第19話「泣いていた女の子」

 私達はあっという間にお城に連れて行かれて、地下の牢屋に入れられてしまった。


 私と早乙女さんは同じ牢屋だけど、ユエは途中で引き離されて、どこにいるかわからない。


 灰色の石でできた壁の隙間から、ひゅうひゅうと冷たい風が吹いてくる。物語の中でよく見る牢屋って、こんなに寒いんだ。床も氷みたいに冷たい。


 部屋のすみにたくさんのクモの巣があったけど、暗いからクモは見えなくてちょっとほっとする。ただ、もしクモが見えても、今はあまり驚かない自信があった。


 色々なことが頭をまわって止まらない。これからどうなるんだろう、とか。私達、ここから出られるのかなとか。お父さんや、お母さんのこととか。地球は、とか。


 結局、早乙女さんも巻き込んじゃった。何も関係ないのに。このまま戻れなかったら、早乙女さんの家族や友達はどれだけ心配するんだろう。胸がずきりと痛む。


 それに。ユエは大丈夫なのかな。今ユエがどうしているかわからなくて、膝を抱えながら、私はもっと不安になっていた。


「本当に頭にウサ耳が生えていたなあ……。まじでウサギになれる人間なんだ」


 と。隣で膝を抱えて座る早乙女さんが呟く。


「うーん。たくさんのウサギがいるのは嬉しいけど、さすがにこんな状況になっちゃうとそんなのんきなこと言ってられないなあ」

「嬉しいって……早乙女さん、ウサギが好きなの?」

「大好きだよ! 子どものころ飼ってたこともあるんだ。ミルキーっていう、たれ耳のウサギでね!」

「えっ、いいな……!」


 私もウサギが大好きだけど、飼うのはとても難しいって聞いていたから、家で飼ったことはない。でも憧れているんだ。


 まさか早乙女さんもウサギが好きだったなんて。違うところばっかりって思ってたけど、こんな共通点があったんだね。


「ミルキーちゃんか。……じゃあミルキーちゃんも心配しているね、早乙女さんのこと」


 すると。早乙女さんの笑顔が一瞬消えて、また笑顔になった。


「大丈夫だよ。だってミルキーは天国にいるもの」

「えっ……」


 どき、と心臓が鳴る。早乙女さん、笑顔でいようとしているみたいだけど。どんどん、今にも泣き出しそうな顔になっていっている。ごめんね、と小さく言って、早乙女さんは膝小僧におでこをくっつけて、顔を隠してしまった。


「もう3年以上経つんだけど、ミルキーのこと思い出すと、こうなっちゃう。さっきもさ、ニュースのウサギ見てたらミルキーのこと思い出してさ……。いつも明るいのがあたしなのにね、ごめんね。少ししたら、もとに戻るから」

「……戻らなくていいよ。ここには私しかいないんだから。早乙女さんが悲しいっていうなら、その気持ちを優先させていいんだよ」


 私は気がついたら、早乙女さんの背中をなでていた。早乙女さんが、凄く小さい子どもみたいに見えたから。放っておけなくなったの。


 背筋にそって、ゆっくり上から下へとなでていると。そういえば、昔もこんなことあったなって思い出した。


 小学生三年生のとき、公園で会った泣いていた女の子。あの子も、飼っていたウサギが死んじゃったんだって、いっぱい泣いていた。初めて会う子だったのに、私は泣かないでって近寄って、こうやってずっと背中をなでたっけ


 別れるときもあの子はまだ泣いていたけど、ありがとうって、涙を流しながら笑っていたっけ。夕焼けに照らされて、明るい茶髪がもっと輝いていたな。


 ……あれ?


 ぴたり、私は手を止めた。


 どくん、どくん。心臓がどんどん速くなっていく。


「ねえ、早乙女さん。――私たち、昔、会ったことがある?」


 早乙女さんが顔を上げた。少しだけ、ほっぺたが赤くなっていた。


「……思い出しちゃった?」


 そう。あれは小学三年生のとき。


 一人で公園に行ったら、ブランコに乗っている女の子がいた。明るい茶髪をツインテールにしたその子は、ブランコに乗っているのに漕いでいなかった。


 何をしているんだろうってよく見たら、その子の目からはぽろぽろ涙が零れていたの。


 私はどうしようって思った。こんなに泣いている子の前で遊ぶなんてできないし、でも初めて会うその子に何があったのなんて聞くのもできない。そっと公園から出ようって決めた。


 けど、足が動かなくなった。何もしないで帰るのって思ったら、心にもやもやが溢れて、歩き続けることができなくなった。


 でも私に何ができるの、でもこのまま見ないふりするの……。シーソーみたいに、正反対の気持ちが行ったり来たり。


 がたんってシーソーが止まったのは、振り返ってもう一度あの子の顔を見たとき。女の子が本当に、あまりにも悲しそうで苦しそうだったから。私はゆっくりゆっくり、女の子に近づいていった。


「どう、したの? 迷子? どこか痛いの?」


 私が話しかけると、女の子はびくって顔を上げた。すると、女の子は笑おうとしたの。でも全然笑顔にはならなくて、顔が引きつっただけ。そうしたら、女の子はもっと泣き出した。


「ごめんね、ごめんね……。今、どうしても笑えない……。ごめんね……」


 私はもうどうすればいいのかわからなくなって、とりあえず持っていたハンカチを渡したんだ。何もせず立っている私っていうのがとても嫌で。


 女の子は何回も謝りながら、ハンカチで涙を拭いていた。でも、拭いたらすぐ、拭いた以上の新しい涙が出てくる。


「ごめんねって言わなくていいよ。私、あなたに何も嫌なことされてないもん。でも、何があったの?」


 すると、女の子はひっくひっくってしながら、飼っていたウサギが死んじゃったって話をしてくれた。幼稚園に入る前から一緒だったウサギだったんだって。


 ほんの一週間前、ウサギとリビングで遊んでいたら、近くをトラックが通りすぎたんだって。その音に驚いて、ウサギが走り出したんだ。窓が少し開いていて、そこから逃げたんだって。


 すぐに追いかけたけど見失ってしまって、あたりを探していたら、車道に倒れているウサギを見つけたんだって。事故にあったんだって……。


「あ、あたしが、窓が開いているってわかってたら、ミルキーと遊ばなかったら、ウサギ、飼わなかったら……!」


 あたしが悪いんだって泣いている女の子の背中をなでながら、私はそんなことないよって何度も言った。だって本当に女の子が悪いとは思えなかったから。


 でも女の子の気持ちもわかった。私も自分が同じ立場だったら自分のせいだって泣いただろうし、どんなにあなたは悪くないよって言われても受け入れられないと思う。


 けどやっぱり、この子が悪いわけないよ。どうやってそのことを伝えればいいんだろうって思っていたら、この子は今どんなに悲しいんだろうって思っていたら、気がついたら私まで泣いてしまっていた。


 二人揃って泣きながら、あなたのせいじゃないとか、あなたのウサギさんが見たらきっと悲しむよとかって言いながら、背中をさすり続けるしかできなかった。


 いつの間にか夕方になっていて、その子は「……もう帰るね」って言って、ハンカチを返してきた。


「これ、ありがとう……。あなた、名前なんていうの?」

「ち、千弦。宇佐見 千弦」

「うさみ? ウサギみたい、だね」


 ふふ、って。目は真っ赤に腫れていたし、まだ泣きそうだったけど。その子はそう言って笑ったんだ。


 その子は「また会おうね」って手を振りながら、公園を出て行った。

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