第11話

   五


「あたな様は類稀なる好機に恵まれたのでございます」

「はあ、さようで」

 源三郎は適当に相づちを打って、さてどこで話を打ち切ったものか、と思案していた。

 場所は江戸郊外にある大店の寮を思わせる屋敷だ。

 ただ、対面しているのは商人ではなく、新興宗門の宗主という人間だった。家臣になりたいというため呼ばれてやってきたのだが、さすがに彼を家臣にするわけにはいかない。宗門の宗主を召抱えるとなると寺社奉行ににらまれる可能性がある。そうでなくとも、目付の目は旗本に対して光っているのだから奉行にまで警戒されたのではたまらない。

 そんなことより、

『貴殿らを頼りにしようと存念したのは、我らが手の者を赤の他人にもかかわらず助けていただいたと聞き及んでいたからでございます』

 という公辺内分守り部の仕事を依頼に来た老爺の落胆の表情が脳裏にはあった。

 あの女人が自分たちのことをつたえた、ということは少なくともそれまでは息があったということだ。無事にもどったと考えないのは、源三郎がこれまで経験していたことに照らし合わせると楽観はできない。

 依頼を受けていれば今ごろ、公辺内分を守るために奔走していたはずだ。

 それが詐欺師紛いか、頭のおかしい男の相手を自分はここでしている。さすがに不毛に思えておのれの務めに源三郎は疑問をおぼえた。

「ゆえに、我を家臣として召抱えていただければ神の御利益が」

「もうしわけないが、できかねる」

 門徒が見れば慈愛に満ちた笑みに見えるであろう、胡散臭さのただよう笑みを真っ向から見返す源三郎は淡々と告げる。ここで自分が畳み掛けると角が立ちすぎる、源三郎は脇の兼次郎と市兵衛に視線を送った。

「岩松家は由緒ある一族、懇意にする寺社との付き合いは乱世以前にまでさかのぼる。これを蔑ろにすれば罰(ばち)が当たろう」

「寺社奉行ににらまれる真似をして、岩松家の家名に傷をつける真似もいたしかねる、そこのところは汲んでいただきたいな」

 兼次郎が実直に、市兵衛がやや砕けながらも威圧を込めて告げる。なんなら、寺社奉行に訴えるぞ、という気配すら匂わせた。

「家中の士には手の早い者もおるゆえ、ここは穏便に収めていただきたい」

 あきらかに目つきを鋭くする宗主に、源三郎はおだやかな口調で脅迫を加えた。ただし、そこに彼自身の感情はない。

 こういうふうに、岩松家の悪用を試みる者もいるためいい加減、こういったやり取りになれていた。

 やくざの一家の喜兵衛とて悪用はしているだろうが、そこはそれ岩松家の仇(あだ)となるかどうかだ。新しい宗門の宗主を家臣とした場合、門徒がどのような行動に出るか予測がつかない部分がある、そこが危ぶまれた。

 それから源三郎たちは屋敷を後にする。脅し文句が利いたのか、帰りに闇討ちに遭うというようなことはなかった。無駄足だったが、まあ幸いだったと思うべきだろう。

「いやあ、生き別れた親父があんなことをやっていたなんて思いもよらなかったぜ」

「お前は天涯孤独の身だろうが」

 安心感からかまたも大嘘をつく市兵衛に源三郎は笑いながら応じる。

「じゃあ」

「仮に親がいたとしても、そうそうまともでない生業をしてたまるか」

 市兵衛のせりふをさえぎり兼次郎が顔をしかめた。

「お、俺がまともじゃないだと?」

「そうだ」

「それは、岩松家の家来をしているっていうのはまともじゃないってことか?」

 兼次郎がうなずいたとたん、市兵衛は勝ち誇った表情を浮かべる。

「ひどいな、仁。岩松家家中をさように思っておったとは」

 つい釣られて源三郎も市兵衛の意地悪に乗ってしまった。

「も、もうしわけありませぬ、こうなれば腹を切ってお詫びを」「するな」

 顔色を変える兼次郎の頭を源三郎の手刀がとらえる。

 源三郎から見て、兼次郎という人間は“主家のため”という存在意義を体現したような人間だ。一二〇石とはいえ新田源氏に最も近き貴き血筋、ために公儀から家中に半ば強制的に送り込まれたのが兼次郎の先祖だ。

 しかし、時を経るなかで将軍も公儀もその事実を忘れてしまい、兼次郎の一族もまた将軍家への忠誠心よりも岩松家への忠義の心を篤くしてしまっていた。

 ために、薄給にもかかわらず彼らは数少ない純粋な家臣として岩松家に仕えている。

 仕えるほどの価値が岩松にあのか――とは源三郎は思わなくもないが。“先祖代々”というのはまるで呪いのようだ。

「冗談でいちいち死んでいたらきりがないだろう」

「冗、談」

 こちらの言葉を聞いて、重要な部分を兼次郎はくり返した。次の瞬間、その表情が不動明王のごとく憤怒にゆがんだ。

「岩松家の家名を冗談の種にするなど言語道断、そこに直れ下郎ども」

 腰間の差料に手をかけ兼次郎が本気の表情でこちらをにらむ。

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