第8話「怖そうな従者」
辿り着いたお城は、やっぱり学校よりもずっと大きかった。噴水や白い彫刻や大きな花壇のあるお庭なんて、グラウンドよりも広い。
広い庭を抜けて入った玄関ホールには星みたいに光るシャンデリアがぶら下がっていて、玄関のはずなのに教室よりも広いんじゃないかなってくらいだ。
ホールには、たくさんの執事さんやメイドさんがいた。「ユエ様、戻られたのですね!」「ユエ様、お帰りなさい!」って次から次に近寄って、笑顔で言ってくる。みんな、ユエが戻ってきたことが凄く嬉しいみたいだ。
ユエは、一人一人に名前をよんで、お礼を言っていた。お城で働いている人の顔と名前、みんな覚えているんだって。
私なんて、自分のクラスの子達の顔と名前ですらあまり覚えられていないのに。まあ、私があまりにもみんなと話していないからっていうのもあるんだけど……。
すると、何人かのメイドさんが私のまわりにやって来た。「こちらにどうぞ」だって。な、何?
と、ユエはとんでもないことを言ってきた。
「チヅルのために、舞踏会を開こうと思うんだ。もちろん僕も参加させてもらうよ。その人達に任せていれば大丈夫だから、チヅルはドレスに着替えてきてね。料理は今から作ってもらうから、少し遅くなってしまうかもしれないけれど」
なんですって?!
舞踏会って、聞き間違いじゃないよね? 私はすっかりおろおろして、右、左ってきょろきょろした。嬉しいからこうなっているわけじゃなくて、むしろ……。
「ご、ごめん、ユエ! 気持ちは嬉しいけど、わ、私、そういうのはちょっと……!!」
「あれ、舞踏会は嫌いなのかい?」
「き、嫌いっていうか、あの……!」
まず、私は運動が大の苦手! 鉄棒も縄跳びもかけっこもボール競技も、運動って名前がつくものは全部ひどい結果しか残せない。もちろん、ダンスなんて習ったことない。
しかも舞踏会のダンスなんて! スキップですらちょっと危ない私が、いきなりダンスなんて踊れるわけがない。絶対転んで恥ずかしい思いをする未来が見えるよ!
あと。舞踏会のダンスってことは、相手とかなりくっつかないとだめだよね?
ユエも参加するって言ってたから、ユエと踊るかもしれないんだよね?
ユエと私が、くっついて踊るってことだよね?
……無理!!!
かーーーって顔が一気に熱くなった。火が吹き出そう! 男の子とろくに話したこともないのに、そんなことしたら本気で高熱出して倒れてしまう! しかも相手はユエ!
「チ、チヅル物凄い顔が赤いよ? そ、そんなになるまで苦手なことなんだ……。ごめん、チヅル。地球人をもてなすなんて初めてで、どうすればいいかわからなかったんだ。だから王子として、僕ができる最大のおもてなしをって思ったんだけど。でも、君に無理をさせたら意味がないよね。チヅルは、何をしてもらうのが嬉しい? 言ってくれないかな」
「えっと、私は静かなところが好き、かな」
自分の部屋とか、図書室とか、自然の多いところとか。人があまりいない、静かな場所ですごすのは、かなり好きなんだ。
すると、ユエはにっこりほほえんだ。うん、やっぱり天使の笑顔だ……。
「わかった、教えてくれてありがとう。嬉しいよ。そうだな……。じゃあ、僕が国で一番好きな場所に連れて行ってあげるよ。あまり人の来ない、静かな場所だよ」
どうやらそこに連れて行ってくれるみたい。ユエの一番好きな場所って、どんなところなんだろう。緊張するけど、とても気になる。
じゃあさっそく行こうってなったときだ。
「ユエ様ー!」
大きな声でユエの名前を呼びながら、メイドさんが走ってきた。少し太っている、明るくて元気そうなおばさん。蓋のついた大きなバスケットかごを持っていて、「こちら、どうぞお持ちくださいまし!」とユエに渡した。
「エクリプス様から連絡が入りまして、紅茶をいれてきました! 間に合ってよかった! 王子様の大好きな“リプン”もたくさん入ってますからね、チヅルさんとぜひ食べて下さい!」
「この短い時間で作ったの? 凄いね、いつも!」
「これしか得意なことがないからですよー! あと、リプンは今日作っていたものです! いつ王子様が戻ってきてもいいようにって、毎日作り置きしていました!」
「毎日……。ありがとう、ナミ。とても嬉しいよ」
そんなそんな、って笑うナミさんは、他のメイドさんや執事さんよりも気安そうにユエと話している。ユエも、他のお手伝いの人と話すときよりももっと仲よさそうな感じ。きっと仲のいいメイドさんなんだ、って思ってたら。
ユエがバスケットを見つめて、考え込むような顔。
「……ナミ。サクヤは?」
「……いつも通りですよ。特に心配してなさそうでした。全く、あの人は何を考えているんだか」
ナミさんは、苦い薬をのんだみたいな顔で言った。そう、ってうつむいたユエは、元気がなさそうで。
「うん、わかった。どうもありがとう、ナミ」
「いえいえ! ごゆっくりね!」
ナミさんは元気よく笑って、手をふりながら歩いて行った。
「今の人は?」
「僕の専属のメイドだよ。ナミっていうんだ。赤ちゃんのころから世話になってる」
「優しそうな人だったね! なんだかユエってお城の人達みんなと仲よさそう」
「そう見えていたらよかった。僕はみんなが大好きなんだ。城には、使用人や兵や、たくさんの人が働いている。みんなが仲間で、一人も欠けてほしくないって思ってるんだよ」
