などの製作も中層の工房が担っていた。


 そのためか、中層部には上級職に身を置く巫女や神官の家家の他に、神殿所属の職人の住居も見て取れる。

 早朝から職人の打ち下ろす金槌かなづちの音が響き、それが礼拝のかねと合わさって、神殿都市内におごそかに響く。

 日々変わらぬ日常の音。変わらぬ風景と、普遍ふへんの信仰心。

 魔族の大侵攻や下層東部居住区の損壊という非日常にも絶望することなく人々が穏やかに暮らせているのは、中層部に並ぶ大礼拝殿や変わらぬ日常の騒音のおかげだ。


 しかし、今。

 中層部を越えて上層に身を置く者たちには、深い困惑と混乱の気配が漂い始めていた。


「フェリユ、報告をいただけますか?」


 上層部。聖職者の中でも特別な地位や家柄の者だけが住居を構えられる一画に、長老巫女ミトの住む邸宅は在る。

 全てが石造りで構成された、巨大な神殿の都市。その上層において、自然豊かな緑を讃える中庭が見渡せる応接室に、フェリユとレイはまねかれていた。


 ミトは、元は監査殿かんさでんの巫女頭。神殿の運営や、巫女や神官たちの日々の営みに間違いがないかを見届ける、司法とは違うもうひとつの法務役部の出身だ。

 だからなのか、午前中にアネアの邸宅で現場検証を行ったフェリユに、詳細な報告を求めてきた。


 現在の監査殿の巫女頭はリットリアだ。本来であれば、フェリユの報告はリットリアが受けるべき聖務であるが、長老巫女として現役を引退したミトも、今回の事件は気になるのだろう。


