難題

 三年前の大戦乱。その爪跡は、今もなお深く神殿都市に刻まれている。

 崩壊したままの、東部居住区。そこを中心として度々たびたび出現する魔族と、けがれにおびき寄せられた魔物の活発な出現。

 魔族の軍勢を撃退したとはいえ、人々には多くの難題が降りかかっていた。


「フェリユ。昨夜も忙しかったみたいだな?」


 朝議へと向かうために、神殿都市上層の大神殿の回廊を進んでいたフェリユに、ひとりの男性が話しかけてきた。

 フェリユは小股で歩きながら、隣に並んだ男性を見上げる。


「これはこれは、大神官だいしんかんレイ・ユラネトス様ではございませんかぁ。おはようございます」

「馬鹿者。立場的には、戦巫女頭いくさみこがしらでり、ノルダーヌ家当主であるお前の方が上なんだ。そういう言葉遣いはそろそろ止めなさい」

「ふーんだ。そんなことをレイに言われても、このフェリユちゃんには通用しませんからね?」

「いや、通用しなさい。まったく、お前は……」

「あっ、そうやって嘆息たんそくしてなげいてばかりいると、可愛い巫女たちが近づけなくて困っちゃうんだぞ?」

「俺の心配はどうでも良い。それよりも、昨夜も……」

「マリア? 大丈夫だよ。心配しないで。朝議には少し遅れるかもって言っていたけど、問題なし! ミレーユも側にいてくれているし、安心していいよ」


 小柄なフェリユよりも、頭ひとつ分以上背の高いレイは、整った顔立ちをした美青年だ。

 深みのある青い髪を、大神官のくらいに相応しく長く伸ばし、背中に流す。


 巫女は、その地位を上げていくと、立場に相応しく髪を長く伸ばしていく。しかし、神職の男性がく神官には、その縛りはない。

 ただし、神官筆頭となる大神官の位は別だ。

 巫女王在位の際には、巫女王の補佐として。巫女王不在の時代には、巫女長みこおさの助言役として、神職に身を置く男性の中で唯一の実権を持つ大神官は、巫女と同じく地位に見合った髪の長さを示さなければならない。


 かくいうレイも、深みのある青い真っ直ぐな髪を、腰先まで伸ばしていた。


「レイは良いよね、真っ直ぐな髪で!」


 と、大神官レイの髪を遠慮なく引っ張るフェリユ。

 フェリユの蜂蜜色の髪は、長く伸ばしていくと自然と波打つような癖毛くせげだ。それでも、髪の毛一本一本が細く柔らかいため、レイと同じく腰裏辺りまで下がる髪は、フェリユが動く度にふわりと軽やかに揺れる。


