第42話 改変の時

 翌日。


 俺はノコと一緒に、病院へ行った。


 診察の予定はなかったが、ノコの発作が酷かったので、念のためにお医者さんに診てもらおうと思ってのことだった。


 心なしか、病院は混雑している。待合室には多くの患者が詰め寄せており、座る場所を見つけるのもひと苦労、といった状況だ。


 これはもう、一日がかりになることを覚悟したほうがいいな、と思った。


「お兄ちゃん、ごめんね。学校休んでまで……」

「いいんだよ。ノコのためだ」


 一応、俺達は父方の叔母に養われている、という形になっている。だけど、叔母は酷い人で、途中から俺達の面倒を放棄し始めた。いわく、「兄貴の子にかけるお金は無い」とのことだった。


 形式上は保護者がいることになるので、行政に救いの手を求めようにも、俺達にはその資格が無いことになる。孤児として放り出されるよりも、ずっと過酷な状況だ。


 それもこれも、全ては、親父が蒸発したせいである。


 あいつが俺達や、母さんを見捨てて、行方をくらましたりしなければ、こんな苦しい思いをしなくて済んだんだ。


 なのに、いまさら俺の前に現れて、挙げ句の果てには命まで奪おうとしてきた。


(どこまで行っても、クソ親父だな)


 そんなことを考えていたから、表情が険しくなっていたのだろう。


「どうしたの、お兄ちゃん? 怖い顔してる……」


 ノコに尋ねられて、俺は慌てて作り笑いを浮かべた。


「大丈夫だよ。ちょっと、昨日のダンジョンのことを思い出していたんだ」

「危ないこと、あまりしないでね。心配だよ」

「ああ、平気さ。危険な目に遭ったら、すぐに逃げるよ」


 幸い、ノコは俺のダンジョン配信を見ていない。だから、昨日はどれだけ俺に命の危険が迫っていたか、まったく知らない。


 知られてはいけない。ノコを怖がらせるような真似をしてはいけない。


「あの……カンナさん、ですよね」


 いきなり、真横から、聞き覚えのある声が飛んできた。


 振り向くと、車椅子に座ったアリサさんがいる。TAKUさんの恋人。今、俺が最も会いたくなかった人。


「アリサさん……!」

「無事でよかったです。あなたのダンジョン配信、途中で切れてしまっていたので」


 そうだ。俺の配信は、カルマ業に抱えられて空を飛んだ時に、中断してしまった。ドローンカメラが俺達の動きに追いつかなかったのだ。


 だから、視聴者達の間では、俺は死んだのではないかと噂されている。


 不幸中の幸い、俺とゲンノウ――木南ハンマ――とが親子である、という関係性は、カメラが回っていなかったお陰で、伝わっていない。そんなことがバレたら、また、大きなトラブルに発展する。ダンジョンマスターの息子、なんて肩書き、大金積まれたって欲しくない。


「ナーシャの配信は見ませんでした? 今朝、無事を伝える報告配信やってましたけど、その中で、俺のことも伝えてくれてました」

「ごめんなさい、そこまで気が回らなくて」


 そこで、俺達は無言になった。


 何を話せばいいのか、わからない。


 俺の配信を見た、ということは、TAKUさんが死ぬところも見てしまったのだろう。どれだけ辛い思いをしたことだろうか。だけど、アリサさんは気丈に振る舞っている。絶対に悲しい思いをしているだろうに、そのことを微塵も感じさせない。


 強い人だ、と俺は思った。


「タクヤは、私のために、たくさん無理をしてきました」


 しばらくしてから、ポツリと呟くように、アリサさんは語り始めた。


「本当に、心から愛してくれていたのだと思います。その気持ちが、ダンジョンを生み出した存在への憎悪へと繋がっていた。だから、あなたが『ダンジョンクリエイト』持ちであると知って、冷静さを失ったんでしょう」

