第41話 青木ヶ原樹海ダンジョン⑫

 俺もナーシャも、指一本動かすことが出来ずにいる。


 ちょっとでも何かアクションを見せれば、その瞬間、このイワナガヒメはあっさり俺達の首をもぎ取るだろう。


 そんな恐ろしさが漂っている。


 いつの間にか空には暗雲が垂れ込め始めており、あたりは暗くなってきた。今にも雨が降ってきそうな空模様だ。


「なんじゃ、名乗らぬのか? それとも、名が無いのか?」


 冗談めかして言ってから、クスクスとイワナガヒメは笑う。


「愉快愉快。うぬらの恐れが、手に取るようにわかるぞ」


 きっと、カルマ業を殺したのも、この女だ。しかし、いったいどうやって首をねじ切ったのか、見当もつかない。一切姿を見せることなく、攻撃の影すら捉えさせず、カルマ業を一撃で葬った。


 まさに化け物。


「さて、久々の現世うつしよじゃ。案内してもらおうかのう」


 気が付けば、イワナガヒメは、俺達の目の前まで迫っていた。移動する姿が見えなかった。まるでワープしたかのように、一瞬で、距離を詰めてきた。


「うぬに決めた」


 ナーシャの頬に手を触れながら、楽しそうに、朗らかに言う。


 よせ。やめろ。


 喉元まで声が出かかるも、余計なことを言えば、真っ先にイワナガヒメは俺のことを殺すのだと感じ、何も言えなくなる。


 ナーシャもまた、ガタガタと震えながら、悲鳴を上げそうなのをこらえている様子だ。


「若者達をいじめるのも、それくらいにしていただきましょうか、姫」


 そこへ、ゲンノウが現れた。


「うぬは誰じゃ」

「私の名は、ゲンノウ。あなたを常世から呼び戻した人間です」

「ほう……」


 イワナガヒメは目を細めると、またもや瞬間移動し、ゲンノウの目の前に立った。そして、人差し指を、ゲンノウの額にトンと当てる。


「戯れ言とわかれば殺すぞ」

「ところが本当のことです。私が門を開いた」

「ふむ。それが真として、何が望みじゃ」

「あなたの持つ力を貸していただきたい」

「つまり、うぬは永遠の命を手にしたいと考えておるのか?」

「いえ、私の命など、どうでもいいのです」

「それではなんじゃ」

「まだ話せません。あなたの力を確かめてから、のこと」

「わらわを品定めする気か、下郎」


 イワナガヒメの声に怒気がこもる。聞いているだけで、魂が縮み上がりそうなほどの殺気。だけど、ゲンノウは涼しい顔して、受け流している。


「仮の居城を用意しております。私を殺すのは、そちらへ移動してからでも遅くはないかと」

「食えない奴じゃ。苛立たしい。じゃが、不思議と面白みも感じる」


 フン、と鼻を鳴らし、イワナガヒメは宙に浮かんだ。


「その居城とやらへ案内せよ」

「かしこまりました」


 ゲンノウは、うやうやしく頭を下げると、先導して歩き始める。


「ま、待て!」


 やっとのことで声を絞り出した俺は、ゲンノウのことを呼び止めた。まだ、こいつなら、立ち向かえる。


 けれども、そんな俺の頑張りを、相手は見透かしていた。


「無理はするな、カンナ。せっかく助かった命を、無駄に捨てることになるぞ」

「助かった命……?」

「お前は着地の瞬間、『ダンジョンクリエイト』を発動させたな。かなり大規模なダンジョンの作り替えを行った。もはや、能力を使う力は残っていないはずだ。違うか?」


 ゲンノウの言う通りだ。俺には、もう、スキルを発動させる余裕が無い。


「そんなお前を哀れんで、見逃してやろう、という風に気が向いたんだ。頼むから、その気が変わるような真似だけはしないでくれ」


 完全に舐められている。悔しい。ここで何も言い返せない自分が悔しい。


「……負けん気の強さは、昔と変わらないな、カンナ」


 不意に発せられた、ゲンノウの意味深なひと言。


 昔と変わらない?


 なんで、ゲンノウはそんなことを言ってきたんだ?


 俺のことを知っている? なぜ?


「残念だよ、カンナ。何も思い出せないなんてな」

「あんた……誰だ」

「昔は痩せていたが、今はだいぶ顔も体格も変わったから、仕方がないかもしれん。それでも、気付いてほしいところだった」

「知らない! 俺は、あんたのことなんて、何も――!」

「木南ハンマ」


 ゲンノウが発した、その名前を聞いて、俺は目を見開いた。


 木南ハンマ。


 それは、俺が幼い頃に失踪した、親父の名前。


 まさか。


「もう一度、よく、私の顔を見てみるがいい。面影を感じないか?」


 ああ。


 そうだ。


 ゲンノウと最初に会った時、何か懐かしいものを感じた。


 その理由がわからなかったけど、今ならハッキリと理解できる。


 ゲンノウの正体は――木南ハンマ。


 俺の、親父だ。


「嘘だろ……」


 ポツポツと、雨粒が落ちてくる。


 最初はまばらだった雨足が、少しずつ早さを増していく。


「ところが、これが現実だ」


 伝えることだけ伝えると、もう用事は無い、とばかりに、ゲンノウはきびすを返して、イワナガヒメを連れて歩き始めた。


「なんだよ、それ……!」


 雨が本降りになってきた。


 俺の横で、ナーシャが戸惑いの表情を浮かべ、かける言葉を見失った様子で、口をただ開いたり閉じたりしている。


「待てよ! あんたが親父なら、まだ聞きたいことが山ほどあるんだよ!」


 ゲンノウは振り向かない。イワナガヒメとともに、どんどん俺達から離れていく。


 追いすがる勇気は無い。下手に動けば、イワナガヒメの不興を買い、あっという間に殺されるだろう。


 でも、ゲンノウが父ハンマだというのなら、教えてほしかった。


 どうして俺やノコを置いて、家を出ていったのか。


 どうして病気の母さんを見捨てたのか。


 どうして……どうして……!


「ちくしょぉ!」


 ゲンノウとイワナガヒメの姿が見えなくなってから、俺は怒号とともに、地面をぶん殴った。手の甲に痛みが伝わり、血が滲む。


「カンナ……」


 ナーシャが、同情の念を込めてか、俺の背中に優しく手を当ててきた。


 俺達は降りしきる雨の中、ずぶ濡れになって、しばらくの間まったく動けずにいた。

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