「よしなさい。まったく、お前は。もう少し周りの目を気にしなさい」

「あたし、気にしても治らないよ?」

「いや、治しなさい」


 フェリユの手を振り払うレイ。だが、怒った様子はない。

 まるで、仲の良い兄と妹のようだ、と二人の背後に続く巫女や神官たちに微笑みが生まれる。


 聖四家の筆頭とも呼べるルアーダ家の当主、マリア・ルアーダ。

 同じく聖四家の内の一家、ノルダーヌ家の当主であるフェリユ。

 そして、聖四家ユラネトスの長男であるレイ。

 三人は、年齢こそ違うが、幼少の頃より共に手を取り合って成長してきた。

 その三人に共通すること。

 それは、両親が共に亡くなっているということだ。


 三年前の大戦乱では、巫女王だけでなく多くの神官や巫女たちも命を落とした。

 特に、最前線に立った成人の者たちの死傷者は凄惨なものであり、戦災孤児も戦後の問題のひとつである。


 そして、もうひとつ。

 神殿都市で、今まさに表面化している課題。

 それは、神殿都市の運営と宗教として人々を導く指導者たちの低年齢化だった。


 フェリユとレイが並んで入った会議室に並ぶ、巫女や神官たちの面々は、誰もが若い。

 十七歳になったフェリユが最年少であり、二十一歳のレイが最年長であるように。


 聖四家と人々にとうとばれるノルダーヌ家やヴァリティエ家の当主でさえ命を落とした戦災だったのだ。多くの知識と経験をもつ年配の者が減り、未熟な若年者が残された。

 それでも、人族を導き、神殿都市を運営していくためには、立ち止まっていることはできない。


「おはようございます」


 フェリユか室内の者に挨拶を送ると、全員が揃って朝の言葉を返す。


 神殿都市を代表する十二人の巫女頭みこがしら。その一翼を担う戦巫女頭のフェリユと大神官のレイを迎え入れると、全員が指定の席に着く。


「フェリユ様、巫女長みこおさ様は?」

「昨夜、少し体調を崩しました。ですが、もう間もなく来るはずです」


 ああ、良かった。と何処どこからともなく安堵あんど吐息といきが漏れる。

 誰もが心配している。

 過剰な力をその身に宿した巫女長マリア・ルアーダの体調を。


 神殿都市に身を置く者の全てが、マリアのことを「聖女せいじょ」とたたえる。

 聖女とは、女神の力の欠片をその身に宿し、この世界に奇跡を体現させた尊き巫女を指す称号である。

 だがマリアは、実は奇跡を起こしたことはない。

 約三年前、魔族を単身で撃退した偉業も、本来であれば数十人から数百人の巫女が大奏上だいそうじょうによって発動させる大法術「流星宝冠りゅうせいほうかん」をひとりで放ったことも、マリアにとっては奇跡にはならない。

 それでも、人々はマリアのことを「聖女」と讃える。

 マリアが幼い頃より、人々は見ていた。彼女の立ち振る舞い。人々を誰よりもいつくしむ心。そして、全ての者をきつける魅力を。


 そのマリアが、三年前から変調をきたしている。

 心配しない者などいない。

 たとえそれが、実権を持つ十二人の巫女頭と纏め役の巫女長を監督する、長老巫女殿ちょうろうみこでんの者であっても。


「巫女長は、もう少し自身をご自愛なさらないと」


 十二人の巫女頭が囲む会議机の背後に、長老巫女と呼ばれる臨時の神職に身を置く巫女たちが並んでいる。

 若輩者ばかりの巫女頭たちを導く、老練な巫女が六人。とはいえ、若い者であれば三十代後半からの巫女が、未熟な巫女頭たちに、助言や、時には苦言を送るのだ。


「アネア様のお姿が見えませんが?」


 長老巫女殿の六人の巫女たちに改めて挨拶を送ったフェリユが、首をか傾げる。


「アネア様が遅れるとは、珍しいですね?」


 すると、他の巫女たちも不思議そうにお互いの顔を見合う。

 神職に身を置く神官や巫女たちは、常日頃から規則正しい生活を送っている。

 朝起きれば、身を清めるために行水ぎょうすいを行う。質素な朝食を心がけ、日々の修行と奉仕に全身全霊ではげむ。その巫女や神官たちを取り纏める巫女頭や長老巫女殿の者たちが、理由もなく毎朝の朝議に遅れることはない。


「わたくしが見てまいります」


 ひとりの巫女が席を立ち、退室する。

 代わりに、開け放たれた会議室の扉から室内に入ってきた女性がひとり。


「おはようございます。遅れて申し訳ございません。昨夜にまた体調を崩してしまった。心配を掛けた」


 朝の挨拶は丁寧に。それでいて、自身のことになると単調に言葉を発した女性に、フェリユを含む室内の全員が席を立って挨拶を送る。


「おはようございます、巫女長マリア様」


 全員の挨拶に、慈愛に満ちた微笑みを返したマリアは、フェリユとレイの間の席の前に立つ。


 男性のレイと、ほぼ変わらないような長身。

 巫女長を示す特別な巫女装束みこしょうぞくに包まれた身体の線は細いが、体幹がしっかりしているためか、不安定さは見る者に微塵も感じさせない。

 長い手足。ゆったりとした袖口そでぐちからあらわになった手と指先は透き通るように白く、指の先端まで女神が繊細に作り込んだかのように美しい。

 そして、絶世の美女と誰もが讃える美貌。

 切れ長の瞳には、はかなげに下がる睫毛まつげが長く伸び、薄い唇はほのかに桃色を浮かべる。

 黒い瞳孔。黒い睫毛と眉。そして、黒絹のようなつやを湛えた真っ直ぐな黒髪。

 巫女王不在の現在、神殿都市の巫女や神官だけでなく、世界中の聖職者の頂点に立つ巫女として相応しく、真っ直ぐな、それでいて豊かな黒髪は、マリアの膝裏ひざうらまで伸びている。


 マリアは長い髪を後ろ手で流すと、席に腰を下ろす。

 すると、全員が揃って着席し直した。


「それでは、まず昨晩の魔族出現の件から報告させていただきます」


 魔族の出現は、神殿都市に暮らす者だけでなく、各地から訪れる巡礼者や物資を届ける行商人たちの安全にも関わる。

 昨晩、魔族と魔物の出現に対応した「守護と司法」をつかさどる巫女頭ネイティアが、詳細な報告を上げていく。


「……魔族の出現も気になるところではありますが、やはり最近は漆黒しっこくの魔物の方が気になりますね?」


 巫女頭ネイティアの報告に、隣に座るエミーナが同意するように頷く。


「都市内に潜む魔族が召喚している、という噂もありますが……?」

「しかし、漆黒の魔物はその魔族よりも厄介であることの方が多いです。法術は通用するのですが、神官の武器や巫女の薙刀がなかなか通用しないと報告を受けていますね」

「では、例の魔物はやはり都市の中で自然発生的に出現している可能性があるのでしょうか?」

「いや、そこは判断を安易にすべきではない」


 巫女頭たちの議論に異議を唱えたのは、大神官のレイだ。


「神殿都市の結界を司る私には、異常は報告されていない。あの漆黒の魔物が都市内部で自然発生しているのだとしたら、害悪を退ける結界、その中心の大宝玉に異常が出ているはずだ」

