幕間

第19話 明るさを取り戻した魔王城


 本職によってしっかりと磨かれたランタンは、ガラスに曇りもなく経年変化によって鈍い金色となったフレームも落ち着いた輝きを放っている。


 スイッチを入れると、ランタンから一瞬だけ円形の模様が浮かび上がり、ガラスから暖かい色がこぼれた。

 時折、風もないのに揺らめく明かりが不思議な模様を見せる。文字のような記号のようなそれは、うっすらと螺旋らせんに浮かび上がって魔王城の高い天井へと消えた。


 脚立の上に腰をかけていた設備部の青年は、手の上で繰り広げられる幻想的な様子をしばらく眺めていたが、慎重に壁の金具へとランタンを掛けた。


 石造りの壁にぱっと花が咲くようだ。

 外側は元々あったランタンを使っているらしいが、まるで違うものに見える。

 新たに傘や台座へ取り付けられたワイヤーの装飾は、飾り気のなかった魔王城の廊下に華やぎを加えた。


 長い通路の壁に規則的に並ぶランタン。それは奥までずっと続き、遠く先を歩く者まで見えた。


「設備さん、廊下明るくなったわね! 助かるわ」


 通りかかった文官女性からにこにこと笑顔を向けられて、青年も笑みを浮かべた。

 魔人に夜行性の者が多いとはいえ、暗闇で目が見えるわけではない。夜の時間に活動するのが得意なだけで、明るさはそれなりに欲しいのである。


「もう光キノコの粉に怯える生活には戻れないのよ。こんなに贅沢にランタンの明かりが使えるなんて、さすが城よねぇ。城勤めしていて本当によかったわ」


「そうですよね、あれは本当につらいです」


 魔王国の一般家庭では普通に使われている光キノコ。

 雑貨屋に行けば売られているし、山に採りに行けばタダである。採ってきたばかりのものなら二~三週間は持つ。


 ただ、明かりとしては弱く、しかもその傘が発する粉はくしゃみ、鼻水などを起こす光キノコ病を招いた。


 そんなものよりはランタンの方が断然いいが、お高くて庶民にはなかなか手の届くものではない。


 だが魔王城では全部の場所で、そのランタンを使っている。

 その昔、暗いと効率が下がると宰相のミーディスが敢行したのだという。そして細工師が亡くなり、どんなにランタン代がかさもうとも、光キノコには戻さなかった。

 多分、ミーディスも光キノコ病の同志なのだろうと、設備部の青年は勝手に思っている。あれは本当に本当につらいものなのだ。


 現在、間引いて少なくしていたランタンを、壁に戻す作業をしていた。

 徐々に明かりを取り戻す城内で、話しかけてくる者たちの顔は明るい。


 つい最近まで、城内が暗いのは設備部の怠慢だと言われることもあった。少し考えればそんなわけないのはわかるのに、苛立っている者が多かったのだ。明かりというのは案外、心に作用するのである。


 台車に載せていたランタンがなくなったので備品室まで取りに戻ると、最近突如として現れた魔王城の救世主、小さい最高細工責任者がちょこちょこと棚の前で作業をしていた。


「あ、セツビーさん。お疲れさまです!」


 発音がちょっと独特なのは彼女がドワーフのせいだろうか。なんとなく微笑ましくて、青年はこっそり笑った。


「お疲れさまです、最高細工責任者殿。そちらの棚のランタンを持っていきますよ」


「はい、そこのは全部大丈夫です。また整備したのを補充しておきますね」


 整備が終わったものは「済」と書かれた棚にきちんと置かれており、そこから順に持っていけばいいだけ。点かなくなったものは「未」の棚に載せておけば整備して使えるようにしてもらえるのだ。


 もしかしたら点くランタンもあるのではないかと探す手間も、点くランタンが全然ないから財政係に買ってくれと頼みに行く必要もない。


 しかもこれまではがたつきのあるものも多かったが、現在取り換え作業しているランタンたちは部品がきっちりと収まりコトリともしないのだ。


 青年は前の最高細工責任者がいたころのことを知らないので、細工師がいるとこんなにも違うものなのかと感動するばかりだ。


 離れたところから聞こえる謎の歌を聞きながら、ランタンを台車に載せていく。そこにカラスが現れ、文書を手元に落とした。

 裏を見ると財政部のサイン。

 青年は眉間にしわを寄せた。






「――設備部です。依頼のあったランタンを持ってきました」


 財政部は設備係の青年にはあまりいい記憶がない部屋だ。ランタンを買ってくれ、いや買えないとやりあうことしかなかった場所。

 それが今日は安堵と喜びの声で迎えられた。寄ってくる者たちにランタンを渡していく。


「設備さん、壁にかけるのも頼んでもいいですか?」


「構いませんよ」


 各部の部屋は大事な備品や重要文書などもあるため、よっぽどのことがない限り自分たちの手で整えることになっている。だが、頼まれれば壁にかける仕事は引き受けていた。


 ランタンを壁に戻しながら、ずいぶんと数を減らしていたことを知る。財政部など、細かい書類も見るだろうに。


 全ての明かりが灯されると、これまでとは違う部屋のようだった。

 絶対にランタンを買ってくれなかった鉄壁の金庫番と言われている財政部長の顔も、アンデッドではなく普通の魔人の顔に見える。

 部長は頬を少し緩ませながら、青年に声をかけた。


「――やっと明かりが戻ってきたな。手間をかけた」


「いえ、仕事ですから」


「使えるランタンは順調に増えているようだな」


「最高細工責任者殿ががんばってくれていますから」


「そうだな。あんな小さい体でよく働いてくれている。――ああ、そうだ。予算再編成についての臨時会議で、城内全部のランタン正常化が決まったぞ。一階だけではなく二階の寮部分へのランタンも戻していいことになった。ランタンの数を見ながら少しずつそちらにも割いてやってくれ」


 なんと、もっと後になるだろうと思われていた寮の廊下が戻せるとは!

 もう手探りで鍵穴を探さなくていいのか!

 思わず青年の口元が緩んだ。


「――そうですか。みな喜ぶと思います」


「ああ、私もうれしい」


 男の鼻の上で、ランタンに照らされた眼鏡が小さく光った。

 そうだ。そういえばこの男も寮住まいだった。


 いつだったかあの暗い廊下でぶつかり、はずみで男が落とした眼鏡を探したことがあった。なかなか見つからずに二人でしばらく床を這いつくばり、あげく男は自分の足で眼鏡を踏んだ。

 あんなに切ないため息を聞いたのは、生まれて初めてのことだった。


 思い出した事実に、青年は愕然とした。

 この男も恨みがあってランタンを買ってくれなかったわけではないのだ。ただ国にお金がなかったのだ。


 理性では知っていたはずなのに、青年はそのことをやっと本当に理解した。

 誰だってもちろん、暗くて足元もおぼつかないような場所より、明るくストレスのない場所の方がいいに決まっている。


 部屋にいた者たち皆が笑顔になった。

 魔王城は取り戻した明かり以上に明るくなった。

 それはたった一人の小さな細工師が、ほんのひと月の間に成したことだった。







### 発売日まであと14話 ###


これにて一章完結です。

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