第12話 ひよっこの私
「個人情報の取り扱いについてのwebテストがありますから、
自分のデスクの椅子に座った葉山編集部長は、私の隣に立つ高野さんを見上げながら言った。
呼び出された私と高野先輩は、肩を縮めて並んで立っている。
ちらりと横目で先輩の様子をうかがうと、さほど困っていない顔をしながら、形だけ後ろ頭をかいていた。
「すみません、アタシの責任です。今日の午前までに片付けたい件があって……、ソルボンヌ三枝子先生の占いページの件です。それで、説明しなくても出来る仕事を任せようと思ってしまいまして」
「例の原稿について、奔馬さんが興味を示すとは思わなかった、と」
「そうですね、読まないで破棄していいとは伝えたんですけど、言い訳にはなりません。アタシの監督ミスです」
すっと背筋を伸ばして、先輩は堂々と言い切る。二人は目を合わせて、うなずき合った。
その様子を見て、私はどうにも口を挟まずにいられなくなってしまった。私がでしゃばれる場面ではないと思いつつも、我慢できなかったのだ。
「違うんです! ちゃんと、個人情報の取り扱いについて、注意は頂いていました。それに、私がこんな勝手なことをするなんて、先輩は予想できなかったと思、」
そこまで言いかけたところで、葉山編集部長が無言で手を差し出して制止した。
切れ長の目で見つめられて、思わず視線を下にそらす。赤いリップが寸分のはみ出しもなく塗られた完璧な唇が、言葉を探すように何度か閉じたり開いたりした。
「今朝の挨拶で、自分で言ったでしょう。あなたは右も左も分からない生まれたてのひよこみたいなもの。そんなあなたのトレーナーに高野さんを選んだのは私です。高野さんの状況と奔馬さんの性格、そういったものを全て総合して判断してのことだったけど、失敗だったみたい」
案に、何も分からないし責任も無い立場なのだから黙っていろ、と言われたようなものだった。
「でも……高野先輩に、落ち度はないんです……私が勝手すぎただけなので……」
「ではあなたの特性を把握していない私のミスですね。他に適任はいたかしら」
葉山編集部長はさらりとそう返し、編集部内を見渡してから、手元のPC画面に向き直った。
「木場さんはいま時短だし、相模原さんはデザイナーさんとのやりとりを引き継いだばかりか……」
全員のスケジュールを確認しているらしい。高野先輩はというと、私の方を見て苦笑いの表情を作って、口の動きだけで「ごめんね」と伝えてきた。
先輩は悪くないです、という気持ちを込めて頭を振る。先輩は少し考える顔をしてから、その場で肩の高さまで手をあげて挙手をした。
「編集部長! 今後は気をつけますので、アタシにトレーナーを続けさせてくださーい! まだ初日ですし、もうすこし様子を見ても良いんじゃないでしょうか!」
「それは私が判断することで、私の台詞です」
腕を組んで先輩を睨む編集部長は、迫力のあるバリキャリ美女という感じだ。でも高野先輩はまったくひるむことなく、挙手した手をひらひらとさせながら、笑顔で目を合わせ続けている。
しばしの硬直のあと、編集部長がため息をついた。
「……分かりました。次からは気をつけて下さいね。本当に、気をつけないとリリンを揺るがす事件に繋がりかねないことですから。奔馬さんが軽率に動かないように、ちゃんと監督すること」
「はーい!」
結局、ひよこに過ぎない私抜きで、私の教育についての結論が出たのだった。
*
「いやあ、どうするのかなあとは思ってたけど、鹿ノ子ちゃんマジで大胆だよね」
葉山編集部長からお叱りをうけてすぐ、私は高野先輩に誘われて休憩室に来ていた。
「すみませんでした。ところでその体勢は……?」
高野先輩は、両手両足を床にペタリとつけた状態で、頭を下にして腰を天井に突き出している。横から見ると、床を底辺とした三角形を作っているように見える。
「ヨガ知らない? ダウンドッグのポーズ。姿勢改善、むくみ解消、脳を休める。気持ちいいよ。やってみ?」
「いや、私はいいです……」
「まあ鹿ノ子ちゃんは、どっちかっていうといつでも脳に血がぎゅんぎゅん巡ってそうなタイプだから、やらなくていいか~。これやると頭に血がのぼるかんね」
立ち上がって、床についていた手をはらいながら先輩が言った。
そういう問題ではなくて、会社の休憩室でとるポーズではないんですけど……。
「ダウンドッグまではする必要ないけど、適度にストレッチとかして力抜くといいよ。見た感じ、鹿ノ子ちゃんは全身に力が入ってるし、性格も猪突猛進型でしょ。嫌いじゃないけどね、その度胸。ただ、ルールは守らんとね」
今度は腕を左右に広げて、背中をほぐしながら先輩が言う。
先輩の言葉はもっともで、私は恐縮するしかなかった。
「すみません、これからはもっと気をつけます」
「ほらまたかたくなってる。田原小鳩の原稿を真面目に読んで、自分で判断しようとした意気は悪くないよ。やり方だけ考えてくれたら良いんだから」
先輩がいつの間にか背後に立って私の腕をとっている。
腕が後ろに引かれて、背中のコリをほぐすストレッチの体勢になってしまった。
「うあー! 背中ミシミシします!」
「暴走しないためには、体も頭も柔らかく、ね! ま、おかげで、田原小鳩からの原稿に悩まされることは無くなりそうだけど」
そう言って先輩が、さらに私の腕を強くひいた。
*
三ヶ月後、私は短編賞の応募原稿を部内で読むための準備をしていた。
そして気がついたのだ。紙での応募にも、ウェブからの応募にも、田原小鳩の名前が無いことに。
もしかしなくても、私の電話のせいだろう。
高野先輩にそう伝えると、「お、じゃあお祝いにみんなでご飯でも行きますか」と手を叩いた。
でも私は、とてもそんな気分になれない。
先輩が部内メールを作成するのを見ながら、もう一度、田原小鳩にコンタクトを取りたいと考えていた。
ほかの送り先を見つけているのならいいけれど、もし断筆でもしていたらと思うと、落ち着かなかった。
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