第7話「月の王国」

 「チヅル。チヅル」


 どこからか、透き通ったソプラノボイスが聞こえてくる。この声で子守唄を歌ったら、どんなに泣いている赤ちゃんでもすぐに寝ちゃうだろうな。うとうとと、意識が遠ざかっていく――。


「チヅル。起きて。ついたよ」


 体を優しく揺り動かされ、薄く目を開ける。目に飛び込んできたのは、天使そのものみたいに綺麗な顔をした男の子。

 心臓がどっきん! この格好いい子は誰?!


「ようこそ。セレーネ王国へ」


 にこっと、ユエが笑った。ああ、なんて眩しくて優しい笑顔……じゃなくて。


 私は体を起こして、あたりを見た。


 まず見えたのは、お花。私の膝くらいある高さの花が、私とユエを囲むようにして、一面に生えていた。薄い黄色の花は、ユエが今首からかけているセレーネ・クロックの蓋と同じ、三日月がくっついたような形をしていた。


 一番近くに生えていた花に顔を近づけて嗅いでみると甘くていい香りがして、指先でちょんっとつつくと、ぴかぴか光る粉みたいなのがついた。


 後ろを振り向くと、月見ヶ池と同じくらいの大きさの池があった。でも、月見ヶ池よりももっと水が綺麗で、水そのものが輝いているみたいに、きらきらしていた。


 首を上に向けると、薄いピンクと薄い水色がグラデーションの絵の具みたいに塗られた空のてっぺんに、真っ青な月があった。

 月よりもひとまわりもふたまわりも大きい……あれ、月ってあんなに大きかったかな? そもそも月って青色だっけ? それにあの月、よく見たら白いぐるぐる模様も混ざっていて……。


「地球、よく見えるよね。地球人は月を見上げているんだろうけど、セレーネ王国ではいつも、地球を見上げているんだよ」


 そうだ。あの青い星は月じゃない。地球だ。私の生まれた星だ。


 私は右のほっぺたを、手で勢いよく叩いて、思いっきりつねった。

 い、いひゃい。夢でも痛いことってあるんだ……。


「えっ、チヅル、何をしているんだい?」

「だ、だってこれ夢だから。私、多分外で寝ちゃってるんだよ。月見ヶ池のそばか……もしかしたらウサギ小屋で寝ちゃってるかも。だから早く起きないと!」

「もう、夢じゃないってば。紛れもなく現実。セレーネ王国は本当に存在する国だ」

「け、けどテレビでも本でもネットでも、月に国が本当にあるなんて話、聞いたことないよ? アポロが月に着陸したときも、国なんて全然見つけていないし」

「見つかれば騒ぎになるからね。普段は王国全部を隠しているし、セレーネ王国の者じゃないと王国には入れない。知らないのは当たり前のことだよ。さ、お城に行こう」


 どうぞ、とユエの白い手が差し伸べられる。私がそっと掴むと、優しく握り返してくれて、ゆっくり立ち上がらせてくれた。ユエの手は温かくてすべすべで、夢ならドキドキする必要ないのにドキドキしてしまう……。


 ユエに手を引かれるまま、私は三日月の花の花畑をまっすぐ歩いて行った。3分くらい歩くと緑色の木がいっぱい生える林が見えてきて、そこもまっすぐ歩くと、今度は町が見えてきた。


 通りに出た私は、思わず「わあ~っ!!」って、あたりをきょろきょろ。


 黄色いレンガの屋根と、白いレンガと木の枠の壁でできた、タテに細長い家が、道の左右に積み木みたいに並んでいる。


 道はアスファルトの道路じゃなくて、これもレンガでできていた。コンクリートもアスファルトもどこにもない、昔のヨーロッパみたいな町並みが、現代にあるなんて。


 で、一番驚いたのは、町の奥。通りをずーっと真っ直ぐいった先に、真っ白なお城が建っているのが見えたの。とがった黄色の屋根の、すっごく大きなお城。通っている小学校よりもずっと大きそう!


