第10話 小鳩さん、天然ですか?
「何を言ってるんですか? 少女小説というのは日本に限って言っても明治時代には存在していた、歴史のあるジャンルですよ? なめてるんですか? あ? 少女小説の歴史はウーマンリブの歴史ですよ?」
つい柄が悪くなってしまう。
少女小説の地位に関しては
電話の向こうの田原小鳩は、分かりやすく焦った様子で弁解をしてきた。
「違うんです、お、お、落ち着いて下さい。僕は本当に、知らないんですよ。本も親父の本棚にあった本と、教科書くらいしか読んだことなくて。見様見真似で小説っぽいものを書いてみているだけなので。しょ、小説ってそんなに、種類があるものなんですか?」
「あるに決まってるじゃないですか。え、 そうなると、リリンの賞はどこで知ったんですか?」
「ウェブです」
田原小鳩はあっさりと言った。
「リリンのウェブサイトをご覧になったことがあれば、え、えっち、な小説が、載っていないことは分かるはずですけど?」
「いや、公募情報を集めたサイトから直接、応募要項のページに飛んでるので。ジャンル不問で短編っていうのが良くて、年に三回短編賞があるっていうのも、僕のペースにちょうど合っていて。それだけなんです」
私はしばし絶句してしまった。
文字数と、募集回数と、ジャンル不問という文言だけを見て応募してきたという事実を処理しきれなかったのだ。
そんな勘違いのまま、五年もの間のほほんと送り続け、落ち続けていた? 田原小鳩って、もしかしてものすごく抜けているのでは?
「……あ! あと父親の本棚にもリリン文庫があったから、なんとなくその名前を覚えていたのもあるかな。って、
「あ、いえ、ちょっと驚いてしまって。お父様、リリン文庫を読んでくださっていたんですね。私は『海のまち』シリーズが好きなんですけど、知ってます?」
「それは知らないんですけど、海だと、『邪淫真珠泥棒~海女さんのあわび貝~』っていうのは記憶にありますね」
「それは絶対リリン文庫じゃないですね!!」
ここが職場であることを忘れて、つい大声でツッコミを入れてしまった。
顔を上げると、斜め向かいの席の女性と目が合った。
へら、と笑ってごまかすと、受話器を手でおさえて小声で話を続ける。
「田原さん、お父様の所蔵されている本、リリンではないと思いますよ」
「そうなんですかね、黒背表紙にリリンって有った気がするんですけど。あ、義妹陵辱ものなんかも揃ってましたね」
「そこまで聞いてないですっ。それにリリン文庫は、若草物語の初翻訳時からずーーーっとエメラルドグリーンのかわいい表紙ですっ」
「おかしいなあ、覚え違いか。でも僕の家、本って言ったら父親のそれしか無かったですよ」
本当に分からない、という声の調子で返答がかえってくる。受話器の向こうで田原小鳩が首をひねっているのが、目に見えるようだ。
とにかく田原小鳩が、わざとセクハラしているわけではないことは、これまでの会話で十分すぎるくらい分かった。とびきりの天然疑惑も同時に浮上したが。
そうなると、これ以上、田原小鳩に踏み込んだことを聞く意味がない。
「田原さん、色々聞いてしまってすみませんでした。本来は、こちらからお伝えしたい要件だけ、お話しするべきでした。でも、田原さんがどうしてえっちな小説を弊社に送り続けているのか、お聞きする必要があったんです」
「えっちな小説、という意味が良く分からないのですが、教科書に載せる以外の小説ってみんな僕が書いているみたいなものじゃないですか」
「そんなわけあるか! ……失礼。そんなわけはありませんよ。でも分かりました。田原さんは、環境由来、かつ、ものすごく天然です。だから、リリンにわざとえっちな小説を送り続けていたわけではないということですね。セクハラ目的というのは誤解だったわけですね」
少し変な間があった。
次に田原小鳩が話し始めたとき、声が揺れていた。
「い、いま、セクハラって言いました? 僕、セクハラ目的だと思われているんですか」
「はい、リリン編集部ではそのように思われていて、三年前から田原さんの原稿は全て目を通さずに破棄されています。私は本日付で配属だったのですが、はじめに田原さんの原稿は読まないでよいと教わるくらいには、ブラックリストを通り越した存在です」
「三年前……で、でも、僕、本当にそんなつもりは無かったんです。編集部内で、そこまで迷惑だと思われていたんですね。しかもセクハラだと……え、辛い。泣いていいですか」
そう言いながら、すでに田原小鳩の声は涙声に変わりかけていた。
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