第11話 私だけが分かっていても
「うう、うう~、そうかあ~、そうですか~、辛い、辛いですよ、これは」
電話の向こうで田原小鳩が悶絶しはじめてしまった。
時々、ズビ、という鼻音が混じる。泣いているのは確定だ。
私はもしかして、ものすごく残酷で余計なおせっかいを働いてしまったのではないだろうか。
田原小鳩はいつか自然に投稿に飽きて、自分が編集部内でセクハラ扱いされていたことも知らないで済んだはずなのに。
でも、田原小鳩は出すべき場所に出せるだけの作品を作っているのだ。
それを教えないのは、もったいないじゃないか。それともそれも、私のつまらないエゴなのだろうか。
「……
「それが目的じゃなくて、」
「良いんです。もう聞きたくない。……ああもうこんな時間だ、お客さんとの約束があるので、もう切ります」
死にそうな声が聞こえてきて、私はいよいよ罪悪感にかられてしまった。
このまま運転したら事故るんじゃないかと心配になってしまう。
「田原さん、もうちょっと落ち着かれてから運転したほうが良いんじゃないですか?」
「もうあなたの声を聞いてるだけでキツイんですよ。もう話すことはありません」
「待って! 切らないで下さい! 巌流島先生!」
田原小鳩が電話を切ろうとする気配を察知して、私は思わず彼を筆名で呼んだ。
「っ! やめて下さいよ! 先生でもなんでもないし、そもそもその名前すらリリン内でいじってたはずだ。絶対そうだ」
「作品の感想をお伝えするのに、筆名でお呼びしないわけにいかないでしょう! 良かったんです。作品から本気が伝わってきました。内容は私には合わない所もありましたけど、でもいい作品だってことは分かるんです」
電話を切られないうちに、と一息に言い切る。
受話器の向こうから返答はなく、カーラジオの音が小さく響いていた。それから、田原小鳩のため息の音が入る。炭酸飲料のペットボトルのキャップを開ける際の、ブシュッとした音がする。それから喉を鳴らして飲み干して、空のペットボトルを潰す、苛立った音。
「少なくとも、私は読んだんです」
気まずい間に耐えきれなくて、鳴り続ける様々な音の合間に言葉を挟んだ。
また、ため息が返ってくる。
顔が見えないというのに、想像のなかの三十七歳男性、田原小鳩が重そうに唇を開くのが見えるような気がした。
「あなたに読んでもらったところで、何になるんですか?」
時が止まった気がした。
田原小鳩に図星をつかれて、私は次の言葉を見つけられなかった。
「でも、でも、私は、読んでそう思ったってことを、伝えたくて」
「伝えて、何? 僕の名前は、セクハラ野郎としてもうリリン内で有名なんですよね? 今日配属されたばかりのあなたが、何か僕の名誉の回復に繋がるようなことが出来るんですか? 出来ないですよね。この電話だって、勝手にかけてきたんでしょう。まともな社会人のやることじゃありませんよ」
田原小鳩の言葉がどんどんと厳しいものになっていく。
私は、受話器を握る手が汗でびっしょりと湿っていくのを感じていた。
言葉につまる私に、追い打ちのように田原小鳩が言葉を重ねた。
「あなただけが分かっていても、どうしようもないんです」
「ま、待っ……」
弁解の言葉をどうにかして伝えようとしたところで、通話は一方的に切られる。
ツー、ツー、という音が、虚しく受話器から流れていた。
「始めての電話応対、おつかれさま」
冷たい手が肩に置かれた。
声と手で、高野先輩ではないことが分かる。
この声は……。
「葉山編集部長!」
「応募者に勝手にコンタクトを?」
葉山編集部長の声はあくまでフラットで、怒りも、呆れも、何の感情も読ませてくれなかった。
「すみません! 勝手なことをしてしまいました!」
跳ねるように立ち上がって、私よりもおでこ一つぶん背の高い葉山編集部長を見上げて言った。
いつから、通話を聞かれていたのは分からない。
でも応募者にコンタクトを取っている、と把握しているということは、その相手が田原小鳩であることも覚られているだろう。
じいっと、私の目を覗き込んで、彼女は何事か考え込んでいる。
私は目をそらすことも出来ず、蛇ににらまれたカエルの気分で固まっていた。
ふと、葉山編集部長の口元が緩んだ。
「お話があるのでデスクに来てください。トレーナーと一緒にね。……高野さん! 高野さんちょっと来れる!?」
「ふえ?」
急に呼びつけられた高野先輩は、間の抜けた声を出してチーカマをデスクに取り落とした。
またタンパク質を
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