33話 鹿ノ子のお手柄?

 差出人は高野先輩で、宛名は担当している作家さんの一人、百歌ももかさんだ。雑誌『リリン』に小説を連載しているほか、リリンWebの方ではお散歩エッセイを毎月書いてもらっている。

 今日の十四時にウェブ会議システムを使って打ち合わせ予定だったところを、高野先輩からリスケのメールを送っていた。そのメールには返信があり、打ち合わせの日時については解決している。

 だが、行をあけて、今回の散歩先について、取材申請の取り付け依頼が書かれている。Re;の続く件名のメールで、別の内容を添えられると気付けないということがある。

 取材先は、昭和レトロをたくさん集めた個人の資料館のようだった。


「これ、高野先輩気付いてないっぽいよね。返信無いし。ここって確か、毎日やって無いんじゃないかな」


 学生時代、行ってみたい、と友達と騒いだことがあるのだが、確か予定が合わなくて行けなかったのだった。

 軽く調べてみると、やはり件の資料館は木曜日と金曜日の十二時から十五時までしか開いていない。作家さんの希望する日は来週の火曜日で、取材申請以前にそもそも閉館日だ。

 来週の木曜か金曜に予定が合いていたとしても、今度は執筆スケジュールがきっとズレてくる。

 リリンWebの記事なので、雑誌と違って締切にある程度の融通は効くものの、急いで連絡するべきであることには変わらない。

 

 勝手なことと思いつつも、私は焦って返信を作成した。


「夜分遅くに申し訳ございません、と」

 

 開館日のこと。取材が来週の木曜か金曜になっても大丈夫かということ。

 それとも、今週の木曜日か金曜日にしてみるか。


 日付が変わって今日はもう水曜日だ。早朝と言っても良いくらいの時間帯とはいえ、ことは急を要する。

 メールを送信し、返信を三十分待つ。

 返信が来ないことを確認すると、私はやっと、立ち上がってシャワーを浴びに向かった。空が白み始めているであろうことが、カーテン越しに透ける光で分かった。


 *


 高野先輩は早退した日の翌日の木曜日を丸一日休みにして、金曜日には元気に出社してきた。全快しているな、というのは見るからに分かる。体から、ドッグランの犬みたいな、動きたくてたまらないオーラが放たれている。


「助かったよー鹿ノ子ちゃん!」


 自分のデスクに向かう前に、私のデスクに来て、先輩は言った。


「おかげで百歌ももかさんの側のスケジュール調整も、明日の取材申請も、全部間に合った! ほんとうにありがとう!」


 百歌さん、とはお散歩エッセイを連載している作家さんの名前だ。先輩と百歌さんとのやりとりは、CC.に入れてもらったメールでもちろん見ていた。

 風邪を引いておやすみを取っているなか、私の連絡を引き継いで、鮮やかにすべてをまとめたのだ。

 

「いえ、私も見落としていましたので。気付くのが遅くなってしまって先方には申し訳ないです」


「いやあ、ナイスアシスト! お手柄だったよ。ごめんねーカバーしてもらっちゃって」


「当たり前のことをしたまでですので!」

 

 高野先輩と私で、ぺこぺことお辞儀をしあっていると、後ろから、ぽん、とプラスチックの板のようなもので肩を叩かれる。振り向くと、クリップボードを手に持った葉山編集長が真顔で立っていた。

 美人の真顔というのは迫力があるもので、思わず即座に背筋を伸ばして向き直る。

 

「これ、上にまわしておいて。私のデスクの『済』のボックスに入っている書類はすぐにチェックしてしかるべきところに回すこと。教わってない?」


「教わってます。すみません!」


 バネ式の人形みたいにお辞儀をしてクリップボードを受け取る。すぐに踵を返してデスクに戻ろうとした葉山編集長が、二歩あるいたところで肩越しに振り向いた。


「自分でも言っていたけど、本当はもっと早くに気づけたはずです。今は仕事だけに集中しなさい」

 

 すべてを見透かす真っ黒い瞳で見つめられる。

 ことりさんの作品にかまけているつもりはないけれど、どちらにも全力以上であたらないといけない。

 今回のことで、心のはちまきを締め直す気持ちになった私は、去っていく編集長の背中に向かって深くお辞儀をした。


「ご指導、ありがとうございます!」


「声が大きいわよ」


 デスクの椅子を引きながら編集長がそう返したものだから、部内のあちらこちらから、忍び笑いの気配がした。

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