第7話
「綱吉公の治世でなくてよかったな」「さようなことを申されている場合か」
素直の気持ちとして軽口を叩く源三郎に、兼次郎が叱声を浴びせる。
並行して、源三郎は天水桶の陰を角度を区切るようにして表に向かって移動していた。不意打ちを防ぐための措置だ。おかげで向こうに隠れてた敵のつま先が視界に入る。刹那、指先に向かって刺突を送っていた。
悲鳴とともに体勢を崩して上体をこちらにさらした相手に源三郎は一閃を浴びせた。
意識を失って倒れる相手、しかし命は失っていない。直前で鋒(みね)を返していたため、「斬られた」と思った相手が勝手に気絶したのだ。これこそが真の鋒打ちだ。
と、背後のほうから剣戟の音がひびく。肩越しに見やると、兼次郎が相打ちとなった相手に体当たりを喰らわせていた。きちんと体重の乗った一撃は敵を三間ほど吹き飛ばす威力がある、後続の者がたまたらず巻き込まれる。
道か、あるいは細作なら屋根をまわって前後をはさんだか――源三郎はしずかに思考をめぐらせた。が、体はその間(かん)にも動いている。
小手を狙ってくる相手、上体をわずかに引いて一撃を躱した。刹那、敵は後ろに退がる。が、糸で引かれるように源三郎は前へ出た。体勢を立て直しきる前に一閃を送る。これも直前で鋒を返した。あまり殺しすぎて遺恨を残してもつまらない。
背後でも兼次郎が相手を圧倒している気配があった。
事態を打開しようと頭上からこちらを狙う気配があるが、そちらを警戒する気配を時折源三郎が見せるために叶わない。
この裏路地という場所のせいで人数が生かせず敵は苦戦する羽目となっていた。これは軍法にしたがって源三郎が行動している賜物だ。
そんな彼の前に一際強烈な剣気を放つ覆面の男が進み出てくる。
「うぬにたずねたき儀がある」「なんだ?」
もったいぶらずに応じる源三郎に相手はやや肩透しを食らった気配を見せた。
「うぬと“女”のかかわりはなんだ?」
「行きずり、ただそれだけだ」
源三郎の返答を確かめるように覆面のあいだからふたつの眼(まなこ)がこちらを凝視する。
「その証左は?」「証左、ふむ。証左か」
しばし思案し、源三郎は片手を柄からはなしてゆっくりと懐に手をのばした。
相手は警戒するそぶりを見せるが構わず彼はそれを取り出す。
「なんのつもりだ?」「家紋を見てみよ」
気負いのない動作で投げた印籠を、相手はとっさに受け取らなかった。なにも異常がないのを確認した上で拾いあげ、
「こ、これは」
と戦慄の声をもらす。
「新田源氏にもっとも近き一族のひとつ、岩松家の者が下賎な忍びなどとかかわりを持つはずがなかろう」
それにかぶせるように源三郎はいたずらっぽい声で告げた。
岩松家それ自体に力はない。が、岩松家はいわば徳川家の本家、軽々しく弓を引く道を選ぶことは徳川家に楯突くことを意味しかねなかった。
「止めだ、剣を引け。退(ひ)くぞ」
印籠をこちらに投げ返しながら覆面は声を張り上げる。
それに応じ、負傷した者などを担ぐなどしてまたたく間に覆面衆はその場から姿を消していった。まるで影だ、元からそこにいなかったかのように痕跡を消してみせる。
「若、もう二度と夜に出歩くことは止めましょうぞ」
「なにをいう、腕が鈍らずに済むだろう。おぬしも武士なら常在戦場の心を忘れるな」
ふり返って意地の悪い笑みを浮かべる源三郎に、兼次郎は口を“へ”の字に曲げる。普段から血筋に恥じないふるまいを、と求めている身だ、ために道理を持ち出されると弱い。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます