第9話
四
即席の賭場が部屋にできあがっていた。場所は、源三郎の居候先だ。
「旦那、興が乗らねえようでござんすね」
消えては姿を現す賽子に視線をそそいでいるようでその実、物思いに沈んでいた源三郎は傍らの浪人の言葉で我に返る。
「旦那と俺は、ちょっと外れるぜ」
と浪人は周囲のやくざ者たちに告げた。それに異論を唱える者はいない。そんな性格ではないが、その気になれば親分の用心棒であるこの渋江巳之助がその気になればこの場にいる全員が無惨にも斬り殺されることを理解しているのだから当然だ。
「存じてあげてますよ旦那、女子のことでござんしょう? 見やしたよこのあいだ、見ず知らずの相手といっしょにおりやすのを」
巳之助はやくざ者に囲まれるなかですっかり板についてしまった伝法に過ぎる口調で言葉を継いだ。巳之助の剽軽な物言いに一瞬、源三郎は脈を早める。が、すぐに巳之助の習性ともいっていい“嘘八百を並べ立てる”性(さが)が働いただけだと思い直した。
「おや、意外。まさかに旦那が女子のことで思い悩まれておりなされたとは」
「乙さんがが思い描いているようなものとは違うさ」
聞きようよっては失礼な発言にも源三郎は別段腹を立てることなく微苦笑で応じる。
そこにひとり、顔をやや青くした人物が姿を現した。
「親分、どうです調子は?」
「どうしたもこうしたもあるか、孫の野郎との手打ちのことを考えるともう駄目なんだよ」
巳之助の聞いた“調子”というのは腹の具合のことだ。
ここの一家の親分、喜兵衛は緊張すると腹を下すたちなのだった。孫の野郎というのは、縄張りのことでここのところ揉めていたやくざ親分、孫左衛門で彼との手打ちが近々おこなわれるのだ。
ちなみに、こんな連中と源三郎がなぜいっしょにいるかというと喜兵衛は岩松家に冥加金を払っている“家臣”なのである。
「巳之助、市兵衛のやつのことに行かせた者(もん)はまだ帰ってきやがらねえのか」
「市の家秘伝の丸薬は効きやすからねえ、ただ残念ながら帰ってきてやせん」
市兵衛の問いかけに巳之助は面白がるような顔つきで首を横にふった。
とたん、
「てめえら、出入りだこの野郎」
怒声とともに廊下に面した障子が開け放たれる。
一瞬にして一家の者たちの表情が変わった。手打ちが近いこともあって心構えはできていたのだろう、早くも多くの者が懐の短刀に手をのばしている。
そんな彼らを町人態の男が鋭く一瞥した。刹那、相好を崩して聞いた。
「どうだ、格好よかったか?」
「ふざけんじゃねえ、手打ちが近いって時分に冗談にもならねえこと」
を、といいかけて相手、市兵衛に応じた喜兵衛が表情をこわばらせる。強い“刺激”のせいでふたたび便意をもよおしたのだ。
「難儀してんな、親分。ほれ」
市兵衛が懐紙の包みを親分に渡す。それを喜兵衛は引っ手繰るように受け取って早足だが小刻みというなさけない足取りで部屋から出て行った。
「あいつも難儀な性分だよなあ」
市兵衛が苦笑いを浮かべて周囲を見回す。だが、豪農の倅で同じく岩松家の家臣である市兵衛はともかく、一家の者がそんなせりふに同意できるはずもなく気まずい表情で視線をそらした。
市兵衛は反応がないことに肩をそびやかし源三郎の近くに来て腰をおろす。
「なんか、面白い話はないか」
「実は、源三郎の旦那が女子に岡惚れしたようで」
無茶な問いかけにさらりと、これまた先ほど否定したばかりの話をさも真実のように巳之助が説いた。
「おお、ついにか。よし、赤飯を炊け。宴を開くぞ、ついでに神主も呼んで祝詞もあげさせろ」
「おれが女子に惚れた事実はないし、そうだとしても炊くな、開くな、祝詞もあげるな」
一体なんの祝いだ、と源三郎は半眼でにらむが市兵衛は一向に意に介すようすはない。
「つまらんぞ、それは」
「おまえを面白がらせるためにおれは生きてるわけじゃない」
市兵衛と源三郎の関係は家臣のなかでも特異だ。
源三郎が百姓の倅として生きていたころに同じ村の子どもとして親しく交流していた幼なじみだ。
ために遠慮という概念を寸毫さえもつむりのなかに残していない。
「だったら、なんで生きてるんだ、おまえは?」
市兵衛は笑顔だがちょっと挑戦するような目つきでたずねた。
なぜ生きている――そう真正面から問われると、源三郎は答えるべき言葉を持っていない。
刀は斬るために存在する。なぜ、斬るのかと大刀(たち)が問われることはない。
それと同じで源三郎はどうして生きているかなど考えていなかった。
「それじゃあ、本当につまらんぞ」
そんな源三郎に同情するような顔をして市兵衛は言葉をかさねる。
と、そこへ、
「源三郎の旦那、お屋敷の者(もん)が参ってますぜ」
とやくざ者のひとりが現れて告げた。
それで市兵衛とのやり取りは中断される。屋敷の者が来る、というのは源三郎には特別な意味があるためだ。
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