 それはそうだ、とフェリユでなくとも思ってしまう。

 神職に身を置く者が、何者かに殺害された。

 魔物の仕業なのか、魔族の暗躍なのか。もしくは、人族なのか。犯行者の特定には、未だに至っていない。

 だが、これはあってはならない事態なのだ。


 人族であれば、神殿宗教の教えを破いた者がいるということを意味する。

 魔族の暗躍であれば、神殿都市の深部に侵入されたという深刻な問題になる。

 魔物の可能性も否定できない現状だが、そうすると、元法術殿の巫女頭を務めていたアネアの法術を打ち負かすほどの魔物が出現したということになる。

 捜査の結果、どの結果が導き出されるにせよ、神殿には大きな課題が突きつけられることになるだろう。


「はい。報告します。アネア様のご自宅の様子ですが……。ねえ、なんでレイがここに居るの?」

「やれやれ。お前は今更か」


 苦笑するレイと、微笑むミト。


「今回の事態は、由々ゆゆしき問題だと考えています。そこで、年長者の大神官殿にもご協力を仰ぐべきだと私が判断したのですよ」

「なるほど!」


 大神官レイが管轄する役官は、結界殿。

 神殿都市全体の結界を維持運営するための大切な役部になるが、結界殿の役官だけは、古来より巫女頭ではなく大神官が務めを担っていた。

 そして、実権を持つ神殿都市上層部の中で唯一の男性である大神官は、時に公平な立場で神殿の運営に目を向けることができる。


 巫女王在位の際は、巫女王の補佐として。巫女王不在の際には、巫女長の助言役として、十二人の巫女頭や巫女王を支える。

 今回は、未熟なフェリユの補佐として、どうやらレイがこの場にばれたようだ。


 フェリユは、守護殿の巫女頭ネイティアとともに行った現場検証の結果を伝えていく。


 まず最初に確認したのは、アネアの遺体。最初にネイティアから聞いていた通りに、アネアは正面左肩から腹部にかけて袈裟懸けに斬られて絶命していた。

 他に、争った形跡のある傷はないか、当時の状況がわかるような痕跡はないか、検死を専門に行う巫女や神官を交えて確認したフェリユとネイティア。

 次に、犯行現場となった応接室内の状況も確認した。

 そして、わかったこと。


「アネア様は、深夜に何者かと応接室で会っていたと思います」

「その根拠は?」


 とレイに聞かれたフェリユは、自分たちの前に置かれたお茶を示す。


「アネア様の応接室には、アネア様の物以外のうつわがひとつ残されていました」


 客人がそこに居たからこそ、お茶は提供されたはずだ。

 しかし、とフェリユの話を聞いたミトとレイは首を傾げる。


「フェリユの最初の報告では、アネア様のご自宅に昨夜の来客はなかったと、側仕えの巫女の証言があったのでしょう?」

「はい。ですので、アネア様は側仕えの巫女にも秘密で、何者かに会っていたのではないか、とネイティアは調べを進めています」


 長老巫女のアネアが、身の回りの世話を受け持つ巫女にさえ知らせずに、深夜に何者と会っていたのか。

 フェリユ、レイ、ミトは三人で顔を見合わせるが、思い当たるような人物は浮かんでこない。

 そもそも、アネアが秘密裏に何者かと接触するような事態が想像のできないことだった。


「同じ長老巫女殿の私たちにも知らせていない何かで、アネアは動いていたのでしょうか? それとも、極私的な用事であったとか?」


 アネアの身内は、先の大戦乱で亡くなっている。年上の温厚な夫と二人の子どもは、既に女神の膝もとへと旅立っていた。

 そのアネアが、深夜に何者を客人として迎え入れていたのか。


「その、側仕えさえも把握していなかった来客者が犯行者の可能性が高いとネイティアは見ているわけか?」

「そうだよ。現場の状況からも、ほぼ間違いないだろうって」


 フェリユは、レイの問いに頷いて、報告の続きを話す。


「犯行現場となった応接室は、殆んど争った形跡がなかったんだよ。調度品が落ちていたり、家具が倒れたりした形跡がなかったの。でも、少し変なんだよね?」


 現場検証の際の違和感を思い出し、フェリユは首を傾げる。


「争った形跡はないんだけどね。そうすると、犯行者は不意打ちでアネア様を斬ったってことになるじゃない?」


 アネアは、元法術殿の巫女頭だ。

 法術殿の巫女頭を務めた者が、自身の命の危機に際して、法術を使わない可能性は極めて低い。

 祝詞の奏上と空中に描く文様を省略しようと、元巫女頭の信仰心と実力があれば、一定以上の効果は発揮するはずだ。

 だというのに、応接室内には、争った形跡どころか、法術が発動した痕跡さえ残っていなかった。


「それだけじゃないんです」


 とフェリユは続ける。


「もしもアネア様が不意打ちで何者かに斬られたとしたらさ。普通は、座っている状態じゃない?」


 応接室には、アネア以外の何者かに出されたお茶が残されていた。ということは、アネアは誰かと対談していたのではないか。そこで不意打ちを受けて斬られたのだとすれば、アネアの遺体は応接室に備えられた長椅子の上にあるはずだ。


「でも、アネア様の遺体は、応接室の中でも空いている空間だったんだよ? ねえ、レイ。変じゃない? 椅子とか机のない場所に立っていたアネア様を、正面から斬れるかな?」


 斬った、ということは、犯行者は何かしらの武器を手にしていたか、凶器を隠し持っていたのだろうか?

 いや、とレイは考えをまとめる。


「アネア様は、袈裟懸けに斬られていたと言ったな? であれば、暗器のような隠し武器程度では威力が足りない。そう考えると、犯行者は目に見える武器を手にしていた?」

「そう! ネイティアも言っていたんだけどね。座った状態で身動きに制限がある状態の不意打ちじゃなくて、立った状態で相手が正面で武器を構えている時に、アネア様が手も足も出なくて殺されるかな?」


 それこそ、身を守るために法術を使ったはずだ。それでなくとも、凶器から逃げようと抵抗したはずだ。


「ですが、室内には争った形跡がなかった、と言うのですね?」

「はい」


 ミトの確認に、フェリユは頷く。

 そして、もうひとつの疑問を口にした。


「それと。側支えにも秘密で深夜にアネア様と会って殺害した犯行者は、なぜ証拠を残したんでしょうか?」


 レイとミトが、はっと目を見開いて、手もとの器に視線を移す。


「普通だったら、露見していない証拠は隠しますよね?」


 深夜という時間帯。側仕えの巫女さえ知らなかった来客。であれば、証拠となる自分へ提供されたお茶を隠しても良かったのではないか。

 もしも、来客用のお茶の証拠がなければ、フェリユたちは未だに魔物や魔族の仕業の可能性を探っていた。

 お茶が提供されていた。そのことで、犯行者は人ではないか、と絞られたのだ。


「犯行が計画的だったのか突発的なものだったのかはわからないが……。そうだな。普通なら、犯行現場に証拠などは残さない。なんなら、わざと部屋を荒らして、現場検証の妨害も考えるだろう」


 レイの言葉に、フェリユは頷く。


「でも、犯行者は自身の存在を示す証拠を残して、部屋も荒らさなかった。それって、なんでかな?」


 犯行者は、慌てていた?

 それとも、そういう気回しがそもそも出来ないような者だった?


「もしくは、意図的に犯行現場を作り上げたのでしょうか?」

「ミト様?」


 首を傾げるフェリユに、ミトが考えを伝える。


「たとえば、ですが。犯行者は、本当はアネア様の来客者ではなかった。ですが、現場に来客用のお茶を残すことで、アネア様の見知った者だと思わせることによって、自身の存在を煙に巻くという方法も考えられますよね?」

「そうですね!」


 もしくは、と今度はレイが考えを口にする。


「そもそも、犯行が深夜だったとは限らないだろう? 夜間の来訪者の予定がないのであれば、側仕えの巫女も早々に自室に戻って休むはずだ。だとすると、犯行は側仕えがアネア様から離れた夜間から早朝にかけて、と柔軟に考えるべきかもしれない」


 もうひとつ。側仕えの巫女が、そもそも嘘の証言をしている可能性も残されている。とは三人揃って口にはしなかった。

 清廉潔白を重んじる神職の者が嘘を言うことなど、あり得ない。あってはならないのだから。


 いったい、アネアは何者に殺害されたのか。

 フェリユから報告を受けたレイとミトは、険しい表情で口を結んだ。

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