言われて嬉しいことみたいで、ユエは照れくさそうにはにかんだ。
私とユエは、最初にお城に入ったときとは違う場所から外に出た。お城の裏にあたるんだって。
正面の庭みたいに彫刻とか噴水とかは置いてなくて、植木や芝生の間に、石畳の道が敷かれている。裏って言ったけど、裏庭とは思えないほどとても広かった。
「この先にある裏門を抜けて、しばらく歩いたら目的地につくよ」
そのとき。がさがさって音がして、近くの茂みから人影が現れた。
「ユエ様」
出てきたのは、紺色のシャツと黒いズボンを着た、背の高い男の人だった。お手伝いの人なのか、手にホウキを持っている。
20歳くらいに見えるその男の人は、ユエとは違って頭から生えるウサギの耳は黒色だった。紺色の髪を後ろで一本の小さな三つ編みにしていて、その人から見て左目に黒い眼帯をつけていて、もう一つの右の目は、血みたいに真っ赤な色をしていた。
格好いい人、なのは確か。でも、笑っていないからかな。眼帯をつけているからかな。凄く、冷たい目をしているからかな。怖そうな人だなって、思った。
「声がしたので、もしやと。お戻りになったのですね」
お戻りになったのですねというセリフは、お城でユエと会ったお手伝いの人達のほとんどが言っていた。でもそのセリフと、今この人が言ったセリフは、全然違うものに聞こえた。だって嬉しいっていう気持ちが、一個もないように聞こえたから。
「さっき戻った。みんなにも言っているけど、ここにいるチヅルに助けてもらったんだ。そのお礼に、チヅルとちょっと出てくるから。用事があるなら、あとにしてもらえるかな」
ユエも、お手伝いの人に話しかけられたら笑顔で返事していたのに、今は笑顔じゃない。ごろごろの石みたいに硬い声を出すと、男の人から目をそらして、さっきよりも早足でその場から離れようとした。でも。
「セレーネ・クロックの捜索など、兵に任せれば良かったことでしょうに。なぜわざわざ、この国の王子みずから地球に向かったんです? それで何かあった場合、セレーネ王国はどうなるんでしょうね?」
「……王子として、できることをしようと思った。城でただじっとしているなんてできなかったんだ」
男の人が、ふっと笑った。目は全然暖かくないのに、口だけ笑ってる。
「ユエ様には、王子としてするべき仕事がもっとありますよね? でも俺の目には、やるべきことをやっているようにはとても見えない。……今みたいにな」
真っ赤な目が、私のほうをじろっと見た。それだけで私は、ひゅうって息ができなくなった。心臓を掴まれたみたいに、動けなくなる。
「この人は地球からのお客様だ。客人をもてなすのは当たり前の礼儀だ」
「まあ、どうぞご勝手に。俺は口出しなんてできない立場ですから。が、あんまり不用心に出歩くのもほどほどにしておいたほうがいいですよ。いくら国が平和と言っても、何が起こるかわかりませんからね。で、何かあってさらわれたりした場合、捜索などで手間と迷惑がかかるのは俺達のような下の者だということをお忘れなく」
くるっと男の人は体を後ろに向けて、さくさく芝生を踏みながら歩いて行ったんだけど。途中で立ち止まって、顔だけちょっと振り返る。
「甘い態度でいるのがいいならお好きにすればと言いたいですが、のんきに甘えていたら、大事なときに味方も仲間も一人もいない、なんてことになりますよ。どうかお気をつけて」
ユエが、急いでいるみたいに歩き出した。どんどん石畳の道を進んでいく。私は走って追いかけた。
裏門に着くと、銀色の鎧と、ウサ耳のついた兜をかぶった兵士さんが門を開けてくれた。「こんにちは、ユエ様」と優しい声でおじぎしてくる。ありがとう、と返したユエは笑っていたけど、無理しているみたいな笑顔だった。
だって兵士さんの姿が見えなくなったら、ユエの笑顔も消えて、何かを考えているような、悩んでいるような表情になったもの。
「ね、ねえ。さっきの、ホウキを持っていた人は?」
「……サクヤ。側近だよ、僕の。一番の従者だ」
「従者? あの人がユエに仕えているの?」
あんな意地悪そうな人が? バカとかアホとか、わかりやすい悪口を言ったわけじゃないけど。あのサクヤって人は、心が嫌な感じのする言葉ばっかり口に出していた。
……ユエは驚いていなかったし、今日初めて言われたとかじゃないよね。ユエはいつも、従者から嫌なことばかり言われて生活しているの?
「……あんな、怖そうな人が近くにいるんだね」
「あ、従者って言っても実際に任せられている仕事は城の掃除とかそういうものだから。サクヤと顔を合わせる日はあまりないんだ。昔は違ったけど……。うん、とにかく大丈夫だよ。心配かけたならごめんね」
大丈夫って笑ったユエの顔は、やっぱり暖かかった。さっき冷たい目を見たから、ユエがどれだけ優しい目をしているかわかる。
町を抜けてしばらく歩いていたら、緑の丘が見えてきた。結構高い丘で、運動が苦手な私はすぐ息切れを起こして、途中で立ち止まってしまった。でもユエはせかしたりしないで、手を引いて一緒にゆっくり上ってくれた。
「お疲れ様。ついたよ。ここが、僕が国で一番好きな場所だ」
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