第9話「ユエが願うこと」

 丘のてっぺんで、私は後ろを振り返る。


 そうして、大きく目を開いた。何か言おうって思ったんだけど、言葉が出てこなかった。


 だって、なんてたとえればいいかわからないほど綺麗な景色が広がっていたから。


 さっき通ってきた町並みが、丘の斜め下に広がっているんだけど。ここから見ると、家がどれもお人形の住む家みたいに小さくなっていて、それがきちんと整列して建っているものだから、なんだかかわいく見えるんだ。


 白いレンガの壁に黄色いレンガの屋根が並んでいる姿は、まるで積もった雪の上に月の光のかけらが落ちているみたい。


 あと、やっぱりお城が一番目立つ。他の家よりもずっと大きくて、全部が真っ白で豪華なお城は、まわりの家を見守っている神様みたいに感じた。


 そんな大きな町をぐるっとかこんでいるのは、緑色の海。草原が、見渡すかぎりどこまでも続いていて、終わりが見えなかった。


 ずっと向こうまで目を向けると、空と地面がぶつかっているように見えて、そこはまるでひとつの長い線が引かれているみたいになっているんだけど。その線の部分まで、草原が続いている。


 よくよく目をこらすと、広い草原の色んなところに、いくつかの小さい家がかたまっている。ユエに聞いたら、村なんだって。


 風が吹くと草原が揺れて、緑の海に、ちょっとうすい黄緑色の波が生まれた。

 ちょうどよく涼しい風で、少し甘い。風を甘いって思ったのは初めてだよ。


「気に入ってくれたかな?」


 私ははっとした。景色に見とれていて、今自分がどこで何をしているかまで忘れちゃってた。振り返って何度もうなずく。


「凄く綺麗! セレーネ王国って、とても素敵な国なんだね! 私、こんなの初めて!」

「何よりの褒め言葉だよ。ありがとう、チヅル。セレーネ王国は1000年以上前からあるんだけど、争いも災害も起きたことがないんだ」

「えっ、凄い! そんな国があるなんて……!」

「ここからの景色は、そんなセレーネ王国の平和そのものみたいで、僕は好きなんだよ。さ、ここに座って。おやつを食べようよ」


 ユエが芝生に座って、バスケットを開けた。私も隣に座って、バスケットの中を見る。


 中にはひょうたんみたいな丸い形の水筒と、ティーカップ二つと、両手で持てるくらいの大きさの、ぷるぷるした黄色いお菓子みたいなのが何個か入っていた。


 これが、さっきバスケットをもらうときに名前が出ていた“リプン”かな?


 どうぞって言われたから、私はそっとリプンを一つ手に取った。少しでも力を入れたら崩れそうって思ったけど、持ってみたら意外とがんじょうで、おまんじゅうみたいに弾力があった。


 かじってみると、中からとろっと焦げ茶のソースが出てきた。こ、この味は……。


「おいしい!!」

「ね、おいしいでしょ!」

「すっごくおいしい! 何これ!」


 もっちりしているけどやわらかくて、甘くてなめらかでまろやかで、ソースはほんのちょっと苦くてでも甘くて……。


 味はプリンそっくりだけど、普通のプリンよりおいしく感じる。材料や作り方の違いかな? 外で食べているからかな?


 夢でこんなにおいしいものを食べることができるなんて、あり得ないかも。じゃあ、これは夢じゃない? 


 じわじわ気づいていたことだけど、私が今体験していることは、全部現実なんだ。私はやっと、受け入れ始めていた。


 ユエも、リプンをおいしそうに食べていた。口を大きく開けてほおばって、もぐもぐ動かしているユエは、凄く幸せそうな顔をしていた。顔に「おいしい」が溢れている満面の笑み。


 落ち着いていて大人っぽいユエだけど、今のユエは、むしろ私よりもずっと年下の男の子に見えた。なんだか、かわいいな。胸がほっこりする。


 と、ユエがこっちを見ると、顔を赤くして口を閉じちゃった。


「ご、ごめん……。リプンを食べているとすぐ夢中になっちゃうんだ。王子としてあるまじき格好……」

「そんな、大丈夫だよ。ここには他に誰もいないんだし、そもそも、私はなんにも気にならなかったよ? ユエはこのお菓子が本当に大好きなんだって、見ていて幸せな気持ちになってた」

「そ、そう? だったらよかった……けど、みんなには言わないでくれる?」

「うん、言わないよ。もちろん」


 私とユエは紅茶を飲みながらリプンを食べた。紅茶は温かくて全然渋くなくて、リプンとよく合って、食べる手が進んだ。


 リプンは結構大きいサイズだったけど、優しい甘さだからか一つ食べ終わったらまたすぐ次がほしくなった。おかわりのリプンを食べていると、ユエが言った。


「リプンは、セレーネ王国で広く食べられているお菓子でね。僕も、小さいころから一番好きなお菓子なんだよ。勉強とかマナーのレッスンとか乗馬の練習とか剣の稽古とか、上手くできなくて落ち込んでいると、いつもナミが作ってくれたんだ。

泣きながら食べるんだけどね、ナミはいつもそばにいて、頭をなでてくれた。こんなにおいしいものを食べているんだから泣かないで下さい。大丈夫、明日のユエ様は今日よりも立派になられてますよって。励ましたり、なぐさめたりしてくれた」

「優しいんだね、ナミさん! 私もね、メイドさんじゃないけど、お母さんがそうなんだ。悲しいことがあったとき、いつもよしよしって、泣き止むまで頭をなでてくれるの」

「うん、ナミは母親みたいなものだよ。僕の母上は、僕を産んですぐに亡くなってしまったから」

「あ……」


 急に、なんて言えばいいかわからなくなる。どうしよう。お母さんの話をしてしまった。ユエ、嫌な思いをしたんじゃないかな……。


「ごめんなさい……」

「え、どうして? 全然気にしないで、さみしい思いをしたことなんてないから。ナミがずっと僕を育ててくれたし、城の人たちみんな優しいし、叔父上は頼りになるし、それに“彼”もずっと……」


 そこで。ユエの笑顔が、月が隠れてしまったみたいに、ふっと曇った。

 たった今、さみしい思いをしたことなんてないって言ったのに。じゃあなんで、迷子の子どもみたいな顔になっているの?


