曇りゆく空

「申し訳ございません。朝議の最中ではありますが、私は先に暇乞いとまごいさせていただきます」


 巫女の報告に素早く立ち上がったのは、ネイティアだ。

 ネイティアが巫女頭としてつかさどる役部は、守護と司法。神殿都市の警備、警邏けいら全般を仕切り、そこに付随する問題や事件を担う。そして、物事の解決のために法律やしきたり、おきてや習慣に照らし合わせて、人々に裁定を下す。

 事件の一報を受けたネイティアは、背後に控える補佐の巫女や神官を引き連れて、足早に退室していく。


 十二人の巫女頭に助言や苦言を与える立場の、長老の位置に就く巫女の他殺。

 前代未聞の事件と言っていい事態に、守護と司法を司る巫女頭ネイティアが動かないわけにはいかない。陣頭指揮を執るべく会議室を退室したネイティアを、止める者はいない。


「フェリユ。貴女も行ってきなさい」

「マリア?」


 するとフェリユに、隣のマリアが声を掛けてきた。

 フェリユは首を傾げながら「あたしも行った方がいいのかな?」と聞き返す。


「フェリユ。貴女は戦巫女いくさみこを取り纏める巫女頭だ。今回の事件が何者かによる他殺なのだとしたら、犯人はあのアネア様をしいするほどの腕を持つことになる。貴女も行って、必要な情報を集め、場合によっては戦巫女や神官戦士たちの指揮を執る必要がある」


 ネイティアの配下にも、荒事あらごとを担うための戦巫女や神官戦士は配置されている。それでも、対魔族や魔物を相手に最前線で戦ってきたフェリユ麾下きかの戦巫女や神官戦士たちの方が、凶悪な相手には上手く立ち回れる。

 マリアの説明に同意するかのように、レイも頷いていた。


「うん。わかった。それじゃあ、あたしも行ってきます。朝議は、お願いします!」


 フェリユは、居並ぶ長老巫女や巫女頭、その者たちを補佐をする巫女や神官たちに退室の意思を示すと、素早く席を立って会議室を後にする。

 フェリユの補佐役である巫女や神官たちが、後に続いて退室して行く姿を見送りながら、レイが隣のマリアに小さく呟いた。


「今からの朝議は、先ほどのお前の発言で荒れるだろう。長老巫女様たちは、何かにつけてお前と対立する。フェリユを行かせたのは、そのいざこざに巻き込まないためか? 理由を付けてフェリユを遠ざけるとは、お前もあいつには甘いな」

