第4話 百音召喚
呼吸を忘れさせるほど見事な、この祭りの主役。
しかしまだ500。半分。次は――
「
「お日様昇ったら虫が出るゆうんかな」
ぶん、と羽音と共に数十の甲虫が出現した。
先ほどの花は異なり不規則な配置で、それがまた不規則に飛び始める。
狙いをつけにくい。
「噛みつ――!」
人の頭ほどの甲虫がレアの後ろから迫るのを見てルトゥランが悲鳴を上げる。
レアは振り向きもせずに横に転がり、五色の指輪をはめた左手をかざした。
自分の首元に噛みつこうと空振りした金色の甲虫に――
「金は炎、銀色には氷を――」
色の違いで弱点が違う。
ユクシールが言葉にしかけたが、途中で言葉を失った。
レアの薬指から放たれた水の魔法を見て、間違いだと。
「馬鹿な!」
先ほどの花の群れには正確に弱点を撃っていたレアが、金色の甲虫に対して水撃を放った。
明らかな間違い。
500を超えたと気が緩んだのか。疲れのせいなのか、あるいはただの知識不足?
「――」
水撃を飲み込むように吸った金色の甲虫が一瞬大きくなり、それから弾けた。
五つの銀の甲虫に。
「増やしよった!」
「は?」
続けて他の九匹の金色甲虫にも同じく水撃を放ち、それらも膨らんで分裂する。
最初からいた銀色の甲虫と合わせて、銀甲虫の数が百を超えた。
的の数を増やしたのか。
銀色の甲虫がレアを食らおうと飛びかかる。
軽やかなステップでそれを躱しながら、手にしていた花の杖を一周、二週と振り回す。
「天の肺腑、腹底の牢の円格子より渦巻け。
赤い花――使う魔法の属性で杖の花の色が変わる。赤く色付き炎の渦を吐いて銀色の甲虫を飲み込んでいった。
「まさかさらに……」
「弱点を攻める花の後でこんなん……意地の悪いやっちゃで」
直前の
ただ正しい魔法を使うのではなく、あえて正しくない魔法を当てることで的を増やす。
炎に飲まれた銀色の甲虫はその熱を吸い、二つの黒い甲虫に分裂した。
これで甲虫は当初の数倍に。
「
灰宝玉の杖が輪を描くと、宙に残った光輪から無数の光の矢が雨のように放たれ、黒い甲虫を打ち抜いていった。
755を超えた。
甲虫の羽音も消え、瞬間円形広間が静寂に包まれる。
「――――」
世界から音が消えた。
異様な静けさ。
「……」
ごくりと、息を呑んだのは誰だったのか。
オルテナ自身か。
おそらく無音は数秒程度だったはずだが、突然訪れた何もない間隙に寒気を覚える。
なんだ。
日が傾きかけた頃、騒がしかった世界から不意にぽつんと独りになったような。
――トン……
誰かが何かを落としたのかと思った。
――リン……
――ドン!
違う。
円形広場のあちこちから、何もないのに音がする。
「音当て?」
「冗談きついわ」
ルトゥランの小さな呟きを聞いて苦く呻く。
頭が痛い。
そう思うのはオルテナだけではあるまい。
「容赦ありませんね」
苦手としていないユクシールでも表情は厳しい。
音当て。
鳴る音に合わせた波の風魔法を当てなければ消えない遊び。
「目印無しで複数同時とは」
「こんなん意地悪や」
強い魔法が必要なものではないが、広場内のあちこちで鳴る透明の音に、正解の音を当てる必要がある。
終盤に差し掛かったところで毛色の違う高難易度の出題とは、生かすつもりのない極悪な最終卒業考査。
「――」
レアは目を閉じ、両手に杖を持って耳を澄ませていた。
――トン……リン♪ ドン! カン……
そういえば耳のいい子だった。
感覚が鋭敏なレアならば可能なのか。
「夜の陰を数え星の声を聴け。地蜘蛛は縫う透隙なき天網」
「知覚を広げましたか」
攻撃的な魔法ではなく、己の五感を開放する魔法だ。
肌と耳の感じ方が数倍に広がったはず。
「ふ」
一歩踏み出したかと思えば、次には目で追うのも遅れるほどに。
急変した。
「は!」
――ド、ドン!
続けて振った杖が空気を低く打ち鳴らした。
見えない的に低い音をぶつけると、何かが崩れる。
続けて、跳ねた。
――リィン! タン、タタトン♪
見えない的が見えているのか、両手の杖で続けざまに音を打ち鳴らし、砕いていく。
ひとつ大きく鳴らし、反動であっという間に円形広間の反対側に飛んだ。
その途中でも、
――テムテムドン、カン!
