第2話

「なになに、わが主家のためならばこの新田屋、火の中水の中でございます」

 源三郎の言葉に大黒天を思わせる福々しい風貌の中年男が大仰にこたえる。

 言葉面こそ岩松家を尊んでいるが、新田屋がそれこそ茶器などを集めるのと同じ感覚で岩松家家臣となったことを源三郎は察していた。

 なれど、それで構わない――別段、侮られていることに怒りはおぼえない。

 俺は器――器は中身を取り換えられる。使い方も持ち主次第だ。食べ物を盛ることもできれば、なんなれば花を活けることだってできる。

 だから、百姓の養子から転じ“岩松家家臣”という中身を入れられているいま、源三郎はただその役割を忠実に果たすだけだ。だから、恥などみじんも感じない。

「まことに、今日は足をお運びいただきありありがとうございます」

 新田屋が紙捻りにつつんだ心づけを渡してくるのも平然と受け取る。それを後ろの兼次郎が忸怩たる顔で見守っているのは知っているが、

 まあ、それに耐えるのも岩松家家中の士の仕事だ――。

 と放っておいていた。

 兼次郎は「岩松家の血筋の自覚を」と頻りにいうが、そんなことをいわれても困るというのが本当のところだ。

 確かに源三郎は現当主、岩松富純と父を同じくしている。しかし女は父、富純が過ちを犯し手を出した百姓の妻女だ。ために源三郎は正室の嫉妬を避けるために百姓の倅として育てられたのだ。

 正室が亡くなってのちは岩松家に引き取られていたが、母の血のせいで形の上では家臣ということになった。その上、正室の生んだ男子がふたりいたために、源三郎の存在価値はほとんどなかった。

 これで、俺は岩松家の血を引く者だ、などと威張れるのは、

 痴れ者だけだろう――。

 というのが源三郎の偽らざる思いだ。

 新田屋の歓待を受けることしばし、そろそろ小料理屋に向かうという刻限になり源三郎たちは表に出る。

 と、そこで源三郎は往来の一点に目を止め思わず息を詰めた。

 あれは、という言葉が心のうちで自然ともれている。

 仁志郎さん――視線を刹那の間、据えた相手の名を胸のうちでつぶやく。角を曲がってすぐに相手は消えたために確信は持てないが見知った顔を見たように思えた。

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