第3話 えっちなものは苦手なんです!

 希望を持って入社した星の友社。の、さらに憧れの『リリン』編集部。優しそうだったり、厳しそうだったりは様々だけど、仕事の出来そうな部員の先輩方。トレーナーとしてついて下さった高野先輩も、いい人そうで安心していた。

 それなのに先輩が突然、丁重に扱わないといけないはずの応募原稿を、床に叩きつけた。

 

 ――この人が何か、高野さんを怒らせるような事をしたってこと? いち投稿者が、怒らせるほどの何を出来るっていうんだろう?


 床に叩きつけられた封筒を眺めて、数秒の間ぼうっとしてしまっていた。でも、立ち尽くしている場合じゃない。そう思い直した私は、『田原小鳩(筆名 巌流島喜鶴がんりゅうじまきかく)』と裏書きされた封筒を、他の封筒と一緒に持ってデスクに戻る。

 まだまっさらな、何も置かれていない自分のデスクに着席する。

 少しほこりっぽくなった封筒たちをデスクに積んで、田原小鳩の封筒だけを脇によける。

 その状態で私は、腕組みをして考えた。


 ――読まないでシュレッダーしていいって言われたけど、応募された原稿を読まないまま捨てるなんて、あったらダメだと思う。


 私の憧れた『リリン』編集部なら、なおのことだ。


 先輩の言葉には逆らうことになるけれど、私は心を決めて田原小鳩の封筒に手を伸ばした。

 封を開けて、そっと中身を覗き込む。

 黒い紐で綴じられた原稿が目に入る。他に怪しいものは入って無さそうだ。

 恐る恐る手を差し入れて、原稿を取り出す。

 これは年に三回の募集がある短編賞への応募作品なので、枚数は多くない。長編賞のときは、封筒の束も比べ物にならないくらい重くなって、大変なんだろうなあ。でもワクワクするなあ。

 なんて考えている場合ではなかった。田原小鳩の謎を解かなくては。

 原稿に意識を戻すと、応募規定通り、表紙が一枚ついている。表紙には応募者の情報と、タイトルと筆名。


 なるほど、田原小鳩は三十七歳男性らしい。少女小説とはいえ、書き手の年齢性別は意外に様々だ。だからこれは特別おかしくない。

 タイトルは……『除霊師三瀧みたきの姉妹調伏~徹底肛虐の夜~』。

 三瀧さんという姉妹が怪異を調伏ちょうぶくする的な?

 肛虐、は知らない単語だ。造語だろうか。幻想小説的な感じなのかな。

 そんな事を考えて表紙をめくり、本文の一枚目に目を通し始めて、即、表紙を戻した。


「え? いま、おかしな文字が見えた気がしたけど気のせいだよね?」


 思わず独り言が出る。

 向かいの席で電話を受けていた先輩が、ちら、とこちらを見た。

 作り笑顔で会釈をして、小さく咳をする。「ん、ん、」これでごまかせたかな?

 先輩の目線がそらされたところで、私も手元の原稿に視線を戻す。

 表紙にある『肛虐』……いや、んー、んー、虐の字が不穏な気がする。

 

 うすーく表紙をめくって、わざと焦点を合わせないようにして見る。

 嫌でも目に入る絶叫めいた台詞。これは……これは……。

 腕にぞわぞわぞわ……と鳥肌が広がっていくのが、感覚で分かる。

 それと同時に、私は叫び声を上げていた。

 

「うぎゃー!! え、えっちな! えっちな文章が書いてある!」

 

 反射的に、原稿を足元のゴミ箱に放り込んでいた。

 ヤダヤダヤダ。私は、えっちなものが大の、大の苦手なのだ。

 おばけよりも怖いし、Gのつく虫とは同等くらいには気持ちが悪い。


「うええ、うえええ」


 うめき声が勝手に漏れてきて、理性で抑えることができない。

 手をウェットティッシュでゴシゴシ擦っていると、周りの人たちが一斉に立ち上がる音がした。

 ヤバい、騒いだから怒られるのだろうか。

 身を小さくして、視線だけを上げると、みんな私の方を生あたたかい目で眺めてはいるものの、足は一直線にオフィスの出入り口に向かっている。

 なんの大移動だろう。ウェットティッシュを握りしめたまま、出ていく人たちを見つめていると、肩をぽんと叩かれた。


「お疲れさま。ランチ、よかったら一緒に行かない?」


 振り返ると、高野先輩が立っていた。手にはお財布とスマホ。

 それでも分からない顔をしている私に、高野先輩はだまって時計を指さした。

 時刻は十二時。お昼休みだ。


「会社にはチャイム、無いもんね。で、ランチどう? あ、お弁当とか持ってきてる?」


「いえ、何も! この辺りのお店、全然分からないので教えて下さい」


「オッケー! 任せて!」


 なんとか答えた私に、高野先輩は指で丸を作ってウインクをしてみせた。

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