「いや……いいんです。大丈夫です。TAKUさんの気持ちはよくわかります」


 過去に起きたトラブルを思い出す。


 俺のスキルは呪われた力だ。持っているだけで、他の人々から疑いの眼差しを向けられ、そして憎まれる。


 それなのに、俺は軽はずみに、TAKUさんに自分のスキルを教えてしまった。


「あの時、俺がTAKUさんに『ダンジョンクリエイト』のことを教えなければ、こんなことにはならなかったと思うんです。悪いのは俺です」

「いえ、それは仕方がないことです。だって、あなたはタクヤのことを信頼して、自分のスキルの話をしたのでしょう?」

「ええ……まあ……」

「それは間違ったことではなかったと思いますよ。実際、タクヤは面倒見がいい人でしたから、もしかしたら、あなたの力になれたかもしれない。でも、結局、タクヤはあなたを排除する道を選んだ。その選択は、タクヤのミスです」


 そう言われても、俺の胸にはしこりが残っている。


 スキルのことはずっと隠すべきだったのではないか、と思っている。


「それに、どのようにしたところで、運命は変えられなかったと思います。ゲンノウがダンジョンマスターとしてあなた達の前に現れて、命を奪いに来る、というあの流れは、起こるべくして起こったことです。避けようがなかった」


 確かに、俺とTAKUさんが仮に協力関係を保っていたとしても、ゲンノウの凶行を止めることは出来なかっただろう。


「だから、私が言いたいのは――無理はしないで、ということです」

「でも、せっかく視聴者数が1000人を超えたんだ。俺のダンジョン配信はこれからです。どうしても、稼がないといけないんです。だから――」

「違います。私が言いたいのは、そういうことじゃありません。ゲンノウは他の人に任せて、あなたは逃げて、ということを言いたいんです。あいつを倒すことは、トップランカー達でもなければ無理ですから」


 それは、考えてもいないことだった。


 俺が、ゲンノウを、倒す?


 最初から、俺は戦うことを諦めていた。ゲンノウだけでなく、異界から現れたイワナガヒメもいる。あんな無茶苦茶に強い二人を相手に、戦えるはずがない、と思っていた。だから、まったくその気は無かった。


 なのに、アリサさんに言われたことで、かえって、俺の心に、かすかな火がともるのを感じた。


 ゲンノウの「ダンジョンクリエイト」に立ち向かえるのは、同じ「ダンジョンクリエイト」を持つ、俺くらいしかいない。あっちのほうが上位互換で、スキルとしての性能は上だけど、それでも、勝算はゼロではない。


 戦う? 俺が? あの化け物達と?


 そんなことを考えていると、待合室の誰かが、「あっ!」と声を上げた。


「あれ! 見て! テレビ!」


 その中年女性は興奮気味にまくし立てながら、待合室に設置されている大型スクリーンのほうを指さした。


 そこにはとんでもない光景が映し出されている。


「おい、音量上げろ! 早く!」


 初老の男性が怒鳴ったので、テレビの近くにいる大学生くらいのお兄さんが、急いで音量を上げてくれた。


『信じられない光景です! もはや、これは、我々の知る新宿ではありません! 高層ビルも、新宿御苑も、全て形を変えてしまい、まさにダンジョンと化しています!』


 レポーターの興奮気味な声が、待合室に響き渡った。


『もともと新宿ダンジョンは、日本でも有数の広さを誇るダンジョンとして有名でした。しかし、地上部分に関しては従来の都市部としての機能が残っており、それほど危険性は無い場所であったのですが……今、完全に、ダンジョンとして作り変えられてしまいました!』


 ヘリコプターから空撮しての中継。


 新宿の街並みは、異様な形に変化している。


 高層ビル群は触手のように伸び、有機的にグネグネと折れ曲がって、絡み合い、融合し、オブジェクトのような迷宮となっている。あの中で働いていた人達がどうなったのか、その末路を考えるのが、非常に恐ろしかった。


 さらには、豊かな緑を抱えていた新宿御苑は、禍々しいほどの紫色の木々で覆い尽くされており、その上空を怪鳥がギャアギャアと喚きながら飛び回っている。


 そして――本来都庁があるべき場所には――二つの塔が立っている。円柱状のシンプルな形をした塔。都庁は、塔の出現によって破壊されたようだ。塔の周りにはおびただしい量の瓦礫が転がっている。


 新宿改変。


 この光景を、テレビ越しとはいえ、目の当たりにさせられた俺達は、ただ言葉を失うことしか出来なかった。


 その時、俺のスマホが振動した。


 誰かと思えば、ナーシャからの着信だった。

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