塩撒く男

ライブを終えて、

梅田のHUBで1人呑んでいた。

終電も逃しているので、

今日は思いきり街に溺れる覚悟ができている。


路に面したガラス貼りの眺望の良いカウンター席で、街ゆく人をビルの上から見下ろしながら、ちびちびとやっていると、

そこへ金髪の欧米人美女が2人ほろ酔いで身を寄せてきて、話しかけてきた。

僕の側にあるギターケースを見つけたらしい。

「どんな音楽をやっているの?」


「ニルヴァーナとオアシスの間だ!」

僕はギリギリの英語力を使って答えた。

後になって音楽の話を適当にしたことを後悔することになるのだか、その時は知る由もない。


美女2人は、

「ソー!クール!」と言って、

ワンダーウォールのメロディーを2人で合いの手混じりに歌い出した。

歌詞をしっかり歌いなさいよ、と思った。


美女と話すのは悪い気がしなかったので、

僕はそれからストーンズのソーダ割りを一緒に三杯ほど気持ちよく呑んだ。

すると、奥の方から黒人のガタイの良い男が僕らの戯れの中へやってきた。怒っているのか、酔っているのか、大男のその表情がニュートラルな面なのか、文化が違うと相手の気心が読めず、一瞬たじろいだが、

僕の肩を掴み「ブラザー!」と言っているのが聞き取れたので、きっとポジティブな方だ。

男は美女たちの連れらしい。


なんだかよくわからない状況だが、

楽しい夜だ。

僕は男に聞く。

「あなたの仕事は何?」


男は真面目な表情で答えた。


「世界の海の塩分濃度を調整する仕事をしている。海の水がどこへ行っても同じだと思うかい?実はそうじゃない。俺みたいなのが、船から毎日塩を撒いているのさ!」


─知らなかった‥

そうやって、一瞬、感心したが、


─いやいや、おっさん、ふざけてるだろ‥

そんな事あるわけない、

Googleで調べてしまったじゃないか‥

と、酒のアテになる彼なりのジョークだと思い直した。


「へぇー、そう。とても偉大な仕事だね」

と大袈裟に言って、僕は握手をした。

僕は彼にずっと生まれ故郷の九州の話をした。

いつのまにか夜は深り時が経っていく。


くたびれた金髪の美女が「そろそろ時間だわよ!」と、手に巻いているアップルウォッチを男の目の前に突き出した。


男は、やれやれ残念だという顔で頷いて、

「さよならだ、ブラザー。良い夜を」

と言って僕と抱き合う。


僕も、

「あなたの仕事の話、とても面白かった」

と言った。


男は少し肩を落として

酔いが覚めたようにすっかり優しい顔になって、

「君たちミュージシャンも皆、俺と一緒に塩撒きしたくなるさ!そうだろう?」

彼は最後にそう言って

僕の顔に指を刺してウインクした。

僕は「ヤップ!」と言って別れた。


後から知った事だが、

彼は有名なジャズドラマーだった。

然るべき偉大なステージを

おそらくその晩、終えた後に僕に

お目をかけてくれたのだと思う。

彼は僕にとって、

姿が見えないほど雲の上の人だった。


まるで音楽のような人だ。


音楽と生きることを、

世界中の海に塩を撒く仕事だと比喩した。

彼にとっては本当にそうなのだろう。

デタラメで言ったとは思えない。


たまに彼を思い出して

やっぱ、すげーや、と

涙が出そうになる事がある。

あんなにも詩的で、

実は思慮深く言葉を選びながら

愛を持って接してくれる人に会った事がない。



そして、こんな僕をミュージシャンとして扱ってくれた彼に心から感謝したい。


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