「ですが、大神官様。それでも魔物は幾度も出現しています」

「であるとすれば、やはり……」


 会議室内の空気が重くなる。


 神殿都市には、常時結界が張られている。

 都市内での魔物の発生を抑制し、外部からの敵意ある存在を跳ね除ける。

 残念ながら、三年前の魔族の大侵攻の際に一度は破られているが、それでも、今現在においても結界の効力は維持されていて、魔物の出現は抑制され、魔族の新たな侵入は許していない。

 その状況下で、漆黒の魔物が最近になって出現するようになった理由。

 結界は、破られてはいない。

 しかし……


「結界の何処どこかに、ほころびがある可能性があるよね?」


 フェリユの発言に、レイは眉根にしわを刻む。


「結界を司る大神官としては、素直には認められない事実ではあるが……。可能性のひとつとして、考えられる。そして、このまま漆黒の魔物の出現が続くようであれば、いずれは大きな厄災やくさいに繋がる」


 厄災とは、と問う巫女頭に、レイは躊躇ためらいなく言った。


「結界に綻びがあり、それが魔族に知られた場合。敗退したとはいえ、魔族の残党は天上山脈の西に未だに多く潜んでいる。それが、改めて襲いかかってくる可能性がある」


 レイの発言に、誰もが息を呑む。


 相打ちの形で、巫女王が魔王を倒した。マリアが魔将軍と魔族軍を撃退し、天上山脈の西に広がる人族の文化圏から追い払うことができた。

 それでも、神殿都市内部に未だに魔族が潜んでいるように、周辺地域にも少なからず魔族は隠れ潜んでいる。

 今は、その魔族たちも張り直された結界に阻まれて、神殿都市へと再侵攻はできない。

 だが、結界に綻びがあり、それが魔族に露見してしまった場合。

 神殿都市の内外に潜む魔族の残党は結束し、再度の侵攻をくわだてるだろう。


「そこで、提案したい。結界殿けっかいでんへ、熟練の巫女の派遣を要望する。結界がより安定すれば、綻びは無くなるだろう」


 神殿都市全域に展開されている結界の綻びを見つけ、修繕しゅうぜんすのは至難のわざだ。それよりも、結界を維持している大宝玉を安定させるために巫女の法力を利用する。そう提言したレイに待ったをかけたのは、隣に座る巫女長マリアだった。


「駄目だ。これ以上の熟練の巫女の派遣は認められない。それよりも、熟達した技量を持つ者にはなるべく隊商の護衛や都市防衛に努めてもらいたい。そして、隊商とともに近隣の街や都市へ赴き、これから冬に備えての支援をつのってほしい」


 馬鹿な、とマリアの意見に反論の声を上げたのは、巫女頭たちが囲む会議机の背後に控えていた長老巫女殿の女性だ。


「マリア、考え直しなさい。今は、確かに支援物資が不足しています。ですが、何よりも先ず優先すべきことは、魔族の再侵攻でしょう? たとえ物資が周辺各地から届いたとしても、結界に綻びがあれば、人々は魔族の再侵攻に怯え続けなればならなないのです」


 それに、と続ける初老の長老巫女。


「魔族の潜伏や魔物の出現という現在の治安の悪さで巡礼者は減り、行商の者たちが足を遠ざけているのです。であれば、やはりここは熟練の巫女を……」

「それでは、この冬は越せない」


 マリアは静かな口調で、長老巫女の言葉を遮った。


「魔族や魔物への対処は、現状でも対応できている。だが、このまま周囲からの支援が滞れば、この冬は昨年以上に飢えが蔓延まんえんし、死者が増える」


 人族の信仰の中心。

 神殿都市。

 だが、神殿都市の周辺は、痩せ細った大地が広がっている。

 春に種をいても、収穫はわずかばかり。特産もなく、冬は北方の永久雪原えいきゅうせつげんから寒波が吹き下ろす。

 それでも人々が神殿都市に暮らし、各地から足を運ぶのは、そこが信仰の中心だからだ。

 創造の女神の代理たる巫女王がおわす聖地。

 人族は誰もが想い、願う。

 一生に一度は、神殿都市へと巡礼におもむきたい。


 だが、三年前の魔族の大侵攻以降、各地からの人々の足は大きく減退した。

 理由はまさに、神殿都市内部だけでなく、周辺地域にも潜む魔族のせいだ。

 巡礼に赴きたくとも、魔族の襲撃が怖い。行商人も、命は惜しい。

 そうして、痩せた大地が広がる神殿都市は物資が不足していき、そこに生きる者たちは今まさに困窮こんきゅうしていた。

 マリアは、神殿都市に身を置く戦巫女や神官戦士たちを隊商の護衛に出してでも招き入れ、また、護衛先の街や都市で支援を要請しなければ、都市に残る者たちに犠牲者が出ると訴える。


