第9話 田原小鳩との電話

 気づけば、えっちな小説を読んでいる時の、動悸・息切れ・めまい・冷や汗等々の諸症状は消えていた。

 これはセクハラ目的なんかで書けるものじゃない。

 作者が自分と向き合って選んだテーマであり、読者の呼吸を想像して構成された物語だ。真面目に作られた作品だ。

 田原小鳩……いや、巌流島喜鶴がんりゅうじまきかくは、大仰な響きのペンネーム通りに本気の本気でこれを書いているのだ。ガチなのだ。

 なにかの間違いでリリンに送り続けているに違いない。

 確信した私は、表紙にある田原小鳩の連絡先電話番号を見つめる。どういうつもりなのか、聞いてみたい。送り先を勘違いしているのだとしたら、教えてあげないといけない。リリンに送ってシュレッダーにかけられ続けるのは、もったいない。

 

 田原小鳩に連絡をする。

 そう決意を固めた私は、勢いをつけて椅子から立ち上がった。

 早足で高野先輩のデスクにいく。こっそりプロテインバーを齧っていた高野先輩が、バーを引き出しにしまうのを待たずに声をかけた。

 

「電話応対、教えて下さい! 受信もですけど、こちらからのかけ方も!」


 お時間よろしいでしょうか? の前置きも忘れて突撃してきた私に、高野先輩は驚いた顔はしていたけれど、快く引き受けてくれた。

 私のデスクにわざわざ出向いてくれた先輩は、簡潔に応対の仕方を教えてくれた。


「ありがとうございました」


「いいってことよ」


 なぜか江戸っ子口調で答えた先輩は、立ち上がる際にデスクの上の応募原稿をちらりと見て、おかしな顔をした。

 まずい、原稿を置きっぱなしだった。


「あの、これは、えーと、一応目を通しておこうというだけのアレで……」

 

「鹿ノ子ちゃん、初日から色々覚えようとしてエライエライ! でも、頑張り過ぎないようにね。ま、失敗は成功の母ともいうから、やりたいようにやってもいいけど。何かあったら、すぐ先輩に頼るんだよ~」


 高野先輩はそう言うと、ひらひらと手を振って自分の席に戻っていった。

 田原小鳩の原稿を読んでいたことについて、何か言われるかと身構えていた私は、少しばかり拍子抜けした気分だ。

 先輩が席について、さっそくプロテインバーの続きに齧り付くところを見届けると、私は受話器を手に取る。

 大丈夫。ちょっと手に汗かいてるけど。指も震えているけど。

 震える指で、田原小鳩の携帯電話の番号にコールをする。

 



 長いコール音のあと、「はい田原です」という低い声が返ってくる。

 運転中にハンズフリーにでもしているのだろうか、雑音混じりの音質だけど、落ち着いた大人の声だということは分かった。


「恐れ入りますが……どちらさまでしょうか?」


 困惑した様子でたずね返されて、私はあわてて、高野先輩に教わったばかりの名乗りをする。

 

「お世話になっております。星の友社『リリン』編集部の奔馬ほんばと申します。いま、お時間よろしいでしょうか?」


「はい? リリン……? リ、リリン! リリンですか?」


「はい、リリンです。すこしお話がありまして。後ほどかけ直しましょうか?」


「え、いや、良いです! ちょっと車寄せるので! お待ちください!」


 カッチン、カッチン、とウィンカーを出した音がする。

 田原の声が明らかに浮かれていて、私はもしかしてひどいミスをしたのかもしれないと思った。

 応募先の出版社からの電話を、投稿者がどれだけ待ち望んでいるか、知っていたはずなのに。



 

 「おまたせしました! 車寄せて停めました!」

 

 田原小鳩の弾んだ声が返ってきたとき、私はどうやって真実を切り出すべきかと頭を抱えていた。

 どうして私は小説のこととなると変にフットワークが軽いんだ……。


「あのう、奔馬ほんばさん? 車停めましたよ。お話、うかがわせて下さい」


「あ、すみません! ええとですね、アレを拝読しました。除霊師三瀧みたきの姉妹ちょうぶ……のやつです」


「はい。徹底肛虐ですね」


 私が濁した部分をバッチリ発語されて、一瞬、やっぱりこいつセクハラ野郎なのでは? との思いがよぎる。


「それです。すみません、ちょっとわたくしの方ではタイトルが復唱出来ない事情がありまして」


「はあ」

 

 田原小鳩が気の抜けた返事をする。興奮している気配は無いので、セクハラ野郎かと一瞬疑ったことを心の中で謝罪する。ごめんなさい。

 

「ところで、田原さんは弊誌へいし『リリン』をご覧になったことはありますか?」


「あ、えっと、すみません、ありません……こういうの審査に影響があったりしますか? なんか、申し訳ないですけど、ウソはつけないので……」


「大丈夫です。というより、そのう、ご期待しているような内容の電話じゃないんです。『リリン』をご存知ないことは、田原さんの作品を拝読したときから予想はしておりました」


「ええと、話が見えないのですが」


 明らかに、受話器の向こうの声のトーンが沈んだ。

 うう、ごめんなさい。でも、伝えなければいけない。

 私は、出来るだけ言葉を選んで伝えた。

 田原さんが送っているのは少女向けの雑誌の賞であること。ジャンル不問と要項にあっても、少女向け作品を求めているということ。今後リリンに作品を送り続けても、読まれずに落選にされるだけだということ。

 田原さんは「はい。はい。え? ……はい」と、驚きと落胆の色をにじませながらも、表面上は落ち着いて聞いてくれていた。


「奔馬さん、一つ質問なのですが」


 説明が一段落したところで、田原小鳩がそう切り出した。


「僕が送った徹底肛虐が少女向けでないというのが、よく分からないのですが。そもそも、小説に少女向けというものがあるんですか?」


「はあ?!」


 あまりにもトボけた質問に、思わずそんな声が出た。

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