2章「月にある国」
第6話「ウサギの耳の男の子」
学校の裏には大きな森がある。そこには、月見ヶ池っていう、ひとまわりするのに3分くらいかかる大きな池があるの。
なんでもその昔、月の綺麗な夜、月から人がやって来て池に下り立ったっていう伝説があるとかないとか。
本当かなあって思うけど、月見ヶ池のそばですごすと気持ちいいのは確か。時々行くんだけど、池の水は綺麗だし、まわりに生えている芝生はやわらかいし、ここで本を読んだり宿題をしたりするといつもより集中できるんだ。
「ここ、だよ」
まわりをぐるりと木にかこまれた池の前で、私は立ち止まった。そっと振り返れば、男の子はゆっくり見回して、「ああ、ここだ」と不思議なことをつぶやいていた。
男の子は立ち止まった私を追い越すと、池を背中に向けて振り向いた。
「じゃあ改めて自己紹介するよ。僕はユエ。月にある月の国、“セレーネ王国”の第一王子だ」
このとき、なぜか私は今と関係のないことばかりが頭にぽんぽん浮かんでいった。
この前借りた図書室の本、返すのいつまでだったっけ。というか借りてたかな?
今日の夕ごはんはなんだろう。昨日の夕ごはんの残りになるよってお母さんが言ってたような。でも昨日は何を食べたんだっけ?
そういえばウサギ小屋のユエの世話、今日ちゃんとやったかな。
「いま、なんて?」
「あれ、聞こえなかった? おかしいな……」
ウサギの耳の生えた男の子が言った。
「僕は、ユエ。月の国“セレーネ王国”の王子だよ」
どうしよう。聞き間違いじゃなかった。
「あなた……。芸能人? 何かのタレント? もしかしてこれって、ドッキリか何かとか?」
普通に考えても。私じゃない、もっと頭の凄く良い大人がここにいても、男の子の話を信じることはできないよね。
だから私は思った。全部が嘘なんじゃないかって。ウサギから人に変身したのも何かの手品で、この男の子はそうやってびっくりすることをしたり言ったりして、人を驚かそうとしているんだって。
もしこの彼が芸能人なら、そうだろうなあって何度もうなずける。だってこんな格好いい子、普通の子にはいないもの。
「信じられない、か……。無理もないね。でも僕は一つも嘘を言っていないよ。とりあえず今は無理に信じようとしなくていいから、話だけ聞いてもらえないかな」
急にユエは、私の首のあたりを指さした。
「君が首から掛けている、そのペンダント。そのペンダントは、名前を“セレーネ・クロック”と言う。僕はそのペンダントを探して、セレーネ王国からやって来たんだ」
私は月のペンダントを触った。セレーネ・クロック。一度も聞いたことがない名前。
「セレーネ・クロックはセレーネ王国の王家に代々伝わる大事な宝物なんだよ。けど3ヶ月前、城に遊びに来ていた使用人の子どもが、このセレーネ・クロックを、警備の隙を見て手に入れてしまったんだ。
子どもはペンダントを持ちだして遊んでいたんだけど、うっかり、地球と月を繋ぐ道の一つにペンダントを落としてしまった。大事な宝物がなくなったって、王国は大騒ぎになった。
子どもはずっとペンダントを持ち出したことを黙っていたから、国中を探してもペンダントは見つからなかった。でも三週間以上前、その子が正直に、ペンダントをどうしたか言ってくれたんだ。僕は王子として王国の宝を探すため、こうして地球にやって来たんだよ」
私は今何の話を聞いているのかな。絵本の読み聞かせ? それとも童話のあらすじ?