 この町に住んでいたら、どこにいてもあのお城が勝手に目に入るだろうなってくらい、お城は遠くから見てもきらきらしていた。


「ユエは、あのお城に住んでいるの?」

「そうだよ。ずっと帰れなかったし、みんな心配しているだろうな……」


 と。前のほうから、男の人や女の人や子どもや、たくさんの人の声が聞こえてきた。


 少し行くと、噴水がまんなかにある広場があって、その前に人だかりができていた。


 なんだろうって見ていたら、その人だかりの中心に立っている男の人に自然と目が行った。なぜって、その人は王様が着るみたいな、かっちりしてきらびやかな衣装を着ていたから。


 大きな青いマントを羽織っているその男の人を見て、ユエがぱっと笑顔になった。


叔父上おじうえ!」


 ざわざわと、人だかりがいっせいに振り向く。みんな、頭から白や黒や茶色の、ウサギの耳が生えていた。びっくりして私は足がかたまってしまったけれど、ユエはまっすぐ人の集まりに向かって走っていった。


 ユエ様、ユエ様だって、あちこちからユエの名前が出てくる。様づけで名前を呼ばれている子どもなんて初めて見たよ……!


「ユエ!」


 マントの男の人が、びっくりしたみたいに大きな声を出した。右目に銀色のモノクルをつけていて、落ち着いた大人の人みたい。私のお父さんと同じくらいの年齢に見えるけど、白い髪に青い目、白いウサギの耳はユエとそっくり。ユエがもっと大きくなったら、こういう大人になるのかなって思った。


「叔父上、ただいま戻りました!」

「ユエ、いつの間に……! これは夢なのか?!」

「夢ではないですよ! ちゃんとセレーネ・クロックも戻ってきました! ですが、こんなに時間がかかってしまって申し訳ありません。心配をかけましたよね……」

「当たり前だよ。城の者も町の者もみんな、ユエ様は無事だろうかって、そればかり考えていた。やはりユエ様に行かせるべきではなかったと何度議論されたことか……。おや、その子は?」

「彼女はチヅルと言って、地球からいらした地球の人です。チヅル、おいで」


 私? 行っていいのかな……。そろそろと、ユエ達のいるほうへ歩いて行く。


「地球人?」「地球人だ……!」


 興味いっぱいみたいな声があちこちから聞こえてくる! 前を向いて歩くなんてできなくて、私は地面のレンガを見つめながら近寄った。


「彼女が、このセレーネ・クロックを見つけて拾って、僕に届けてくれたんです。チヅル、この方は僕の叔父で、エクリプス殿下だよ」


 ユエは私がセレーネ・クロックを拾ったこと、ずっと学校のウサギ小屋にいたこと、ウサギのユエを世話してくれていたのは私ということを、その場で説明した。


 今までウサギ小屋にいたという話の部分ではええっとまわりが大きな声を出したから、冷や汗が一気に出た。王子様を小屋に閉じ込めるなんてって言われたらってびくびくしたけど、ユエの叔父さんが「でも、何事もなくてよかった」って言ったおかげで、とりあえずそれ以上は大きな騒ぎにはならなかった。よかった……。


 話を聞き終わった後、エクリプスさんはユエによく似た優しい笑顔を浮かべた。


「チヅルさん。我が国の宝を拾って下さっただけでなく、ウサギの姿のユエの世話までしてくれていたそうで、本当にありがとうございます。心から感謝を述べさせていただきますよ」

「いやっ、私は何も! 飼育委員として普通の仕事をしていたまでで!」

「叔父上、チヅルをおもてなししたいんだけど、よろしいですか?」

「もちろんだ。王宮の者には私から伝えておこう。ユエの思うもてなしをしてあげなさい。私も行きたいところだが、今は視察があって、ちょっと離れるわけにはいかないんだ……。申し訳ないね、チヅルさん」

「いやおかまいなく! おかまいなく!」


 だってこれ夢ですからね!


 言う前に、じゃあ行こうってユエに手を引かれて、お城に向かって歩き出した。

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