杖の先から強弱織り交ぜた風の魔法を放ち、次々に的を撃っていく。
と、空気が変わった。
的が殺気立つ。レアを敵と定めて襲い掛かる気配。
四方八方から、一斉に――
「なんでレア様にっ!?」
「これは……?」
数十、百の音がレアを叩き潰そうと集中した。
撃ち漏らせば失敗。
日常ならただの遊びにすぎない音当てが、凶悪な試練として牙をむく。
目を閉じたまま、レアはひたすら的を落としていくけれど。
「んっ」
足を止めたレアが小さく息を漏らし、彼女も雰囲気が変わった。
軽やかに舞っていた姿から、踏みとどまり門を守る強兵のごとく。
「はぁぁぁ!」
降り注ぐ見えない音を、両手の杖を嵐のごとく振り回し叩き払う。
凄まじい連打。連撃。
レアを潰そうと襲い掛かってくる音の壁を、太鼓を打ち鳴らすように。凄まじい速度で。
――ドドドドドガンカン!
――おおぉぉっ!
低い音と高い音が入り混じる中、観覧席の熱狂も上がっていく。
レアの邪魔になるのかと心配しないでもないが、当人はまるで耳に入っていないようだ。
音の雨の中、目を閉じて一心不乱に叩き続けるだけ。
カウンターが900に迫る。届く。
見ている者のボルテージが上がるのも仕方ない。オルテナでさえ声が止められなかった。
「ちゃうで!」
レアの耳に届くように声を上げた。
「レア! 祀り唄や!」
「召喚!?」
――リィィィン……
最後の音が砕けて響いた後、空が揺れた。
揺れたように見える空に、自然と皆の視線が集まる。
上空で波紋が広がるように、空が波打った。輪を広げて。
「異門が開きよる……」
魔法の音を重ねて歌として、最後の【的】として呼び出されたのは。
「天使……?」
「双面のルサリエルは百の天弓兵を従え悪竜ズメーウを撃つ」
穴から一斉に揃って出てきたのは、天の軍勢。
中央にひときわ大きな存在。顔前に布を垂らしている。神話のルサリエル。
後光を背負う白面のルサリエルに率いられた無貌の天弓兵。
百の天弓兵。
顔はまっさら。白い翼を有し、人とは逆に曲がる膝と獣の蹄はなんとも不気味な印象を抱かせる。
進み出た一体の天弓兵が、左手に持った弓に背中から抜いた羽根をつがえた。
レアを見下ろし、真っ直ぐに。
円形広場から見上げるレアに向けて天弓兵が羽根矢を放つ。
「はや――」
――ズガァァァァッ!!
轟音と土煙が、レアの立っていた場所に上がった。
たった一枚の羽根矢が大地をえぐり、爆散させる。岩でも大樹でも粉々にするほどの威力。
悪竜ズメーウの鱗を砕く神の力なのだとしても、強い。
「あ?」
矢を放った天弓兵の腹に向けて、羽根矢とすれ違いに光矢が突き刺さった。
突き刺さったはず。
「魔法防壁ですか」
「とびきり頑丈なやつやね」
届く手前で散ったレアの魔法。防壁を貫けない。
強烈な攻撃手段と強固な防壁を有する天弓兵たちが、一斉に羽根矢をつがえる。
「向こうさんの攻撃に合わせても防ぎよる。並みの魔法じゃびくともせん」
「最後は力比べ、ですか」
「空からの攻撃を避けながら全力で百。やれるん?」
「……」
円形広場の一角に小さなクレーターを作った一撃。それ以上の破壊力の魔法を。
ユクシールが小さく首を振った。
「20……相手が動かなければ30くらいまでなら」
「冷静な自己分析やね」
オルテナならどうだ。
万全な状態でなら、一か八かで成功させられるかもしれない。
しかしここまでの疲労を考えれば絶望的としか言えない。この試練ひとつだけで挑戦者を一蹴できてしまう。
――無理だ……
――あぁ、やっぱりこんなの……
――はっ! ははっ! 笑えるぜ。
観覧席から上がる諦めの声。
誰もが想像したのだろう。自分があの場に立っていたのなら。
逃げるのなら、できる者もいる。
戦うことも、ある程度までなら想像できる。
しかしこれは【的当て】。全ての的を射貫かなければならない。
非常に強固な魔法防壁で守られた天弓兵を、一撃必殺の羽根矢の雨を浴びせられながら。
誰もが絶望した。
無理だ。できっこない。クリアさせる気のない試験だと。
可能性があるとすれば――数名がオルテナの頭をよぎるが、レアの顔は浮かばない。
無理だ。
レアの力では届かない。単純に力が足りない。
機転と俊敏さで最終局面まで辿り着いたことは驚嘆に値するが、それもここまで――
「頑張って、レア様」
無魔法者のルトゥランの祈り。レアがこれを乗り切れば、ルトゥランはレアと離れ離れになるのに。それでも祈る。
彼女の祈りが、レアの耳に届いたのか。届いていないのか。
◆ ◇ ◆
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