「巫女長として、方針を決定させてもらう。まずは、支援だ。大神官には申し訳ないが、今の人員で結界の維持と保全を要請する」


 待ちなさい、と別の長老巫女が声を上げた。


「マリア、いくら貴女であっても、横暴が過ぎますよ? 議論を重ねる前に方針を決定させるだなんて」


 長老巫女の言葉に、マリアは切れ長の瞳を向ける。


「議論は、今しました。わたしは大神官と長老巫女様の意見を聞いた。それでも尚、今は支援の方が大切だと決定したのです」

「それは、議論ではありません!」


 表情を険しくする長老の巫女たち。


「マリア、訂正しなさい。貴女は巫女王ではないのです。実権を持たない、巫女王の代理ですよ? 実権を持つのは、十二人の巫女頭です」

「もちろん、巫女王でないわたしは実権を持ちません。ですが、巫女王不在の現在、実権を持つ十二人の巫女頭を纏める立場が、巫女長たるわたしです」


 横暴ですよ、とひとりの長老巫女が口にする。


「マリアよ。間違えてはいけません。確かに、巫女頭を纏める立場であり、巫女王不在の現在において私たち聖職者の筆頭となる者は、巫女長の貴女です。ですが、だからといって貴女の考えがいつも正しいとは限らず、だから独断は許されないのです」

「独断ではありません。わたしの判断に意義があるのなら、唱えていただいて良いのです」


 ですが、と長老の巫女たちから視線を動かして、会議机を囲むように座る巫女頭や、その背後に補佐として控える神官や巫女たちを見渡すマリア。

 だが誰からも、隣に座る大神官レイからでさえも、反対の意見は上がらない。


「マリア。今の巫女頭たちは貴女が選出した者ばかりなのですから、意見を言いたくても言いにくいでしょう?」

「それは、深く承知しています。ですから、わたしの立案でセドリアーヌ様方を長老巫女として迎え入れて、こうして助言や提言を受けているのではありませんか」


 魔族の大侵攻によって、多くの練達した巫女や神官を失った。それを再建するにあたって、巫女長に選出されたマリアが真っ先に取り行った改革。それは、様々な分野を司る十二人の巫女頭を、将来を見据えて若者たちに限定したことだ。

 ただし、若輩な者たちだけでは立ち行かない場面や問題は起きる。そこで、巫女頭たちに助言を授ける特別な官位を設けた。

 それが、前巫女頭である長老の巫女たちだ。


「セドリアーヌ様たちの意見は、わたしも尊重します。ですが、やはりこの冬を乗り越えられなければ、意味はないのです」


 しかばねの山を築いた神殿都市を結界で守護しても意味はない、と首を横に降るマリア。

 生き残った神官や巫女たちだけでは、全ての問題に向き合うだけの力はない。

 どのような問題であれ、取捨選択しゅしゃせんたくを迫られる。

 それが、現在の神殿都市の最も深刻な問題だった。


 マリアの下した決断に、苦渋ながら巫女頭たちは頷く。

 だが、その中で。

 会議室に集う者の中から、ぽつりと呟きが溢れた。


「聖女は必ず堕ちる」


 全員の気配が咄嗟とっさに揺れた。


 言ってはならない。

 口にしてはいけない。

 禁句きんく


 マリアは、女神の奇跡を起こした正式な聖女ではない。

 だが、と思う者が存在していても、間違いではない。

 聖女たるマリアは、権力におぼれ堕ちた。何者かのこぼしたつぶやきには、その意図が含まれていた。


 一瞬だけ、会議室に沈黙と緊張が走る。

 だが、その張り詰めた空気を打ち破るように、会議室の扉が開かれた。


「会議中に、失礼します」


 扉を開き駆け込んできた女性は、朝議に姿を見せない長老巫女アネアの様子を確認しに行った巫女だった。


「も、申し上げます。アネア様のご様子を確認しに向かったのですが……」


 ごくり、と見守る者たちにも聞こえるほど大きく唾を飲み込んだ巫女は、唇を振るわせながら報告を入れた。


「アネア様が……。アネア様が、自宅で何者かに殺害されてお亡くなりになっていました」

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