綺羅星の聖女
綺羅星の巫女
人族の女神信仰は、ひとつの集大成とも呼べる巨大建造物を造り上げた。
山のように、中心部へ向かうほどに高く連なる神殿の壁と屋根。石造りの
世界を創造した女神アレスティーナを
しかし、人族が造り出した神殿の都市は、東側に大きな
石造りの神殿は崩れ、建ち並んでいたはずの家家は見る影もなく
約三年前。冬。
数万にも及ぶ魔族の大軍勢が、神殿都市を襲った。
その東の魔術師に守護された、
しかし、人族にそう信じられてきた要所が、三年前に突如として突破された。
そして、魔王ユベリオラの率いる魔族の大軍勢は、天上山脈の東から人族の文化圏へと侵入し、村や街を
結果から見れば、多くの巫女や神官、そして
しかし、その爪跡は現在にも深く残り、侵略を最も深く受けた神殿都市の東側は、未だに復興が進まない。
その、神殿都市東部の下層域で、巫女たちが走る。
新月が間近に迫った、細い月が夜空に浮かぶ深夜。
星々の明かりだけを頼りに、十名近い巫女が崩れた
大通りに面して建ち並んでいたはずの家家は、基礎部分から
しかし、巫女たちの進みは
ひとりの巫女が、地に足を着ける。次の動作で軽く
巫女が空中で「星渡り」を発動すると、任意の方角へ、まるで鳥が大空を
足下の地面に対して並行に移動した巫女が地面に足を着けた地点が、法術の途切れを意味する。
巫女は地面に足を着けると、改めて跳躍し、星渡りを発動させる。そうして、走る者たちよりも速く、地上を移動していく。
巫女の力量により、星渡りの飛距離と速さは変わる。
数人の巫女が何度か地に足を着き、跳躍して星渡りを使う中。先頭を行く
そして、追うべき者を目指して、夜闇を滑空する。
巫女たちが星渡りで大通りを進む先には、
しかし、三年前の魔族の大侵攻の際に激しく損壊し、見るも無惨な廃墟と化した。そのうえ、この廃墟には、未だに魔族の残党が
巫女たちの先頭で疾駆する少女は、夜闇に沈む廃墟の風景には目もくれずに、真っ直ぐ前だけを見つめて進む。
魔族を許すことはできない。
最愛だった母、巫女王レイシアの命を奪った者。
実の姉のように
この廃墟を目にする
「これは、わたしの罪だ。わたしにもっと実力があれば、東部居住区を破壊することなく魔族を撃退できた」
そう口にしたマリアに、蜂蜜色の髪の少女、フェリユは強い口調で言ったことがある。
「そんなことはないよ!
神殿都市東部の居住区に侵攻した魔族の大軍。それを率いた魔将軍ゼリオス。
マリアはひとりで、それらに立ち向かった。
結果、魔将軍は討ち取られ、魔族は大敗退を
しかし、マリアの放った大法術「
マリアは、当時を
あの時、自身にもっと実力があれば、東部居住区を破壊することなく魔将軍と魔族軍を撃退できたのではないかと。
そして、巫女王を護れたのではないかと。
フェリユは、決してそんなことはないと、今でも確信している。
マリアがいなければ、巫女王だけでなく、人族はこの神殿都市の全てを失っていた。
それなのに、最も功績を上げたマリアが、今も苦しまなければいけない。
魔族さえ侵攻してこなければ。
未だに魔族が神殿都市内に隠れ潜んでいなければ。
マリアは苦しまないはずだ。
だから、救うんだ。
姉のように慕うマリアのため。
神殿都市に暮らす人々のため。
そして、人族の希望のために。
「追い詰めたよ!」
フェリユが足を着けた場所は、廃墟と化した
大通りに敷き詰められた石畳ではなく、
しかし、嘗ては青々と繁っていた芝生も、今は見るも無惨な雑草のように、伸び放題になってしまっている。
その荒れた芝生に立つフェリユの視線の先に、異形の者が殺気を
「おのれ、
巨大な瞳は真っ赤に輝き、口からはみ出した牙が不気味に並ぶ。猫背の背中には
人としては異形であり、化け物としては異質すぎない。
「下級魔族だと思われます!」
対峙するフェリユと魔族。そこへ、第三者の声が響く。
大広場から延びる幾筋もの通りの各所から、
更に、フェリユに遅れて、追従していた巫女たちも到着する。
「全員、魔族を包囲。絶対に逃さないよ!」
おうっ! という神官戦士たちの掛け声と同時に、巫女の
「ちっ、巫女どもめ!」
魔族は警戒に瞳を光らせると、法術から
戦巫女や神官戦士がどれほど
「っ!?」
しかし、魔族は逃げられなかった。
それどころか、指先さえ動かない身体の異変に、ようやく自分が対峙する者の正体を知る。
「貴様は!
