第4話

   二


 深更、源三郎は家紋の入った提灯をかかげる兼次郎に先導されながら町家を歩いていた。

 御隠居の書を売るのに商人たちに付き合って酒を過ごしたせいで足もとがおぼつかなくなっている。

 別に酒が好きでもないが、やはり量を呑むと自然と陽気になるものだ。

「聞いておられますか、若。新田源氏に連なる者が金策に汲々とするなどなさけないと思われませぬか。武士たるもの、名こそ尊ぶべしと古来から決まっておるのです」

 おかげで延々とつづく兼次郎の小言も耳の穴に油を塗ったかのように勢いよく言葉が右から左に素通りする。が、そんな源三郎の気分を冷ます出来事が起こる。足もとに絶妙に柔らかい感触をおぼえた。

「若、そこに犬の糞が」

 それから反拍送れて兼次郎の声が届く。

 仁のやつ、気づきながらわざと注意を遅らせたな――思わず立ち止まった源三郎に合わせて足を止めこちらをふり返る兼次郎お口もとが心なしか笑っていた。ふだんやり込められていることの意趣返しだろう。

 源三郎という人間の最大の特徴はなにか、と聞かれれば彼自身も含めて源三郎を知る者はこう答えるだろう。

『運が悪いこと、だ』と。

「若は一日歩けば一度は犬の糞を踏みますな」

「えい」

「わっ、汚い」

 犬の糞のついた草履を飛ばす源三郎に対し信じられないという顔で兼次郎は身を避けた。

「なにをなさいます、若」

「不忠者の家臣を懲らしめてやろうとしたのだ」

 声を尖らせる兼次郎に源三郎は笑ってこたえる。

「なにを仰られまする、それがしほどの忠義者はおりませぬぞ」

「おのれでいうか、それを」

 兼次郎の抗議を笑いながら源三郎は片足で跳ねて草履のもとに近づいていった。足を滑りこませ地面にこすりつけてなるだけ糞を取りのぞく。

「御血筋に背くような所業をなさっているから、運に見放されるのではございませぬか」

「ほう、糞を踏むのは神罰か?」

「そうやもしれぬ、という話です」

「であれば、余人に命を奪われる者はさぞ重い罪を犯しているのであろうな」

「むろん、さよ」

 う、といいかけて、兼次郎は口を閉ざした。

 源三郎が誰のことを話題にしているか気づいたのだろう。不謹慎だ、という念と悲しげな思いの入り混じった表情が兼次郎の顔にひらめいた。

「あまり真面目に生きたところで損だぞ。ある日突然、殺されることもあるからな」

 酒を過ごしたせいか口がさらに言葉をつむいだ。

 ふたりのあいだに重苦しい言葉が流れかけたその瞬間、なにやら荒々しい物音が聞えてくる。

 どうやら、足音のようだ。それも幾人かの人間が一度に駆けているようだった。

 しかも近づいてきていた。源三郎と兼次郎は思わず視線を交わす。「またですか、若」と兼次郎の顔には非難の色がありありと浮かんでいた。

 以前にも夜道を歩いていたところ似たようなことがあり、盗人同士の内輪もめに巻き込まれるという珍事があったのだ。それもこういった出来事は一度や二度ではない。ために、兼次郎は夜に源三郎とともに道を歩きたがらない。これも源次郎の不運のもたらす災いなのだろう。

 が、逃げる前に足音のほうが距離をちぢめ終えた。夜の闇の向こうから女中を思わせる女性(にょしょう)と覆面の武士らしき男たちが現れたのだ。

 助けを求められるか、と思いきや女性はそのまま脇をすり抜けようとする。だが、男たちから風を切る音がして彼女の足もとをかすめた。それに合わせて女性の口から苦悶の声がもれ姿勢が崩れる。

 とっさに兼次郎が彼女を抱きとめた。重なった人影に向かって追跡してきた男のひとりから銀光が走る。

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