第2話「ウサギのユエ」

 私はウサギ小屋に向かって走る。飼育委員として、ウサギ小屋で飼われている3羽のウサギさんたちをお世話するのは私の仕事。この仕事を面倒って思ったことは一回もない。ウサギは可愛くてふわふわで私の一番好きな動物だし、何よりも。


「ユエ! 来たよー!」


 がちゃ、とドアを開ける。ウサギ小屋には三つの部屋があって、それぞれの部屋にウサギが飼われている。


 まんなかの部屋にいるのは、一羽のウサギ。真っ白でふわふわの体と、空みたいなうすい青い目をしたウサギ。


 部屋のすみにいたユエは、私が入ってくると、顔を上げてこっちを見た。


「元気にしてた? ごはんあげるけど、その前にお掃除しちゃうね!」


 ユエの部屋を掃除して綺麗にしたあと、お皿にニンジンとかキャベツとかを乗せて、ユエの前に置いた。ユエは鼻をひくつかせてごはんを確かめると、小さい口でかじりはじめた。


 このユエっていうウサギは、もともとは学校で飼われていたウサギじゃないんだ。

 三週間くらい前。9月になってすぐ、学校の中庭に生えている草を食べていたところを先生が見つけた、いわゆる迷いウサギ。

 飼い主さんを探したけれど見つからなくて、見つかるまでの間、ウサギ小屋も一部屋開いているからってことで、学校で保護することが決まったんだ。


 ユエって名前をつけたのは、飼育委員の私。名前の意味は、小さいころに読んだ絵本に、ユエっていう王子様が出てきていたから。その王子様は、髪が真っ白で目が青いの。ウサギのユエを見たとき、この王子様のことを思い出して、同じ名前をつけたんだ。


 そういえば、ウサギで青い目って珍しいよね。赤い目のウサギならウサギ小屋でも飼っているけれど。


 珍しい姿をしたウサギのユエは、学校でも大人気。休み時間とか、たくさんの子がユエに会いに来る。


 でもユエは臆病な性格みたい。誰が来てもすぐに逃げて、部屋のすみっこで固まるの。触らせようともしないんだ。少しでも触ったら、遠くに逃げちゃう。


 私は毎日ユエのところに通ってお世話を続けたからか、やっと最近になって、近づいても逃げなくなったんだけど。でもやっぱり、触ろうとして手を伸ばすと、びくって震える。


 かわいそうだから、私がユエを撫でたことはない。私が同じ立場だったら、怖がっているのに無理矢理なんて、とても嫌だって思うもの。


 その代わりにやっていることがある。掃除を終えた私は、まだごはんを食べているユエの隣に座った。


「ユエ。今朝ね、テレビの占いで、私の星座が一位だったんだよ。一番運勢がいいんだって。でもね、恋愛運がとくにいいって言ってて、がっかりしちゃった。だって相手がいないんだもの。他の運だったらよかったのになあー」


 他にも、教室の窓から見た雲の形がちょっとウサギに似ていた話とか。給食に大好きなあげパンが出てきたこととか。でも、苦手なピーマンとパプリカのサラダも出ていたから、食べるのが大変だったとか。


 図書室で高い位置にある本を取ろうとしたら手を滑らせてばさばさっと本が落ちてきちゃったこととか、授業で先生に当てられて、びっくりしてしばらく固まって、答えるのが遅くなっちゃって恥ずかしかったこととか。


 こんな風に、ユエに今日あったことをお話するのが、私限定、飼育委員のお仕事。限定っていうか、私が勝手にお話しているだけなんだけどね。


 ウサギ小屋で飼っている他のウサギにもお話することはあるけど、私はユエにお話するのが特にお気に入り。


 だって私が色んな話をしている間、ユエは体をこっちに向けて、静かに話を聞いてくれるから。あんまり体も動かさずに、私のことを空色の目でずっと見つめてくる。


 まるで本当に私の喋っていることがわかっていて、興味津々きょうみしんしんにお話を聞いているみたいだなって思っちゃう。だから私も、ついついたくさんお喋りしちゃう。


 私はユエとのこの時間が、学校ですごす時間の中で一番好きなんだ。楽しいのはもちろんだけど、ほっと心が落ち着くようで、力が気持ちよく抜けていく感じ。


 でも、この時間は穏やかなのに、あっという間に過ぎていくの。楽しい時間ってどうしてすぐすぎちゃうんだろう? 学校の時間は、あんなに長いのに。


「……ねえ、ユエ。私、今日も友達ができなかったよ」


 ぴくぴく。少しだけ、ユエの耳が動く。私は両方の膝を抱えて、ため息を吐いた。この話も、ユエにいつもしていること。ユエだけに話せること。


 ユエが相手なら、すんなり話すことができるのに。あれも話したい、これも話したいって、頭にどんどん浮かんで、それをちゃんと言葉にできるのに。


 クラスの子が相手だと、全然ダメなんだ。喉が石になったみたいに、何も話せなくなる。


 たとえば学校の連絡とかでクラスの子と話さないといけないってなったときは、体も石みたいに固くなって、頭が真っ白になる。その繰り返しで、いつの間にか私は、クラスで一人ぼっちになってた。


 あ、でも……。話しかけてくる人が、本当にただの一人もいないってわけじゃないけど……。うん、今はユエとの時間。この話はやめておこう。


 私は一人ですごしてるけど、だから一人ですごしたいってわけでもないんだ。


 クラスの子が、私の知らない話で楽しそうにしているのを見ているとき、凄く、混ざりたいなって思うの。私も混ざって、一緒に話して笑えたら、どんなに楽しいだろうって。


 話しかけて、無事に混ざれて、楽しくお話できている想像は、いくらでもできるんだ。


 でも私は、それを現実にすることができない。


「ユエと、お話できたらいいのにな」


 ぽつり。私は小さく言った。ちょっとだけ、ユエの顔が上に上がる。


 今の私は、ユエ“に”話しているだけ。でも本当は、ユエ“と”話してみたい。


 ユエが、私と同じように言葉を喋ることができたら。流れ星を見るチャンスがあったら、ユエが言葉を喋れますようにってお願いしようと決めているくらいには、結構真剣なんだ。


 いつも想像するんだ。もしユエが話せるようになったら、どんなお話を聞かせてくれるんだろうって。

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