憎々しげに、対峙する蜂蜜色の髪の少女を睨む魔族。
しかし、フェリユは殺気の籠った魔族の視線を受けても、臆することはない。
「はっはーん! どうやら、あたしのことを知っているみたいだね? それじゃあ、あたしの得意なことも知っているんだよね?」
にこり、と可愛い笑みを浮かべたフェリユに、魔族は喉の奥から
「
法術とは、創造の女神の力の
世界の邪悪を祓い、人々に
そして、全種族の様々な術を通して唯一の、命を癒す効果を持つ。
しかし、女神の力の欠片を施行するためには、日々の
創造の女神を
言祝ぎは祝詞として。信仰は手先から法術の光を生んで模様を空中に
だからなのか。
女神への祝詞と空中に描く文様を省略して法術を発動させると、威力が極端に弱くなる。それだけでなく、信仰心の足らない巫女は、法術を発動させることさえ出来ない。
逆に、信神深い巫女が深く心を捧げて祝詞を奏上し、法術を発動させると、同じ術でも他よりも高い効果を示す。
その中で。
綺羅星の戦巫女フェリユ・ノルダーヌと讃え呼ばれる少女の法術は、何者よりも速かった。
いつ、祝詞を奏上したのか。いつ、空中に女神を讃える模様を
夜空に
そのフェリユが、既に法術を発動させていた。
「人族如きが! 人族如きが! 人族如きがぁっ!!」
魔力と共に殺気を放ち、魔族が
だが、凶器のような爪の先さえ動かない。
「わかってないなぁ」
フェリユは、悪あがきをする魔族に苦笑しながら、右耳から
そして、小さな声で歌のような
フェリユの右手には、薙刀というにはあまりに異質で異形な、巨大な長柄武器が現れた。
赤、というよも朱色に近い色を基調とした、長い
だが、驚くべきはその長さではない。
柄の先。
まるで、老木の根元の部分を移植したかのような、異形の
巫女様が持つ薙刀の
鍔から生えた角の部分だけで、
そして、鍔だけでも異様であるにも関わらず、そこから伸びる
三日月を思わせるほど大きな反りのある、巨大な刃。薙刀などではなく
その刃は、薙刀らしく大きな反りはあるが、それはもう
長い柄や巨大な鍔と合わせて、超重量で叩き斬る、という代物だ。
「人族如き? たしかに、魔族から見たらあたしたち人族なんて弱っちい存在だよ。でもね? その弱っちい人族に敗退したのは、お前たちだ!」
叫び、フェリユは異形の宝槍ユヴァリエールホルンを構えた。
「戦巫女頭フェリユ・ノルダールがここに言祝ぎ申す。人々を苦しめる魔族を祓い、世界に平穏を
フェリユの言葉と同時に、四方から法術「
無数の満月色の矢が、呪縛された魔族へと向かい
月光矢の輝きに包まれた魔族が、悲鳴を上げた。
「神官戦士は包囲網を
少女然とした容姿と
フェリユは全員の動きを確認しながら、月光矢に撃ち抜かれた魔族へも意識を向ける。
この程度では、魔族は倒れない。
人族如き。と魔族は自分たちを見下す。
だが、それは事実に基づくものなのだ。
たとえ下級の魔族であろうとも、人族の手には負えない恐ろしい存在であることは、全ての人族が知っている。
もちろん、フェリユも身に染みて理解していた。
たったひとりの魔族を相手に、二十人を超える巫女や神官たちが協力し合わなければ、倒すどころかまともに相手をすることもできない。
こうして、フェリユが不意打ちで魔族の動きを封じていなければ、既に多くの犠牲者が出ていたに違いない。
その魔族が、たった一度の月光矢の掃射で絶命するはずはないのだ。
呪縛法術「三日月の陣」の影の部分で動きを拘束された魔族を、フェリユだけでなく大広場に集った者たち全員が注視していた。
りぃん。
と、フェリユの左耳から下がる耳飾りの鈴が鳴ったのは、その時だった。
「……マリア?」
左耳の耳飾りは、
伝心玉から伝わってきた
フェリユは自身の伝心玉に法力を注ぎながら、違う場所にいるはずのマリアへ向かい、言葉を掛ける。
『…………フェリユ様』
しかし、フェリユの伝心玉へ届いた声は、マリアとは違う女性のものだった。
『失礼します。現在、マリア様の伝心玉を通して、お伝えしています』
「なにかあったの?」
伝心玉は、人族の長い歴史の中で失われた秘宝のひとつ。
遠く離れた者同士の言葉を、法力によって送る神秘の宝珠である。
伝心玉を持つ者は、限られる。
今、フェリユへと言葉を送ってきた女性は自身の伝心玉を持たないために、聖四家のひとつ、ルアーダ家の当主であるマリアの伝心玉を利用しているのだろう。
フェリユはすぐに事情を察する。
そして、表情を曇らせた。
よくない知らせだ。
問題がないのであれば、伝心玉の所有者であるマリアが直接にフェリユへ言葉を送るはず。
それなのに、別の者が言葉を送ってきた。
『それが……』
伝心玉の先から、非常に言い辛そうな気配が伝わってくる。それでも、声の主は言葉を続けた。
『マリア様が、法力を……』
「暴走させている?」
『……はい。今はまだ、ご自身で押さえておいでですが』
「そっちの魔物は?」
『既にマリア様が仕留められています。ですが、その余波で……』
「わかった、すぐにそっちへ向かうね!」
かつて、奇跡と遜色のない神秘で魔将軍と魔族の大軍を撃退したマリア。しかし、後遺症とも呼ぶべき症状が残った。
それは、大きな代償。
あまりにも過剰な法力を示したマリアは、
今はまだ良い。マリア自身が、暴走しそうになる法力を押さえ込んでいる。だが、
そうしなければ……
「聖女は、必ず
呪いにも似た言い伝えがフェリユの頭を過ぎる。
フェリユは「そんなことあるもんか!」と伝承を強く否定すると、
「ラティーナ、ごめん。中層部に現れた漆黒の魔物の方へ向かったマリアが、ちょっと大変みたい。あたし、そっちに行ってくるね?」
「はい。こちらはお任せくださいませ」
ラティーナは柔らかく微笑むと、フェリユを見送る。
フェリユは二つ名に恥じぬ速さで法術「星渡り」を発動すると、瞬く間に戦場を離れた。
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