「そうと知っていてわたしの意見を肯定こうていした貴方も、フェリユには甘い」


 マリアとレイ。二人にとって妹のような存在のフェリユ。

 幼い頃より、聖四家の者として手を取り合い、兄妹のように育ってきた三人のきずなは深い。

 互いに手を取り合い、助け合って、神殿都市を護る。そして、人々を導く。

 それでも、フェリユはまだ幼さが残る。

 マリアとは一歳だけの歳の差はではあるが、甘えることが得意なフェリユは、いつもマリアとレイに護られる立場にいた。


「あの子に今回の事件を追わせることは、辛い経験になるかもしれない。でも、わたしは……」

「ミレーユとフェリユ。手のかかる妹を二人も抱えるお前は大変だな」

「ふふ。何かあったときは、頼りにしている」


 マリアとレイが短く言葉を交わす間に、会議室の空気は当初の雰囲気へと戻っていた。


「巫女長。もう少し議論を重ねる必要がありますよ」


 そう切り出した長老巫女セドリアーヌの言葉に、巫女頭たちは緊張の表情を浮かべていた。






 神殿都市の内部構造は、各都市に建立される大神殿を都市規模にまで限りなく拡大したようなものだ。

 神殿都市の中心にして、山のように高くそびえた神殿の頂上。そこは創造の女神アレスティーナをまつり、最高位の神事を執り行う大本殿になっている。

 そして、大本殿の下部に巫女王や各巫女頭たちが使用する聖務殿や社務殿が配され、関連する施設が軒を連ねる。

 聖四家の住む居住区や高位の巫女や神官たちの住まいは、そうした奥殿の周囲に分散して配置されていた。


 前巫女頭であり、現長老巫女であるアネアの邸宅も、そうした高位巫女の居住区画にあった。


 会議室を離れたフェリユは、回廊を足早に進んでアネアの邸宅を目指す。

 既に警邏を担う巫女や神官たちが慌ただしく動き始めており、行き交う者の表情は困惑と混乱に染まっていた。


 無理もない、とフェリユ自身も眉根を寄せる。


 有り得ない事件。

 あってはならない事態。


 人族にとって、創造の女神に仕える巫女や神官は、神聖な者だ。

 どれ程の悪党であれ、地位を振りかざす王侯貴族であれ、神職に身を置く者に手を出すようなことはない。

 巫女や神官に手をあげるということは、すなわち創造の女神に暴意を向けることに等しい。


 創造の女神アレスティーナが、この世界を創ったと信奉しんぽうする人族。

 広大な大地。様々な自然や、そこに暮らす多くの種族。その全てを生み、はぐくんだ生命の母。

 その母たる女神に仕える神職の者に手をあげた者が、この世界で平穏に生きられる道理はない。また、死したのちも女神のひざもとへとはいざなわれずに、暗黒の世界を永遠に彷徨さまよって苦しむのだと、人族は疑いもなく信じている。


 だから、あるはずはないのだ。

 神職に身を置く者、その高位者である長老巫女が他殺されるなど。


「まさか、魔族が……!」


 と、フェリユの後を追う神官のひとりが言葉を漏らして、慌てて自分の口を塞ぐ。

 それも、あってはならない事態なのだと、フェリユを含む全ての者が認識していた。


 魔族や漆黒色の魔物は、確かに神殿都市内に現れる。

 だが、出現地域は限られている。

 三年前の大戦乱の傷跡が今もなお深く残る神殿都市東部の下層居住区。

 瓦礫がれきが山積みとなったままの荒廃こうはいした区域には、未だに復興の手が届いていない場所が多い。そこを隠れ家として、魔族が神殿都市の結界内側に潜んでいることは事実だ。