ユエはどんどん説明を続けていく。
「セレーネ王国の者は全員、ウサギに変身する力を持っているんだ。
地球の人に正体がばれたら騒ぎになってしまうかもしれないから、僕はウサギに変身して、セレーネ・クロックを探そうとした。けど地球に来たはいいものの、すぐに小学校の人に見つかってしまって、ウサギ小屋に入ることになって、どうしようかと思ってたんだ。これじゃあペンダントは探せないって……。
でも今日、君の首からかけられているものを見てびっくりした。それは間違いなく、セレーネ・クロックだ」
「あ、あの。これは3ヶ月前、この池のそばで拾ったものなの。それで交番に届けて、落とし主が現れなかったから、この前引き取って……」
「そういうことだったんだ。でも最初に言ったように、そのペンダントは僕達の国にとってとても大切なものなんだ。申し訳ないけれど、返してくれるかな?」
右の手のひらが、私に向けて差し出される。えっと、と私は手のひらとユエの顔を順番に見た。言っていることは一つもわからなかったけれど、このペンダントの持ち主がユエってことだけはわかった。
私は慌ててチェーンを外して、ペンダントをユエの手の上に置いた。するとユエはとても安心したみたいに、優しく笑った。
「ああ、良かった……。ありがとう。本当にありがとう、チヅル」
「わ、私の名前、知ってたの?」
「もちろん。ウサギの姿になっても、人の言葉が喋れなくなるだけで中身は変わらないんだ。チヅルは僕に色んなことを話して、たくさん自分のことを教えてくれたよね。よく覚えてるよ。チヅルが話してくれたこと」
「うっ……! ひ、一人でべらべら喋っちゃってごめん……!!」
「どうして謝るの? 僕はそのおかげで、チヅルがどういう子なのか知ることができた。チヅルがそのペンダントを使って悪さをするとは思えなかったから、こうして正体を明かして、返してって言うことができたんだよ」
そうは言っても、私はやっぱり恥ずかしかった。相手が動物だからって安心して、いつもとりとめのないことばかり話していたけど、それをちゃんと聞かれていたなんて。
面白くない話を聞かされ続けて、嫌な思いをさせたんじゃないかな。迷惑をかけたんじゃないかな……。
あれ? でも私、ユエがウサギから人に変身したとかの部分、疑ってたんじゃなかったっけ?
「っていうか待って! 私、まだあなたの言ってること信じたわけじゃないんだよ! 信じ切れないよこんな話……!」
「これは……実際に見せたほうが早いかな」
ふとユエは、後ろを向いた。首を少し上に向けて、空を見る。
私もつられて同じ方向を見た。青色から橙色に変わりつつある空の上のほうに、白い月がぽつんと浮かんでいた。池の水面にも月が映っている。星はまだ見えない。
「今の月の形……これか」
ユエがコンパクトを開けて、何かしらいじる。下の盤についている針を動かしたみたい。
ユエはコンパクトをくるりと回転させて、両手でコンパクトを上へ掲げた。鏡のついている部分に、ちょうど月が映るようにしている。
そのとき。池全体が、真っ白に光り出した!
「きゃあっ!!」
ユエが変身したときよりも、ずっと眩しくて、強い光。そんな光があたり全体を包み込む。すぐに目がちかちか痛くなってきて、閉じずにはいられなくなる。でも目を閉じても、まだ暗闇の中で、光がちかちか、ぴかぴかしているみたいだった。
「チヅル」
耳にじんわり染みるような、優しい声がする。私はゆっくり目を開けた。
そこで見た景色に――私は、息をするのもすこーんと頭から抜けてしまった。
池全体から、太い光の帯が、空に向かって伸びていたのだ。白い光は少しずつ細くなっていて、辿っていくと、夕方になりつつある空に浮かぶ月に、真っ直ぐ続いていた。
「本当なら、地球人が、地球から月に行くことはできない。でも、このペンダントの力を使えば別だ」
というわけで、とユエは振り返った。
「僕は今から、セレーネ王国に帰る。チヅルも、一緒に来ない?」
と。ここで私は、がくん、と芝生に座ってしまった。足の力が抜けて、立っていられなかった。「大丈夫?」とユエが両方の膝を曲げて、心配そうに顔を覗いてくる。
「な、なんで、私が……」
「なんでって、チヅルは大事な国の宝を拾ってくれた、セレーネ王国の恩人だ。その恩を返すのは当然のことだよ。国を代表して、君を招待したい。チヅル、僕の国を見てみない? 君なら、心から歓迎するよ」
頭全部が真っ白になって、なんにも考えられない。起きたばかりでまだ眠いときだって、もっと頭は動いているよ。
「月、池、光、王国、ウサギ……。えっ……?」
「うーん……」
ユエは困ったような顔をした。でもそれは一瞬のこと。よし、と大きくうなずいて立ち上がる。
「さあ行こう、チヅル!」
「えっ、えっ!!!」
ユエは私の右手を手に取ると、一気に引っ張って、駆け出した。待ってって言う前に、ユエは池から伸びる光に飛び込む。私の体も、光に包まれる。
光の中は、思っていたより眩しくなかった。やわらかくて、ほのかにあったかいような気もする。目を開けていても全然痛くならない。
あれ、私とユエの体、上に上がっていっている……?
きょろきょろ、あたりを見る。するとユエと目が合った。ユエはにっこりと、優しく笑った。
あ、この笑顔。何かに似ていると思ったけど、何なのかわかった。
月だ。ユエの笑顔は、月の光みたいに、優しいんだ。
やがて、私のまわりはどんどん光に包まれていって、そうして白色以外に何も見えなくなった。
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