「……なんでもない。で、この場所にも小さいころからよく来ていたんだ。ナミと一緒に散歩に来たこともあるし、一人でこっそり来たこともある。あと、小さいころに父上とも。

セレーネ王国全部ってわけじゃないけど、遠くまで見渡せるだろう? 父上に連れられてこの景色を見せられたとき、言われたんだ。“ここから見える景色が、いずれユエの守るべき国の姿だよ”って。その言葉を、僕は忘れた日がない」


 ひゅう、って風が吹いて、ユエのさらさらの白い髪をくすぐっていく。

 町を見つめるユエは、笑顔じゃなかった。凄く真剣で、どこまでも突き進んでいけそうなまっすぐな眼差しをしていた。 


「この景色を見るたびに思うんだ。セレーネ王国が大好きだって。セレーネ王国を守りたいって。セレーネ王国に生きる人々が、ずっと笑顔で暮らせるようにこの国を導いていきたい。この国から涙を流す人が一人でも減って、笑顔になる人が一人でも増える国にしたい。100年先も1000年先も、その平和が続いてほしい。そのためなら僕は、どんなことでも絶対にやり遂げてみせる」


 私は息をのんで、ユエの横顔を見つめた。目をそらさずに町を見守るユエの目は優しいけど、月にも星にも太陽にだって負けないような、強い光が輝いていた。


 この丘に上ったとき、私は、ただ景色が綺麗で気持ちいいなってことしか思わなかった。でもユエは、同じ場所に立って同じ景色を見て、全然違うことを考えていたんだ。私では想像したこともないような、大きなこと。


 ユエは本当に、王子様なんだって、このとき初めて実感した。


「とはいっても、僕はまだ12歳だから。できる仕事とか、凄く少ないんだよね。大事な業務はすべて叔父上がやってくれているし。こんな状態で何を言っても、全部夢みたいな言葉になってしまう。

でもね、もっと大きくなって仕事を任せられるようになって、そして王様になったとき絶対に国の力になれるようにって、自分なりに毎日勉強してはいるんだよ。

けど、まだまだ未熟なんだ。もっとみんなに頼ってもらうには、どうしたらいいのかなっていつも思っている……」


 って、ユエは難しそうな、悔しそうな顔になる。


「だから、セレーネ・クロックが地球に落ちたかもしれないってなったとき、一番に立候補したんだ。僕が探しに行くって。セレーネ・クロックは国の宝で、次の王となる人、つまり一番目の王子が身につけるものなんだ。僕が行くしかないって思った。もちろん色んな人から反対された。セレーネ王国は隠された国だから、セレーネ王国と地球を繋ぐ道は国にいくつもあるけど、王国の者が地球に行くことはまずない。

けど、粘ったよ。やっと国の力になれるって思ったら、我慢できなくなって。城で待っていても、仕事を任されることはないだろうし。

最終的に叔父上から許しを得て、地球に来たんだ。来てすぐ捕まったのはさすがに予想していなかったけど、捕まった先にあったのが学校でよかったよ。世話をしてくれる子も、チヅルで本当によかった」


 うーん。私は眉間に力を入れた。こうして改めて聞いてみると、凄く危険だなって思う。

 セレーネ・クロックを探している途中で、車にはねられたりとか事故にあったりしたら? 悪い人に捕まったら?


 危ないなって感じる部分がいっぱいある。そもそも王子様が、別の星に一人きりで行くなんて。エクリプスさんも、なんで許しちゃったんだろう? 月と地球だし、もしかしたら地球の常識とは違うのかな?


「学校の先生も生徒もみんな優しくて僕に良くしてくれたよね。中でもチヅルは、僕にたくさん話しかけてくれたよね」

「あ、やっぱり言葉、ウサギの姿でもわかってたんだね……?」

「わかるよ。言葉が喋れなくなるだけで。だから君が僕にユエって名付けたときびっくりした。ウサギになっている僕の言葉がわかるんじゃないかって、しばらく疑ってたよ」

「私もびっくりだけど、同じ名前をつけてたんだよね……。こんな偶然があるなんて」

「絵本に出てきた王子様の名前をつけたんでしょう? 王子って部分も同じだから、びっくりしたよ」

「その話も聞いてたの?!」

「ちゃんと聞いてるよ。チヅルがしてくれた話、全部覚えてる」


 うわわ! 私はそわそわしてきて、意味もなく服のすそを引っ張ったり伸ばしたりした。


 私の意味のない日常の話なんて、覚えてるだけ損なのに! はっきり覚えてるって言われるの、なんだか恥ずかしい!


「で、チヅル。チヅルが悩んでいることも、僕は知っているんだよ。ウサギの姿だったときは話せないから、聞くだけで終わってたけど、今は違う。良かったら、話してくれる?」


 うっ。そうだよね。覚えてるってことは、私がいつも話していた、「友達」のことについても知ってるよね。


 じっと見つめられている……。大丈夫だよとか、そんなことないよってごまかすのは無理そう。だからって王子様にわざわざ話すのもなんだかマナーがなってないような……。


 でももうすでに、ユエには色々話しまくっていたんだっけ。


 さんざん迷って、私は言うことにした。人間の、ユエに。

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