 そして、漆黒色の魔物も、魔族のけがれが呼び水となっているかのように、東部の廃墟付近に出現する。


 だが、魔族や魔物が出現する区画は、あくまでも神殿都市東部の下層居住区の廃墟はいきょと、その周辺に限られている。

 その事実を超えて、神殿最奥の上層、高位巫女の住居に魔族が侵入し、前任とはいえ法術と教育を司っていた巫女頭のアネアを殺害したなど、あってはならない。

 もしも今回の事件が魔族の仕業だというのなら、神殿都市内部に潜む魔族に神殿中枢まで侵入されたことを意味する。


「先の大戦でも、神殿中枢にまで深く侵入できた魔族は魔王だけだったんだから、絶対に有り得ないよ」


 神殿都市内部には、幾重いくえにも厳重な結界が張り巡らされている。

 神殿都市全体を覆う結界。それとは別に、下層、中層、上層、それだけでなく、要所の神殿や最奥の大本殿、聖四家の邸宅など、様々な場所に幾種類もの結界が施されている。

 そして、結界の維持と管理を司る結界殿の長官が、大神官のレイだ。

 そのレイが、先ほどの朝議で異変を口にしなかった。ということは、魔族が結界を破って下層から中層、上層へと侵入した可能性は低い。


 だが、そうなると……

 やはり、人族の手によって、しかも上層に出入りできるような高貴な巫女か神官によって……


「ううん、違う! 魔物の可能性だって残されているんだもんね」


 そうだ、きっとそうに違いない。と自分に言い聞かせるフェリユ。

 確かに、魔族や魔物は東部居住区の廃墟を中心に現れる。だが、魔物はそもそもが発生不確定な未知の穢れなのだ。

 だから、魔物がたまたま神殿都市の上層に出現して、アネア様を襲った可能性もある。


 フェリユは不安を抱きながらも、疑念を払拭ふっしょくしようと足早に進む。そして、建ち並ぶ聖務殿を過ぎ、高位者の邸宅が軒を連ねる区画へと入ると、さらに足を早めた。

 巫女頭として、巫女らしい所作しょさを崩すわけにはいかない。それでも可能な限り全速で現場へと向かったフェリユは、アネアの邸宅へと到着する。


 邸宅の周囲や屋内では、多くの巫女や神官たちがせわしなく動き回り、騒然とした雰囲気に包まれていた。


「ネイティア、状況を聞いてもいいですか?」


 先に退室していたネイティアの姿を見つけたフェリユが声を掛ける。

 茶色い髪を背中に長く伸ばしたネイティアは、二十歳を過ぎたばかり。元々は、巫女王の守護を担っていたマリアの側近として働いていた。その後、マリアが巫女長に選出された際に、後任として新たに守護と司法を司る官位に着いた。利発的な瞳は鋭いが、思慮深い優しい女性だ。そして、法術の達人でもある。

 ネイティアは配下の巫女に幾つかの指示を出すと、現場へと駆けつけた巫女頭のフェリユに丁寧な挨拶を送る。


「フェリユ。わざわざこちらまでおいで頂けるとは」

「うん。マリアに、行きなさいって言われたから」


 巫女長様に言われたから、という部分は伏せていても良いのに。とフェリユの素直な言葉に内心で苦笑しながら、ネイティアは現状を説明する。


「アネア様は、応接室でお亡くなりになっていました」

「応接室? ということは、お客さんを招いていたのかな?」

「それが……。側仕えの巫女から聴取したのですが、昨晩はアネア様を訪ねる来客はなかったと」

「それじゃあ、たまたま応接室に居たアネア様が……。そうだ、犯行の状況は?」


 アネア様を襲った者が魔物であれば、何かしらの残滓ざんしが残っているはずだ。そう問いかけるフェリユに、ネイティアは表情を曇らせた。


「ネイティア、正直に言って。アネア様は……?」


 不安が、胸の奥からもやのように広がっていく。

 もしも、魔物の仕業でなかったとしたら。

 魔族の侵入?

 そんなことはあるはずがない。

 それじゃあ、人族の誰かが?

 それこそ、あってはならない事態だ。


 フェリユだけでなく、周囲の巫女や神官たちも固唾を呑んで、ネイティアの言葉を待つ。

 ネイティアは険しい表情で、フェリユに伝えた。


「アネア様は、応接室で何者かに鋭利な凶器で袈裟懸けさがけに斬られてお亡くなりになっていました」

「っ!!」


 魔物の襲撃であれば、遺体は無惨なものになる。

 どういった魔物かにもよるが、総じて魔物に襲われ殺された場合は、酷い惨状になる。

 魔物は、本能で生物を襲い、殺す。理性はない。だからなのか、魔物に襲われて殺された者は、死した後も魔物に執拗しつように攻撃されて、無惨な状態になってしまう。場合によっては、身体の一部を喰われていることもあるくらいだ。

 だが、ネイティアは遺体の惨状を口にすることなく、アネアは袈裟懸けに斬られて亡くなっていた、とそれだけを語った。

 つまり、犯行者はアネアを殺害した後にいたぶるような者ではなく、理性を持つ者だということだ。


「まだ、最初の検死が終わったばかりです。詳しいことはこれからになりますが」


 と口にするネイティアだが、全員が今後の事態を重く受け止めていた。


 長老巫女のアネアは、何者かによって他殺された。

 その者は、魔物ではい。

 そして、犯行者は神殿都市内部に幾重にも張り巡らされた結界を痕跡なく突破し、法術使いとしての実力を持つアネアを正面から斬り殺せるような者。

 しかも、相手が聖職者ということをいとわない。


 前代未聞の事態に、フェリユは知らず知らずのうちに震えていた。


 いったい、何者がアネアを殺したのか。

 そして、その目的とは。


 神殿都市に、不穏な空気が漂い始めていた。

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